33章270話 突き付けられていく
次に案内するのは俺もよく知る場所だ。
「ここからマイゼン大通り、ゼフキの北側で一番の繁華街。少し外れたところに市場があるから、そこで昼にしよう」
三人それぞれの興味に合わせて様々な店に立ち寄っていく。俺一人では入らない店が見れて新鮮だ。
ある食器店を父母が気に入った。家に買って帰るべく厳選したいらしい。
隅の柱にもたれて待つ。ウィルルもこの店は好きそうだ、なんて考えていたら、エアリアが寄って来た。
「兄さん、なんか口悪くなったよね」
悪意は感じない。素直に苦笑した。
「そうか? 職場に悪い見本がいるから影響を受けてるかも」
「ふっ。どうなのそれ」
「そんなにマズい?」
「や、むしろ丁度いい。前は妙に飾ってるっていうか、いかにも優しいですって白々しい喋り方しててウザかったから」
「え……改善してるって意味ならいいけど……そう思ってたなら言えよ……」
「ううん、あれはケチつけて何とかなる問題じゃなかった。元凶も近くにいたし」
不快な動悸がした。自分の無意識が、心当たりがあると言っている。
「……元凶って」
「ま、一旦こっち来たのは良かったと思うよ」
肯定らしき言葉を残し、彼女はまた食器を見に戻った。
両親に目線を戻す。楽しそうだな。
――離婚しそうだったのが嘘みたいだ。
言う事を聞かない子供だったエアリア。彼女の育て方に父母は長らく悩み、そのストレスから頻繁に喧嘩していた。当時十歳にも満たない俺は、両親の不仲が悲しくて堪らなかった。
だから、弱った母の頼みを聞いた。尽きない愚痴を、毎日のように聞いた。
エアリアは父さんに似た、他の男を選んでいれば、本当は子供なんて要らなかった、この街は窮屈だ、私の苦労を誰も分かってくれない――。母は抜かりなく『ルークが良い子なのが救いよ』と言うから、見放せなかった。
当時の俺は、まだ幼い妹のためにも家族を繋ぎ止めなければと思った。母を慰め、幼稚な癇癪も受け止めた。学園での悩みは家に持ち込まず、積極的に家事もこなし、貴女の教育は間違っていないと証明した。
そうして俺はいつの間にか、父の代わりに、母の『理想の男』に育て上げられていた。優しく害のない口調もその一つ。エアリアは、それに気付いて不快に思っていたという事だろう。
……自覚はあった。気持ち悪いし、それで不利益も被った事になるから、認めたくなかったけど。
母さんの味方と認識された事で、しばしば夫婦喧嘩に巻き込まれたのだ。母さんが泣いて自室に篭れば、俺が父さんの暴言暴力の捌け口になった。まあ俺は男で兄で剣士だから、と子供なりのプライドで耐えていた。
そうやって、家族のケア役という立ち位置が当たり前になった。正直、俺のお陰で今の家族が成り立ってる部分はあると思ってる。
でもその我慢の全てに、家族の誰からも、感謝された事はない――。
「ルーク!」
冷えた心に、母さんの呼ぶ声。慣れた愛想笑いを向ける。見せられたのは、六十歳近いとは思えぬ無邪気な喜びと、高級な食器セット。
「見て見て、素敵でしょ? 父さんと相談してちょっと奮発しちゃった!」
「うん、いいね」
表面的な同調だけど、バレる事はない。この人はそこまで俺の心に興味ないから。
後から来た父さんも満足げだ。
「せっかく頑張って働いてきたんだ、こういう時に使わなきゃな。子育ても終わった事だし」
「ふふ、そうねえ。老後を楽しまなきゃ」
笑い合う二人にはそれなりの夫婦愛を感じる。昔からそうであって欲しかったよ。
妹も合流して市場へと向かいながら、俺は、家族の宿を見た時のチリチリとした違和感を今一度見つめていた。
――あの食器セット。俺が故郷を出る時、一ヶ月分の生活費と路銀として渡してくれた金額と同じだったな。
兵団時代の貯金は療養中に殆ど家計へ入れ尽くしていたから、助かった。しかし決して充分な額ではなかった。
父さんは半笑いで申し訳なさそうに、母さんは拗ねたように言っていた。
『家財は送るけど、うちも裕福じゃないからな。これで何とかやってくれ』
『わざわざ遠くの帝都を選んだんだから』
『ありがとう。自力で出て行けなくてごめん』
精一杯の応援に感謝し、最後まで負担をかけて申し訳ないと思って、返事をした。
だから重めの病状を抱えて、野宿も挟みながら十日間歩いたのだ。新生活になってもしばらくは金銭面の不安が続き、日常的にプレッシャーとストレスを感じていた。
その割には、かなり懐に余裕がありそうじゃないか?
親が自分のためにお金を使う事は何も間違ってない。息子の再出発に出せる金があれだけだった事には変わりない。
でも俺は、あなた達の為に――。
献身の虚しさを突き付けられると苦しいが、言動に出るほどの衝撃もない。胸の内に重たく溜まるものは、どこかで発散すればいい。
家族のいない時に。
市場で食事する頃には正午を過ぎた。既に疲れを感じる。予定はまだ半分以上残っているのに。
「首肩は辛いけど、精神の方が原因だな、これは……。やっぱビビってたから……でも安心もしてた筈で……」
席取りで一人になったチャンスに内省したが、いつもより整理できずに終わった。
家族はそれぞれ面白そうな食事を買い込んで戻って来たが、俺は食欲がなく、近くで売っていたサンドイッチだけを買った。
それを見てやっと、母が俺の顔色を窺う。
「それじゃ少ないでしょ。体調悪い?」
「いや、大丈夫」
反射的に答えていた。正直に答えても配慮される訳じゃないし、助言を貰っても余計だ。なら弱みは見せない方がいい――。
『そうやって、自分の現状を誤魔化すのをやめろ』
ふと蘇った絶不調の記憶。目を逸らしたまま俺を咎めた、ログマの様子。
『お前の状態を考慮して、陣形を再編成するぞ』
まだ全然打ち解けていないログマの方がよっぽど、俺を見て並走してくれていたな。まあ仕事の都合は大前提にあるけど。
文字通り心ここに在らずな俺をよそに、家族は食事を進めながら歓談している。適当な相槌で参加だけしておいた。
そんな時、戦士集団が近くを通り過ぎる。その内の一人が、身体中の包帯に血や体液を滲ませていた。
彼らを見送った父さんが、軽く嘲笑った。
「……回復術でもう少し綺麗にしてから外を歩けばいいものを。みっともねえ」
聞き捨てならなくて口を挟む。
「そんな風に言うなよ。好きであの状態なわけない。限界があるんだから……」
「死ななきゃ大体の怪我は治るだろ」
「ええ……? 回復術の治療って、あくまで一般人の手当て以上、医療機関以下だし……。特に触覚以外の五感は、失ったらほぼ戻せないよ?」
「じゃあ何のために専門のヒーラーがいるんだよ。回復薬もあるよな? それすら買えない低級ってことなら尚更見苦しいな」
もし何でも無限に治せるヒーラーがいるなら、戦場に出ずに一生暮らせるっての。非戦闘職だとこれくらいの認識なんだっけ? まあ日常の些細な怪我は綺麗に治るもんな。でも無知で他人を悪く言う方がみっともないよ……。
頭を掻いて説明した。
「人体の治癒力を精霊に増強してもらうのが回復術だよ? 使い手の知識と精霊力で術の精度は上がるけど、効果には精霊環境とか色んな要素が影響するから、上手く治らない時もある」
「それは知ってる。だからって、傷が膿むまで放っておく事があるかよ」
「大怪我を一気に治すと、体力が尽きて死ぬ事もある。回復薬に使用上限があるのも同じようなルール。さっきの人は怪我が広範囲だったし、傷が残るだろうな……」
「でもロハでは、あんな姿を晒して歩く戦士を見た事ないぞ。都会じゃ人が多いから恥がないのか?」
逆だろ。ロハでは人が少なく知り合いばかりだから恥の意識が強すぎるんだ。
「……都会周りは人の悪意も溜まりやすいから、モンスターが強くて重傷を負う事も増えるんだよ。不景気だってあるし、戦士も皆大変なんだ……」
「脚を切断したけど綺麗にくっついたっていう戦闘職の知り合いもいるんだが?」
「幸運だね。欠損したら戻らないから、切れた脚を綺麗に回収して、ヒーラーの応急処置と病院の手当を早めに受けられたのかな。それでも完治には時間と金が必要だったはず」
俺も同業者の負傷を悪し様に言われて少しムキになった自覚はある。でも父はそれ以上に機嫌を損ねた。
「さっきからなんだ? 細かい事を偉そうに」
「え、あ」
「こっちはたわいもない呟きをしただけなのに、わざわざ揚げ足を取りに来やがって! 親に反抗して満足か?」
「ちょ……こんな人前で大声を出すなよ」
「お前が怒鳴らせてるんだぞ! そもそも構うかよ、旅の恥は掻き捨てだ! そうやって逃げずにさっさと謝れ!」
俺にとっては旅の恥じゃないんだよ。人目を利用して謝らせようとしてる雰囲気すらある。おかしいだろ。
しかし母は俺を責める目線を送り、妹も大きなため息をついているだけだ。
ああ、酷く覚えがある。この流れは、どうしようもない。
全てを噛み潰して呑み込み、頭を下げる。
「ごめんなさい」
「何が悪かった、ちゃんと言え」
「……知識をひけらかして不快な思いをさせて、ごめんなさい」
「ふん! 最初から無駄口を叩かなきゃいいんだ、半人前が。そうやって目上の人間に楯突くから、社会で苦労するんだぞ」
最後の一言は痛かった。感情任せの捨て台詞で、今の俺の困難を的確に刺しやがって。
でも俺、戦士としては一人前になってきたと思ってるよ。さっきはあんなに俺の功績を褒めて、味方してくれたのに。……どうやら、あくまで父の下である事が承認条件だったらしい。
世間体を人一倍気にする母さんが話を逸らして、その流れに何だかんだで父さんも乗って、家族の雰囲気は元に戻った。
俺もしばらくは薄笑いで黙っている事にしたけど、内心は燻っていた。
やっぱり父さんは俺の父さんだ。怒りに振り回されてさ。ダッセェ。カルミアさんより十以上歳上の筈なのに。年齢と経験値は比例しないって知ってるけど……老化か? いや元々こうだったか。
俺もこうなるってんなら、最悪だな。
自分への嫌悪が一層強くなった時、ウィルルとの喧嘩を思い出した。でもその苦い記憶は、彼女の笑顔で締めくくられる。
『私達って仲良しさんだもん、ケンカしちゃう時もあるかあ』
あの言葉で泣きそうになった理由が、今分かった。決して楽じゃない衝突を越えて、建設的で友好的な話し合いが出来たと実感したからだ。もう諦めかけていた理想を垣間見たからだ。
俺は、家族とそうなりたかった。一度たりとも叶わなかった。
無数に喧嘩して、家族はそれなりにスッキリしていたようだけど、俺には疲労しか残らなかった。諍いの元も解決しなかったし、家族関係も前進しなかった。
その事実に、俺の病は一切関係ない。何で今まで気付かなかったんだろう。
……俺は所詮、この父さんの息子だ。けれど俺は、他人を踏み付けて自分の機嫌を取ろうとは思わなかったよ──。
ふ、と静かに笑い飛ばした。呆れと落胆と止めどない寂しさを、少しだけ慰めるために。




