6章33話 また、おいで
司祭は両手を皿のようにして受け止めた。それを確認し、驚いたようにログマへ目を上げる。
「本当に、探しに行ってくれたのか」
「チッ、探せって言ったのはお前だろうが」
司祭は今一度ペンダントに目をやり、突然、微かに嗚咽を漏らして泣き出した。
ログマはその姿を見ても何も言わなかったが、事情を知らない俺達の方が動揺しておろおろと身動ぎした。
そんな俺達を見た司祭が、慌てて目元を拭う。
「す、すみません。――ログマ」
「なんだ」
「本当に、ありがとう。きっとキャスネルも、他でもないお前が見つけてくれて喜んでいるよ」
「……もう居ねえ奴がどうやって喜ぶんだ。つまんねえ冗談」
そんな雰囲気の事情である事は予想していたが……おそらくは、キャスネルという人物の忘れ形見なのだろう。
ログマはいつも通りの口の悪さで吐き捨てた。
「つーか、泣く程大事なもんをなんであんな所で無くすんだよ。ゴミ」
「あっ、はは。本当だね」
司祭は苦笑いで続ける。
「……ラシュがね、森に行くお守りとして持って行ったんだ。モンスターに襲われて逃げるうちに落としたと青くなっていたよ。首から下げろと言ったのにねえ」
「なんであんな危険な所?」
彼は、少し目を伏せた。
「お前は嫌がるだろうけど……ログマ兄さんみたいになるって、精霊術の特訓に森へ通っているんだ」
その言葉を聞いた瞬間、ログマは勢い良く顔を上げて、怒鳴った。
「やめろって言ってただろうが! 六年前から何度も何度も! 引き留めないお前も大概だ、大馬鹿野郎共。死にてえのか、殺してえのか?」
腹の底に響く、厳しい声だった。
司祭は、悲しそうに俯く。
「死にたくないから、皆を死なせなくないからって言われたら、引き留められなくなっちゃったんだ。昔のログマと同じ事を言うもんだから、驚いたよ」
ログマの息が詰まる。小さく、クッと聞こえた。
「それに、森に通い始めてからの彼の顔は、どんどん生き生きとしている。頑張る事が見つかって、嬉しいのだろうね」
ログマは、詰まった息をため息にして吐き出した。
「……あーそうかい。勝手にしろ。俺にはもう関係ない事だしな」
そして、踵を返した。
俺達にも、彼の顔が見えた。噛みつきそうな目付きで口も歪ませている、よく見る表情なのに、泣き出しそうだと感じた。
「謝礼はちゃんと振り込めよ。会社の振込先は手紙で知らせる」
「勿論だよ」
司祭の優しい言葉が、静かな礼拝堂に響いた。見守る俺達まで包み込んでくれるかのようだ。
「ありがとう。お前が元気でいてくれて、立派になっていて、仲間もいるって分かって、本当に本当に……嬉しかったよ」
ログマは唇を噛んで、返事をしない。
「気をつけて帰りなさい。また、おいで」
「――誰が来るかよ、クソゴミカス親父」
その小声に、司祭がはっと息を呑んだのが、俺と被った。ログマに気付かれて思い切り胸元を殴られる。呑んだ息がぐふっと戻ってきた。
ログマは俺を殴った勢いのまま、早足で出入口の門へ進んで行った。俺達は曖昧に挨拶をしながら司祭に頭を下げ、慌てて彼を追った。
彼はメンバーの中で一番長身で、脚も長い。どんどん帰路を進む彼との距離が徐々に離れていく。
突如、俺達の背後に大きな二つの声が迫った。
「兄さん! ログマ兄さん!」
「お兄ちゃーん!」
ログマの背中が、ぴたりと止まった。だが、振り返りはしなかった。
代わりに俺達が振り返ると、栗色の巻き毛の少年と長くまっすぐな黒髪の少女が顔を歪めて泣いていた。年齢は、二人とも十代半ばだろうか。
少年は怒鳴るように声を張り上げた。
「兄さん、ありがとう! うっ、ううっ。俺達の事、覚えててくれて! 来てくれて、ありがとう!」
微動だにしない兄の背中に手を振り、少女が叫んだ。
「――ずっと、大好きだよお!」
ログマが弾かれたように駆け出し、見た事がないほどの速さで丘の向こうに消えた。
二人に頭を下げた後で追いかけたが、ケインとウィルルはえぐえぐと泣き出したし、カルミアさんは息を詰まらせて、俺は涙が零れないように変に上を見て走った。そんなんだから、全然追いつけなかった。
――病気になったあたりから、どうもこういう話に弱い。ランツォ君の時も泣きそうだった。
入社してからたったの二ヶ月半だが、ログマの生き様はよく見てきた。
彼は他人と深く関わる事を避け、隙あらば笑って傷つける。最初は性格が悪いだけかと思っていたが、だんだんとそうではないと感じてきていた。そして、今日、確信した。
愛することも、愛されることも、分からない奴なんだと。
勿論そんなことを口に出せば今度は丸焦げにされると思う。でもやっぱり俺は、あの生きづらい仲間が愛されていた事が、自分の事以上に嬉しかった。
――なんて言って、当の俺は、愛とかなんとか、ちゃんと分かってるのかな?
正直自信がない。というか、今の俺には分からなくなっている。愛した兵団に裏切られ、愛した家族に傷つけられ、分からなくなった。
でも、俺の形で、今の仲間達を愛そうと思う。
不器用なログマが、そうしているように。
結局、ログマが宿に戻ってきたのはその日の夜だった。
ロビーで歓談していた俺達が彼に気づいて声をかけると、素直に寄ってきた。そして、いつも通りに目を逸らして吐き捨てる。
「忘れろよ」
え? と聞き返すと、頭を平手で叩かれた。この一撃は流石に理不尽。
「今日の事は忘れろ。お前ら全員だ。いいな」
ケインがふふんと鼻を鳴らして言った。
「仕方ないなー、忘れてあげる。走って逃げたのとかね」
「あ? お前も殴られたいか。記憶を飛ばしてやるよ」
ウィルルが慌てる。
「だめだめ! ケインちゃん叩いちゃだめ!」
悲しくてつい口に出た。
「なあ、俺は叩かれてもいいと思ってる……?」
「あっ、あっ……ごめんなさい!」
「思ってんのかよ……」
カルミアさんが笑いながら、項垂れた俺の肩を抱く。
「まあまあ。ルークはその気になればやり返すって分かってるからだよ。ケインは力じゃ敵わないけど、ルークはログマを投げ飛ばした事があるからねー」
「う……それは俺が忘れてほしい事かも……」
ケインが不服そうに腕を組み、横目にログマを見た。
「座れば? それとも、まだ言いたい事あるの?」
ログマは答えず、俯いた。握り締めた拳が震えていた。だが、程なくしてため息をつき、顔を逸らして小声で言った。
「……ありがとう」
皆、驚きと嬉しさに顔を綻ばせた。
ログマの赤い耳と、むず痒く苛立つような踵の揺らし方を放っておけなくて、俺は自分を犠牲にした。
「普通に仕事しただけだぞ。熱でもあるのか?」
案の定頭を殴られた。今度は拳だった。自分から傷付きにいったけど、やっぱり痛いもんは痛い。
でも狙い通り、ログマは舌打ちと共に座ってくれた。
「あーそうだな、今回はお前の言う通り。確かに普通の事だ」
カルミアさんは笑った。
「あはは、そうそう。いい仕事を貰ってきてくれてありがとう、ログマ。久々の遠出、楽しかったよね、ウィルル?」
「うん! 教会の人も喜んでくれたし、珍しい薬草も色々見つけたし、押し花も作れたの。お出かけ、少し好きになってきちゃったなあ」
ケインも満足気だった。
「昼の自由行動の時にね、特産品の珍しい芋とチーズを格安で仕入れちゃった。料理が楽しみ! 明日ゼフキに帰ったら皆で食べよ!」
カルミアさんが乗る。
「お、いいねー。実は俺も地ビールとワインを買ったんだよ。デコイス飲み会開催だね」
「最高ー! 流石カルさん!」
この二人、つくづく酒飲みだな。呆れて笑った。でも、皆での食事は、俺も楽しみだ。
ログマがため息をついた。
「こんな田舎、いつまでもいるところじゃない。明日は朝イチで出るぞ。早く帰りたいからな」
無邪気な表情のウィルルが、また彼の痛い所を突いた。
「ログマは早く帰りたいの? こんな会社嫌いだっていっつも言ってるのに?」
顔を顰めたログマを見て、俺達は笑った。
今度は、殴られなかった。




