34章273話 大人だからな!
34章 相変わらずでいこうぜ
夢を見た。幼い少年と遊ぶ夢。
サイズの大きすぎる、囚人のような服を着ていた。小綺麗で元気だったけど、服から覗く肌に生傷を見つけ、恵まれない境遇をぼんやりと想像した。
まだ甘えたい盛りなのか、目的があやふやな接触と対話をしきりに求められた。ありふれた交流を無邪気に喜ぶ様子が可愛らしくも切実に見えて、求めるままに与えてやった。
しかし彼は突然、何かに気づいて俯く。
『おわり? 全然足りないよ。寂しい』
堪えきれない涙を小さな拳で懸命に拭う様子が、酷く気の毒に見えた。けれど、おわりなのだから仕方がない。
『うん、満たされないな。寂しいよなぁ。でもほら、一緒だからさ。行こう』
頭を撫でると、泣きながらも頷いてくれた。手を握って、行き先不明の帰路へと導く。
ゆっくり歩く横に、やたら大きな窓。映って見えるものに違和感があり、立ち止まる。
哀れな幼子の俺が、一人きりでそこにいた。
「わあああああ!」
ベッドで跳ね起きたのは当然大人の身体。
「は、はあっ……クッソ……! うぷ」
気色悪い夢、と思う暇もなくトイレへ駆け込み、乏しい胃の中身を全て吐き捨てた。
口内に残る辛苦を水で洗い流す。そうしてやっと、洗面台の鏡の中、現実の自分を見つめた。人相と顔色の悪い男だな。口の端を歪めて嘲笑う。
「……なぁにが自己嫌悪だ。心の底じゃ、自分で自分を可愛がってんじゃねえか。愛され足りねえってさ。気持ち悪……。死ね……!」
惨めさで目頭が熱くなり、やり場のない拳が震える。鏡を叩き割りたいけどやらない。その後が気になるから。――大人だから。
家族と会ってから二日間、自室に引きこもった。単純なしんどさもあるが、情緒の暴走に一人で向き合いたいと感じた事が大きい。家族と居る間、蘇りかけていた自我を封じてしまった反動か。
何もしていないのにやたらと消耗するので、食事だけは貰った。それが許される環境に、改めて深く感謝した。
三日目の朝。ドアのノック音の後に聞こえてきたのは、カルミアさんの声だった。
「おはよう、ルーク。調子どう? 今日はどうするー?」
ああ、今日も支配されなくて済むらしい。金だけ払えば、穏やかに放っておいてもらえる。
その安心感が、逆に『皆に合わせたい』という意欲を生むのだから不思議な事だ。横たわったまま、ドアへ向けてやや声を張った。
「おはよう。少しマシだよ。色々ありがとう。……夕方頃には出て行きたいと思ってる」
「お。無理せずー。朝メシ要るよね?」
「……貰いたい、な。ご」
「ふふ。了解」
引っ込めた『ごめん』には気付かれちゃったらしい。
「もう出来てるからすぐ持って来る。――因みにさ。受け取りがてら、少し顔合わせて話せたりする?」
「え。……うん」
カルミアさんの用件は今夜の晩酌へのお誘いだった。茶でいいから話そうよ、と。気遣いに一瞬縮こまったが、彼の目的は俺を恐縮させる事ではないと思い直し、素直に了承した。誰かと話したくなってきたところだったし。
でも夜、風呂の後に食堂へ戻って、静かに驚いた。
「やほ。これで揃ったね」
「あっ、夕飯前より顔色良くなってる! よかったー」
ケインも共に呼ばれていたようだ。歓迎だけど予想外。この三人で駄弁るのは案外初めてだな。全員が気を抜いた部屋着姿なのもなんか楽しい。
二人とも飲酒するらしいので、俺も酒の力を借りて心身を緩める事にした。ちょっと自棄になってるのは認める。
乾杯して早々、カルミアさんが言う。
「はい。ここ二名、ルークが家族と会った感想、非常に気になっています。報告をどうぞ」
「いきなりすぎない?」
ケインは慌てているけど、俺だって予想はついてた。温かくて困るな。
「本題が早いのは好きだよ。心配してくれてありがとうな」
「心配してたのはケイン。俺は興味本位」
「ねえぇカルさん、少しは気ぃ遣って! 見るからに虫の息でしょ!」
「ふふっ。どっちも容赦ねえって!」
げらげらと笑い合いはしたけど、二人とも優しいよ。俺も含めた皆で、気を遣わずに話したいと考えてくれているんだろ? こんな幸せ、非日常的だよ。
俺の日常……人生は、あの家族が基準だったのだから。目の前のお互いを見て、心のやり取りをする。俺が求めた事は、それだけだったのに――。
形にならない感情が無闇に目を潤しやがる。甘くて温かい果実酒のお湯割りで勢いづけて、苦笑で報告した。
「凄く辛かったよ。でも、会ってよかった」
カルミアさんはふっと微笑んだが、ケインは眉尻を下げて訊いてきた。
「和解した、とか……?」
「ううん。そもそも、貴族に引き離されただけの仲良し家族って認識らしいからな」
「は? ……そう。な、何がよかったの」
「家族への未練が無くなってスッキリしたんだよ。……諦めるしかないって理解させられた、が正しいか」
カルミアさんが肩を竦めて苦笑する。
「『仲良し家族』なのにぃ?」
「ふふ……聞いてくれよ。改めて家族の輪に戻ったら、記憶してた以上に息苦しくてさ! みーんな自分の体裁と感情ばっか大事にして、話通じねえんだよ。悪い意味で何も変わってなかった。これに馴染んでた過去の俺を尊敬するし軽蔑もするよ、あははは!」
「あーらら。やっぱり『会いたくない』って迷ってたのは正解だったんだ……」
「残念ながらな。……おかげで、因縁とか病気とか全部すっ飛ばして、離れていいやって思えた。少なくとも、今の俺にあの家庭は合わない。――過去の関係になった。だからもう……もう、いい」
寂しさが胸を締め付けていても、言葉はすらすらと出ていく。素直だからだ。それがまた寂しかったりもするけど。
カルミアさんがウィスキーの氷を揺らしてため息をつく。
「どうやって絶縁したの? ゴネそうなご家族だけど」
「はは、そうだね。だから平穏に解散した」
「あれっ、じゃあ今後も連絡は来る?」
「多分な。でも適当に躱して疎遠にしてくよ。俺の中では決着したから。もう家族から学べることはなさそうだし、恩も返したと思ってる。変に爆発されない程度に放っといて、自分の人生に集中したい」
心から労うように、それでいて少し悲しそうに、カルミアさんは苦笑した。
「……潔いね。俺は傷つかない距離を取って自然消滅狙いでいいと思ってたけど、これは実際に顔を合わせに行ったからこその決着だろうなぁ。ホント、お疲れ様だ」
彼はそのまま、ケインへと首を傾げた。
「どしたの、さっき。和解して欲しくなかったみたいに見えたけど」
「えーっと……。まあこのメンツだし、理解してくれるかー」
彼女は気まずそうに白ワインを揺らす。
「思い出って美化されるじゃん? 久々に会って毒に染まり直す可能性もあるなー……って思っちゃったんだ。ルークの場合は関係も長いし、悪い家族とは言い切れないみたいだったから尚更ね」
「あー確かに、情に引っ張られての『和解』なら心配だったね。同じ目に遭うでしょ! てツッコミたくなる。……ん、でもその場合、これからは違う筈って信じてるのか」
「うん。そうなれば外野が何言っても届かなくなっちゃう。でも嫌だった関係を正当化すれば、健全な関係が分からなくなって、苦労も増えるでしょ? 傷だけ深まってまた離れた例も見た事あるし……ルークが混乱して苦しむ方向になったらヤダなって警戒してたんだ」
俺自身ギリギリまで揺れたからこそ、心から納得する。やっぱり、あの日の苦しさと家族愛を白黒の二択にしなくて良かったな。
ケインの向けた笑顔からは、惜しみない応援が伝わってきた。
「でも、大丈夫だね。家族が悪い意味で変わってない事とか、自分の気持ちとか、見失わずに帰ってきたみたいだもん。何より、ルークが自分自身のために決めたことが嬉しい!」
涙腺がどんどん緩むから勘弁して欲しいな。逃げるようにまた酒を啜っても尚、半笑いの弱音が漏れてしまった。
「……ありがとう。でもな、俺も家族の前では昔の言動に戻っちゃってたんだ。周りの機嫌を窺う大嘘吐き。結局、分かって欲しかった事は何も言えないまま諦めて……聞こえの良い感謝だけ伝えて別れたよ。……溜め込んだ文句だって、山ほどあるくせにな……」
とうとう一滴逃してしまったのを皮切りに、涙が止まらなくなる。
「……それでも、もう伝えようと思えなかった。傷付け合うだけだから。自分を偽った昔の判断と同じ結論なんだよ。やっぱりどうしようもないなって確認しただけの、退屈な話だ……」
ごめんと謝って袖口で目元を拭う。そこにカルミアさんが、優しくもはっきりと質問を重ねた。
「敢えて訊くよ。ルークの未練は『ありのままで愛されたい』だったよね。否定される恐怖も、会う理由になってた。その辺の内面にも決着ついてる?」
「うん」
また涙が流れ落ちたが、言葉にするのが痛いだけ。迷いはなかった。
「……そりゃあ、ありのままを肯定して欲しかったよ。でも俺もう、親に認められるより、自分らしく生きる方が楽しくなっちゃった」
「へえー! なんだよ、前向きじゃん」
「ふふ、俺も意外。家族に好き放題言われて気付けたんだけど……俺って実は、ゼフキに出てきてからの自分をちょっと気に入ってるらしい。良い方向に変わり始めたのが理由で家族と離れるなら、もう仕方ない気がするんだ」
「うんうん。俺はそれ、完全同意」
柔らかく心強い肯定には安心する。でも、これに縋ってちゃ今までと同じ──。
「正直、寂しくて死にそう。でもこれからは、理想の息子の演技なんて忘れていける。味方の顔した敵を探して怯える癖も抜けてく。自然体で精一杯の俺を良いねって言ってくれる、ここの皆みたいな人達をもっと大事にできそうだ」
結局は強がって、にっと笑って見せた。
「孤独な代わりに、最高に自由だよ」
目の前の先輩は思い切り笑い返してくれた。
「なんかワクワクするなあ! 子供の頃からの悩み、抱えてた甲斐はあったんじゃない?」
「へへ……。諦めが物凄く悪いだけだ」
「いいじゃん、何が成長に繋がるかなんて分からない。俺もそうやって曖昧に大人になったような気がするな。――祝、親離れ! おめでとう。ルークの人生を楽しめよ!」
「ありがとう! やっぱあの時、カルミアさんが相談に乗ってくれて助かったよ!」
乾杯に応じようとした時、隣から鼻を啜る音。二人で目を向けた。
「ケイン?」
一瞬慌てたが、彼女も目元をハンカチで抑えながらくすくすと笑っていた。
「分かるーって、先輩のつもりで聞いてたのになぁ。私もね、家を飛び出してから、やっぱちょっと……ううん。凄く寂しかったみたい」
弱々しい泣き顔なのに、楽しそうに見えるのは何故だろう。
「……でもそれこそが自由で、大人だって……普通のことで、一人じゃないんだなって、今思えて……。なんかもらい泣きしちゃった! もー、悔しい! あはは! ぐすっ」
この連鎖、狙ったの? と思ったが、カルミアさんは俺よりもきょとんとしていた。目が合い、お互いに吹き出した。
カルミアさんは、下から持ち上げた小さめの酒瓶をどんとテーブルに置いて大笑いする。
「あっははは! 若者二人いっぺんに救っちゃった感じ? これは……俺の大活躍と二人の独立を祝って、乾杯しなきゃでしょ!」
彼は手際良くショットグラスを並べる。俗に言う友情イッキ飲みの流れ。ケインも俺もまんざらでもないから救えない。
「きゃはは! ちょっと準備良すぎ! こういうのいつぶりだろー?」
「いつもなら止めるけど今日は乗る! カルミアさん、これは大人の乾杯だから、年齢分の貫禄見せてくれるよなァ」
「言うねえ! 任せろー、俺を誰だと思ってる!」
どぎつい酒を注いだお上品なグラスが、三つ差し上げられる。
「二人とも本当にありがとう! 俺の自由な人生、始められる気がする!」
「そうだっ、誰も私達を叱らない! 身体がちょっと痛むだけ! 自己責任最高ー!」
「機嫌とって、責任とって、細かいあれこれは酒で誤魔化すぞー! かんぱーい!」
数々の愛を知りながらも、息子との関係に悩むカルミアさん。家族と離別した後、癒えない寂しさを無意識に抱えていたケイン。家族に悩む仲間二人と飲んだ酒は、俺の喉を焼いた。美味しさなんてほぼ分からない。
でも、自分で受け入れた毒の熱だから、いいんだ。味わってやるよ。――大人だからな!
※ 真似しないで下さい。




