32章268話 苦境を共にする同志の激励
家族との再会を明日に控えた夕方。ケインと共に、各々の稽古用装備を携えて廊下を進む。
気に掛けるように見上げられた。
「明日どこ行くか決められた?」
「何とか。色々教えてくれて助かったよ」
家族へ帝都ゼフキの案内をしなければならないものの、俺は世間知らずな上にあまり遊び歩いていない。そこで先日、ケインとカルミアさんに泣きついたのだ。
「良かった! カルさんの店選びとあたしの流行情報だもん、信頼してよ」
「そりゃもう。これで文句言うようなら家族のセンスが悪いだけだ」
笑い合った。他人に力を貸す時、ケインは本当に優しい笑顔を見せる。俺なんかに向けてくれる事が恐縮で、落ち着かなくなるくらいに。
でも今日は、あちらも少し落ち着かない。サイドヘアーを指先でしきりに弄っている。
勝手口から裏庭へ出て、確認した。
「本当に俺は長剣でいいの? 勝負のお誘いは嬉しいけど、成果は少ないかもよ」
ケインは、俺の長剣捌きへ短剣で相対してみたいと言ったのだ。
確かにケインは、サブウェポンとして短剣を使いこなしている。事実、以前の試合は有益だった。だが短剣同士だった事に加え、俺側に経験不足のハンデがあった。今回はリーチ、筋力、練度など前提条件に差がありすぎてしまう。
しかし、返事は快活だった。
「分かってる。いいから相手して」
「どうして。目的が気になる」
拗ねたように目を逸らした彼女は、また髪を指で巻く。
「……ごめんね? こんな大事な日の前に、ザコを相手させちゃって」
「いやいや、そんな事言わないで! ただ役に立てるか分かんないから心配でさ」
「いいの!」
食い気味に言ったケインは、凛々しい苦笑を見せた。
「他人とぶつかりたい時もあるだけ。得意も本業も弓だけど、弓の稽古は自分との闘いなんだもん」
「そうか。確かに」
「それと。あたしのモヤモヤを思いっきりぶつけても絶対に倒れない相手がいいの。じゃないと遠慮が要るでしょ?」
「――ふふっ。分かるなぁ」
つい笑った。今まさに俺も遠慮していたのだから。
これはもしや、俺が初めて聞けたケインのワガママなんじゃないだろうか。要はストレス発散だが、こんな剣士冥利に尽きるお願いを受けない理由がない。
了承の代わりに、防具の袋を開けた。
「準備運動は充分?」
「勿論! 手加減なしでお願いね。その代わりあたしだけ精霊術をアリにして。時間もあたしが満足するまでなんてどう?」
「いいね。変則ルールで面白そう」
互いに装備完了。正面へ構えた俺に対し、ケインも右手の短木剣を半身に構える。
先手を取らんとした剣先の下を潜られた。
咄嗟に退がりながら手を上げ、腹部への突き上げを剣身で受け流す。カァンと乾いた音を残し、手首を捻って突き下ろした剣先が、低く構えたケインの背を捉えた。
「かはっ……くそー、綺麗に貰った」
急襲に失敗し、心底悔しそうなケイン。それでも口元は笑っている。勝気な戦意が堪らない。
次の剣撃は同時。鍔元がぶつかったまま迫り合う形に。
離れんと突き放した手応えが逃げた。ケインは回転して衝撃を殺しながら深く沈み、俺の右脛を薙ぐ。さながらつむじ風。退く暇は与えられなかった。
「な、何だそれ……!」
苦々しい敗北感が脚に残る。あの柔軟な動きからこんな決め技を繰り出すか。
ケインは離れた所で立ち上がって再び構え、楽しそうに俺を睨み付けた。弓士の時と同じ眼光が、本職の命中精度を舐めるなと語る。
「あたしにもチャンスありそうじゃん? まだまだ満足してないから覚悟してよ」
「フフ……言ったな。楽しくなってきた!」
すぐに肉薄。手元をくんと上げて意識を上へ誘導し、沈んで脛を打った。仕返しだ。歯噛みと共に後退するその左胸を突き、対応し損ねた前腕をも払い落とす。
「右手脚と心臓、もらい」
「むぐぐ……強すぎてムカつく! それでこそだけどさッ!」
再び迫るケイン。迎え撃とうと踏み出した足元に、緑の淡い光。――風術の罠。いつの間に!
片足を起点にぐるっと回された身体を無理やり止めたところで、背から心臓を仕留められた。
「くぅ、意表を突かれたぁ……!」
「きゃはは! 視野狭いぞー!」
俺が五発当てる間に、ケインが一発当てるかどうか。実力差はやはり大きいが、そんなの互いにお構いなし。この本気のじゃれ合いが新鮮で、俺は夢中だった。
だからこその油断か。攻防の末に繰り出した突きが紙一重で躱され、逆に脇腹を斬り裂かれるれることになった。用意された隙に誘われる形で、正真正銘の一本を奪われたのだ。
お見事──。爽やかな悔しさに天を仰ぐ俺の前で、ケインは拳を握って歓声を上げた。
「やった! やってやった! 今のは文句なしでしょ! 満足した、おわりっ」
「俺が不満だよ! はは……」
「あははは! いい気味!」
稽古用兜を外したケインは、汗の光る晴れやかな笑顔を向けた。
「あぁ、楽しかった! ありがと!」
偽りなく心地よく、つられてしまう。
「俺もすげー楽しかった。気分上がったよ」
自分も兜を外したところで初めて、ケインが大きく肩で息をしている事に気付いた。
「ペース考えてなかったな。ごめん」
「考えないで欲しかったからいいの」
「そう……? あ。もしかして、俺がどんよりしてるから誘ってくれたのか……?」
泳いだ目線が答えだろ!
「わあぁごめん、気を遣わせた事も知らず嬉々として滅多打ちに! 俺は最低だー!」
「ちょっとぉ! まだ返事してない!」
ケインは髪を整えるようにも顔を隠すようにも見える手付きをしながら、教えてくれた。
「……ルークのことが心配になっちゃったのは当たりだけど、私のためなのも本当。だから気にしないで」
「そう……か。モヤモヤ、少しは晴れた?」
「ふふ、お陰様でね。戦闘大好きルークさんならもう伝わってたりするかな」
知略に富み安定した戦法は見慣れたもの。だが今日は、その中に好戦的な面や独創的な発想が生きていた。そして、活力に満ちて輝く表情は眩しいくらいだった。
知った風かな……と一瞬悩んだが、他人から言われないと自信を持ってくれない気がして、結局言った。
「うん、伝わった。スッキリして見えたよ。ケインの持ち味が光ってると思った」
ケインはすぐに控えめな微笑みに整えてしまったけど、ぱあっと喜ぶ雰囲気を少しだけ覗かせてくれた。
彼女は短木剣を弄り回しながら、何かを確かめるような会話を続ける。
「そうかな。滅茶苦茶だったんじゃない? 結構思い切って、自分勝手にやってみたから」
「それが良かったと思う! 俺も普段と違う頭を使わされて勉強になった」
「本当? ……嬉しい。……勿論、実戦じゃこんな好き放題しないから安心してね!」
「えっ、取り入れてくれよ。普段の冷静で堅実な戦法に、今日みたいな遊び心や機転が加わったら強いぞ。ケイン自身楽しいと思うし」
「でもなー。失敗するかもでしょ?」
「気にするのはよくよく分かるけど、失敗しなきゃ強くなれないじゃんか」
「う。それはその通り」
「確実に押さえるべき場面は、ケインなら分かるだろ? それにさ、残り四人がカバーするのも、チームの良い経験になるかもよ。皆サポーターに頼って自由にやりすぎなんだ」
「頼られ過ぎちゃってた? それはそれで嬉しい。あはは! ……そう思っちゃおうか」
ケインの手元が大人しくなり、ほんの少し無邪気な悪戯っぽい表情が向けられる。
「実はルルちゃんの助言だったの」
「えっ、ウィルル?」
「うん。『最近、むむって顔してる。歌って踊るのオススメ。稽古するならルークがいいよ。ケインちゃん強いけど、ルークはもっと強いから、楽しく本気出せるかもだよ』って。正解だったみたい」
「そっか……ウィルルってよく見てるよな」
「ふふ。なんか悔しそうに言うんだよ。ほんと可愛かったぁ」
「俺、対抗意識向けられてる? はは!」
反抗期の思わぬ副産物だな。以前のウィルルなら気後れして言わなかったんじゃないか。
「……それに。あたし元々、ルークの真似してみたかったんだよね」
「剣の話?」
「湖の仕事した時の話。伸び伸び戦って、自分らしい強さを取り戻してたでしょ」
「……まあ」
「ルルちゃんがお見通しの通り、最近は自分の価値とか本当の気持ちとか、小難しいことを色々考え込んじゃって……。ルークの影響を受けてみたくて、付き合わせた。私の都合ばっかなの。ごめんね」
ふとアピラの助言が脳裏に蘇った。
『ルークさんには、ウィルルさんと共に――ケインさんが自ら周囲を頼るように変化を導く役割を担って欲しいですわね』
『似た悩みを持ち共感するからこそ、互いに良い刺激を与えられると考えたのですけれど』
ケインの事になると、ウィルルには先を越されっぱなしだ。そしてやっぱり、師匠は正しかったらしい。どうしろって言ってたかな。
『特に何かする必要はありませんの。ただ、ルークさんがケインさんの力になれると自覚するだけで』
そうか。他人任せな上、半信半疑で情けないが――ケインが珍しく高揚した様子を見せてくれているのだから、流れに乗ってしまうか。
「光栄だよ。参考になれたのも、思いっきり戦える相手に選んでもらえたのも凄く嬉しい。ありがとうって言われたらもっと喜ぶ」
「あっ。謝り癖が……。えへへ。……ありがとね」
何で今更、少し照れ臭そうなんだろう。他人を頼り慣れていないからか。
もう半歩だけ踏み込んだ。
「……また気が向いた時、やらない?」
「え、嬉しい! でもあたしだとやっぱり稽古相手としては不足じゃない? 大丈夫?」
「勉強になるって言ったろ。つーか、お互いが一時的にスカッとするってだけで、充分じゃない?」
「ふ、あはは! そっか。……うん。そうだね。そうしよ」
俯き気味なケインの微笑みは、不器用に少しだけニヤけていた。無防備な喜びに、俺の方が嬉しくなってしまう。
こちらも礼を言わなきゃな。
「俺の方こそありがとう。励みになった。……明日は俺も、自分らしく楽しんでくる」
ケインはいつも通りの優しく頼もしい笑顔で、俺の強がりを肯定してくれた。
「それ聞けて最高! よかったー!」
「ほんと優しいな。もう少しワガママを聞かせてくれてもいいのに」
「これがワガママだよ。勝手に心配してんの。……家族が掌返して優しくなったら、私なら正気じゃ居られない」
暗い表情は一瞬で笑顔の裏に隠される。
「帰って来てからの恨み節も楽しみにしてるからね」
「あっはは、愚痴まで楽しんでくれるのかよ? そんなのワガママじゃないよ、持ちつ持たれつの方がまだ近い」
「それの方がいいじゃん。それで!」
「俺はもっと利己的なのが聞きたいよ」
最後のは多分、聞き流された。
ケインは真剣に心配する目をしながら、微笑みと共に拳を差し出した。
「応援してる! 行ってらっしゃい」
俺がたまにカルミアさんとやるヤツだ。レヴォリオとすらやったけど、ケインから求められるとは……。
苦笑を返し、控えめに拳をぶつけた。
「うん。頑張るよ。本当にありがとう」
――苦境を共にする同志の激励に、いつも通りの『行ってきます』が返せなかった。
翌朝、まだ皆が自室にいる静かな時間に会社を出る。呑気な快晴で、やたらと寒い。
一度振り返り、もう見慣れた社屋を見上げた。夜には帰るのに、やっぱり『行って帰って来る』と呟くだけのことに抵抗がある。
今更、何でもない挨拶にまで、家族に花を持たせようと気を張っているのだ。
これから向かう人達──実家の家族こそを『自分の本来の居場所』だと認識している証拠。未だにどこへ落ち着くべきかと悩んでいる事の表れ。
そして今日、向き合うと決めた理由だ。
「……確かめて来ます」
等身大の挨拶を残し、踵を返す。
唇を噛んで拳を握り、居心地の悪い居場所へと、独りで戻って行った。




