32章266話 選ぶべきは、孤独か繋がりか
話す前に、一つため息をついたカレフさん。その横顔は、我が子を思う親そのものだ。
「ログマは、望まぬ孤独に馴染み過ぎた人なのですよ。矛盾の中を彷徨い続けている」
「矛盾、ですか」
「独りである事に安心しながら、繋がりを渇望している。いざ繋がりを得たなら、扱いに困り疲れ果て、時には放り投げてしまう。そういう人です。周囲の理解が追いつかないのも自然なこと。本人も迷っているのですから」
「……なるほど」
面倒だと言いながら俺達へ関わってくるのが、どっちも本心って事なら、説明はつく……か?
「加えて、過酷な境遇を生き抜いた経験が根を張っています。強い拒絶が身を守り、受け入れる度に傷付いてさえいた」
「……あの刺々しい態度こそが、あいつの『生存戦略』だったのですか」
「おお。まさに、ですよ」
「ハハ……身に覚えがある気がして……」
正直動揺している。真逆だと思っていたログマを、共感という形で理解させられるなんて。
もしやログマの歩み寄りも、何か俺に共感して――まで考えたところで、話が進んだ。
「ご相談にお答えするにも、私は過去から想像するしかありません。重い話となりますが……まずあの子の生い立ちを聞いて頂けますか」
「ぜひ」
カレフさんは品のある目礼の後語り始める。
「ログマは、移り気な実母が、異国の名も知らぬ男性との間に授かった子供です。数々の事情が不利にはたらき、母子で貧しく暮らしておりました。実母の育児は非常に気まぐれで、恋愛を最優先に生きていたと聞きます」
「……親がそれだと、周りが……。嫌な想像をしてしまいますけど」
「現実的な観点ですよ。哀れみと蔑み、心無い言葉や好奇の目……。ログマは何もかも満たされない生活の中で、それらを一身に受けて育ちました。喧嘩や不良行為、目上の人間への反発が、成長と共に目立っていったそうです」
以前、深く考えずに瞳の色と出身について尋ね、回答を拒否された事があった。……悪い事をしたな。
「そして母は、頻繁に恋人を家へ連れ込みました。見知らぬ人が代わりばんこに出入りすれば、ログマは安心できません。その上、長時間家から出される事や暴力を受ける事も日常でした」
「……そういう時、母は?」
「恋人の側に立ちます。ログマを邪険に追い払い、暴力に加勢するのです。あの子も大人二人を相手に反撃し身を守りましたが、それがまた恋しい母を遠ざけた。やるせないことですよ」
巷で伝え聞く崩壊した家庭の話が、ログマの印象の背後に生々しく結びついていく……。
「終いに実母は、恋人と共に姿を消してしまった。まだ十一歳の少年が、唯一の肉親に追い縋りさえしなかったことが、全てを物語っているように感じます」
「……少しだけ聞きました、それ。捨てゼリフが随分冷たかった」
「はい、本当に……。しかし幸い、学園にはあたたかい教師がいらっしゃいました。問題児だったログマの異変に気付き、市のお役人と共にここへ連れて来て下さった」
「救ったのは他人の親切か。そういうことって、ありますね……」
「ですがログマは、飢えて弱ったその時ですら大人へ抵抗していました。私へ噛みつかんばかりに叫ぶんです。──『そのカワイソウって目をやめろ! 生きるも死ぬも俺の自由だ! ひとりでいい!』と」
近づく全てを敵とみなさなければ、身も心も持たなかったんだろう。そういう視界を、少しだけなら知っている。拳に力が入った。
カレフさんはログマの擦り減った心情を、まっすぐに言葉にした。
「思い出すと涙が出ます。あの子は物心ついた頃からずっと、たった独りで、必死に闘ってきた。どんなに寂しく、苦しかったか。怖くて、悔しくて、耐え難かったことでしょうか……」
声を震わせハンカチで目元を押さえる姿に、深い慈悲を感じた。綺麗事のような思い遣りを本気で口にする人を前にして、何故か涙ぐんでしまう。
声色は少し明るくしたカレフさんだが、その顔の憂いは消えはしない。
「幸い、ログマはここで暮らし良い方向へ変わったと思います。心身の状態について医療の助けを受け始めたことと、先程の二人が同時期に仲間入りした事は、特に大きかったですな」
「そっか、病院もか。あの二人は、まだ本当に小さかったのでは?」
「ラシュは五歳、ピリアは三歳でした。幼く弱々しい彼らが寂しいと泣くことが、ログマにとっては非常に気分が悪かったようです。昔の自分に重なって見えたのでしょうか」
「……で、どうしたんです?」
「慰め、手を貸しましたよ。不器用にね」
「えっ、親も真似られないのに!」
「ふふ。仰る通り、ログマは小さい子を扱えず困っていましたよ。……当時のシスターが、弟と妹への接し方を教え見守ってくれましてね。結果、先ほどご覧の通り、手放しに懐かれました。あの子らは互いに、信頼や安心を学んでくれた」
「凄いな……。あぁでもログマって、思いっきり文句を言いながら解決に動くとこ、ありますね」
「今もそうですか。ふふ」
「……そのシスターさん……今はいらっしゃないんですか」
話しにくそうに見えて、聞いてしまった。事実は、嫌な予感を上回る。
「……ええ。自ら、神の元へ還りました」
自殺かよ――。小さく驚きの声こそ漏れたが、何も言えなかった。
「皆様が届けて下さったペンダントは、彼女の形見です。それをラシュが無くし、結果としてログマが六年ぶりに姿を見せてくれた。キャスネルが繋いでくれたように感じます。……しかし同時に、ログマがキャスネルとの別れを抱えたままだと察せてしまった」
静かな夜に一人でペンダントを見つめていた、ログマの背中が思い出される。あいつも何かの縁を感じて、父の依頼に応じたのかも知れない。
「キャスネルはこの孤児院で育った先輩として、子供達に様々な愛を教えてくれました。私や子供達は勿論、街の人々にも親しまれる、立派な女性でしたよ」
「愛し愛される人ですね。ログマも慕ってたんでしょう?」
「はい、見えにくかったですがね。ログマが心の隅で実母に求めていた繋がりは、キャスネルが補ったと思っています。キャスネルもまた、比較的年長だったログマを頼りにしていました。歳の離れた姉弟のような関係です」
「幸せそうに聞こえますが……それでも」
「……はい。二十九歳で突然、冬の夜の河へ身を投げてしまった。岸に繋がれた綺麗な姿で見つかりました。皆の迷惑にならぬようにと考えたようです」
「……とても……優しい人ですね」
「そう、今思えば優し過ぎました。遺書に……止めどない寂しさと疲労、空虚な自分への絶望、そして皆への謝罪と愛が切々と綴られていたのですよ。私はあの子が隠した傷を、そこで初めて知りました……」
二十九、今の俺より歳上だ。それでもこの父にとって、キャスネルさんはいつまでも可愛い子供なのだろう。――いなくなった、今も。
彼は年月の刻まれた顔に深い悔恨を浮かべ、今一度天を仰ぐ。
「私達の神は、死を自ら選ぶ事もまた人の業として赦します。……それでも私は、キャスネルにとっての現世が苦しかった事に、他ならぬ自分を愛せていない事に、気付いてやりたかった。あの子自身の幸せを、共に考えたかった……」
「そ……そんな、貴方が自分を責める事は、誰も望んでない筈でしょ」
「お心遣いに感謝申し上げます。そして申し訳ない。やめられないのです」
遺された痛みに圧倒されるばかり。寄り添う言葉が出てこない。俺は、死にたい気持ちを抱えて生きる苦痛に、少しばかり浸かりすぎたらしい。
愛情深い老紳士は、しきりに目元をハンカチで押さえて言う。
「さらに悔やまれるのは、その遺書と遺体を、ログマに発見させてしまった事です」
「あ……。どうして」
「彼は眠りが浅いため、誰よりも早く起きた。それだけです。それだけで……」
「……不運なんて言葉じゃ足りないですね」
やっと解いた警戒心、受け入れた繋がり。それは、すぐ隣にいた恩人の寂しさを救い得なかったと突き付けられた。……無力感は、想像するに余りある。
「それきり殆ど口を開かなくなったログマが……埋葬も終わろうという時に、『俺達に見えてたあいつは、全部嘘だったのか?』と尋ねるんですよ」
「嘘、か……」
「私は……うぅっ……『そう在ろうとしたことは真だよ。選択を尊重し、祈ろう』と答えましたが……。今も、何と答えてやるべきだったのか、分からないままです……」
すみません、と嗚咽を堪えるカレフさんの姿は、一層老いて見えた。いいんです、とかぶりを振ったまま目を逸らした。
風竜戦が思い返されて胸が苦しい。俺はあの時、どれだけあいつの心を抉ってしまったんだろうか。
他人の死を背負えないとごねた俺を、ログマは苦しげに尊重した。一人で死地に残ったと知り、真っ先に助けに戻って来た。結局死に損ねた俺を質問攻めにした。そして最後に、身内の自死は堪えると、自分の弱点を明かしてくれた。
──全て、キャスネルさんの件が癒えない傷として残っている証拠だろ。
カレフさんが気丈に話を戻す。
「私達は皆でキャスネルを弔い、振り返って泣きながら、前を向いていきました。しかしログマだけ、そこに加わりませんでした」
「整理できなかったのか、したくなかったのか……両方かな」
「そうでしょう。それからのログマは、感情を隠し、対話を避け、頻繁に姿を消すようになりました。以前のような不良行為に加えて、異性関係で揉めるなど、いっそう荒れ……それすらも、自分一人で全て片付けてしまった」
「皮肉ですね。成長した分だけ孤独が深まったんだな……」
「仕方がない面もあります。あの時のログマは、その孤独と自由を求めていたのですから。そのままあっという間に一年が経ち、学園卒業と同時にゼフキへ旅立ってしまいました」
「そんな寂しい別れ方を……。それきり手紙だけですか?」
「はい。しかし消息を絶たれるものと覚悟して送り出したので、初めて手紙が届いた時は本当に嬉しかったですよ。住所の他に書いてあったのは『生きてる』との一言だけでしたが」
「無愛想すぎるでしょ!」
「はは! 私にはそれすら可愛らしく思えてしまいましてな。心配されている事は気に掛かっても、戻る気はない──落とし所は生存報告だったか、と」
なるほどあいつらしい、と思ったところで苦笑してしまった。
「本当だ。ずっと矛盾に悩んでますね」
「ご納得頂けましたか。ログマは人と関わる度に、身を切るような選択と賭けを迫られ続けているのです。そしてそれでも、人と関わるのをやめられないのです……」
カレフさんは一息ついて、柔らかい微笑みを見せた。
「ですが今は、もう少し楽に折り合いをつけられるようになっていますよ。今日の様子を見れば言い切れます」
「だといいですが」
「イルネスカドルさんに入った後から、手紙の内容が増え始めたのです。そして今は、成長した自分と共に、自分で作った仲間を見せてくれています。喜ばしいことと言ったら!」
そこで首を傾げた彼。
「ですが先ほどのお話で、妙に浮いていた文章を思い出しましてな。……セイナスさんが亡くなり、ルークさんが加わったのはいつですか?」
「えーと、殉職が昨年の年始ですね。……それを気に病んでもう一名自死したそうで……。その後、俺が四月に入社しました」
カレフさんは複雑そうに目を伏せる。
「嗚呼。やはり年始の出来事が、私達とこの場所を振り返らせたことは疑いようがないですね。――しかし、気になる手紙はそれより前でしたよ」
「え? ……ログマは貴方に、何て」
父は頷き、息子の言葉を代弁した。
「『搾取することが目的の奴ほど、懐に入るのが上手いらしいな。してやられた。お前も誰彼構わず助けるのはやめろ。自分も周りも根こそぎやられるぞ』」




