27章213話 培われたもの
穏やかに流れるクラシック音楽。温かい食事の香り。テーブルの上に飾られた花瓶と揺れるキャンドルの火。団欒の場と言うには少し高尚だったが、美味しい料理と気を許せる仲間が揃えば、いつも通りに盛り上がった。
いや、いつも以上だったかも知れない。皆、苦しい一年を乗り切って笑い合えることが嬉しかったんだろうと思う。
食事がひと段落して簡単なカードゲームを楽しんだ後、ウィルルとアピラが小さく声を掛け合い席を立った。
テーブル脇に立った二人。アピラが背筋を伸ばし、頭を下げた。
「皆様。私を愛する故郷と家族の元へ導いて頂いた事、改めて御礼いたしますわ。私なりの返礼として、楽器の演奏と舞踊の披露をさせて頂きたく存じます」
「えへ、演奏は私も一緒だよ! おんなじ曲知ってたんだあ!」
嬉しそうなウィルルはこう続けた。
「皆に助けて貰ったのもおんなじだし!」
皆が拍手や笑いで答える中、アピラはこれに微笑みを浮かべて返した。気にしいの俺はその静かな反応を見て、何かが『おんなじ』じゃないんだろうか、などと余計な不安を覚えてしまった。
アピラが蓄音機のハンドルを巻き直す間に皆が静かになる。なるほど、レコードと合わせて演奏するのか。彼女が静かに針を落とすと、俺も聴き覚えのある切ない曲が始まった。
学のあるケインが静かに呟いた。
「――『望郷の木枯らし』だ」
ウィルルのオカリナが前奏に合わせて始まり、アピラのバイオリンが追って主旋律に寄り添う。レコードと生演奏が重なった重厚な音楽に、聴覚過敏など忘れて聴き入り、雑多な思考が流されていく。物悲しくも優しい曲調に圧倒されて、言葉にならない感情を揺さぶられた。……望郷というタイトルを聞いてしまったせいもあるかもな。
やがて曲が終わると、誰からともなく拍手が上がる。頬を紅潮させてアピラとお辞儀をしたウィルルがぱたぱたと席に戻り、ケインに撫でくりまわされた。
アピラはバイオリンをケースに納めてこちらに背を向け、レコードを取替えながら言った。
「次は私の舞踊を披露させて頂きます。こちらは馴染みのない曲でしょうが、気に入って頂けると嬉しいですわ」
久々の貴族らしいドレスだと思っていたが、言われてみればスカートや袖に広がりがあり、少し透けたレースが凝っていて美しい。ダンス用の衣装なのか。
やがて始まったのは、打楽器とピアノが印象的なアップテンポの曲。確かに聴き覚えはない。珍しい音色は何の楽器だろう――などと考える隙はなかった。
アピラの整った顔が妖しい微笑を湛え、こちらへ指先を伸ばす。しなやかな腕が俺達を招き抱くように胸元へと寄せられた。流し目でゆらりとターンして見せればドレスと長髪が幻のように広がる。視線を誘導された先の伸びた爪先が床についと弧を描き、ぐっと宙へ跳ね上がる姿は炎のようだ。
踊りの上手さは俺には分からない。だが緩急のある音楽に合わせて舞い踊るその全身から、感情が迸っているように見えた。それが言葉に出来ないほど美しく、艶めかしく――何より、鳥肌が立つほどにカッコよかった。
鼻の頭に汗をうかべた彼女は曲の終わりでレコードを止め、いつものようにドレスの裾を摘んで恭しく礼をする。周りから拍手が上がり、慌てて続いた。
余韻に浸りたかったが、鈍感なレイジさんの声が雰囲気を会社らしく戻してしまった。
「お見事! よし、一旦締めるぞ」
ハンカチで汗を拭いながら席に戻ったアピラと入れ替わりでレイジさんが前に出る。
「仕事納めまでまだ三日あるが、年末年始はしっかり休んでまた頑張ろう。――てことで解散! 二次会なりなんなり、好きにするといい。問題は起こすなよ」
ダンカムさんが席を立つ。
「ああー、楽しかった。僕も帰ろうかな」
「――俺も早めに休もうっと」
続いたのはまさかのカルミアさん。二次会に居ない事などない人が早抜けを宣言した事に、全員が驚愕の声を上げた。
何だか寂しい気がして身を乗り出す。
「どうしたんだよ、酒はまだ足りてないだろ? 体調悪いの?」
「ははっ、いつもは控えろって言うくせに! いいんだよ、この会は」
含みのある答えの後、彼はアピラへと顔を向けた。
「お嬢。この場で話したい事があるでしょう? ごめんね。皆に聞いて貰ってよ」
「あら……。察しが良いんですのね。カルミアさんにも聞いて頂く気でおりましたから、残念ですわ」
「うーん、えーっと。聞きたいのは山々なんだけどさぁ、なんて言うか」
頬を掻く彼を、皆は怪訝そうに見ていた。気まずい様子なのは、レイジさんとダンカムさん、そして俺。――カルミアさんの背負う事情を知っている者達。
きっとアピラはこれから、拐われて娼館で過ごした四年間の話をするんだろう。そして、妻を暴行で失ったカルミアさんは、自分がそれを聞く事は出来ないと判断したんだ。
いつの間にかコートを着たレイジさんは何か言いたげなダンカムさんの襟首を掴んで引っ張る。
「じゃー俺らはこれで。また明日ー」
彼らはカルミアさんを横目で見つつ、何も言わずに食堂を出ていった。
優しいカルミアさんは、しゅんとしたアピラと俯いたままの俺を順に見てため息をつく。
「仕方ないなあ。この際だから皆に言っとくか。――俺、性が絡む犯罪の話は地雷なんだ」
各々の小さい驚きの声を受け、カルミアさんはふっと自嘲気味に苦笑した。そして、アピラに今一度向き直る。
「お嬢の話を聞きたくない訳じゃない。けど、俺は感情移入し過ぎてしまうと思う。背負えない話は聞かないのが、俺なりの誠意なんだ。君の事を知らないままでも、力になれる形があると思ってる。……分かって、くれるかな」
アピラは少し瞳を揺らした後、頷いた。
「寂しい気持ちはあります。……でも、踏み込まない理由を教えて下さるのもまた優しさだと、理解していますわ」
「ありがとう。――ああ、でもな……少しだけ、応援の言葉でも残しておこうか」
彼は踵を返し、テーブルに背を向ける。皆に表情を隠したまま、淡々と言った。
「あの演舞を見れば少しは分かるよ。――自分の不幸に囚われて立ち止まらずに、打破するための行動を起こしたんでしょう。理不尽を受け入れて糧にしようと動いたんでしょう。四年前も、今も。……尊敬するよ」
アピラが息を詰まらせ口元に手を当てる。カルミアさんは一度も振り返らずに手を振って、おやすみ、と小さく言い残して去った。
アピラは顔を覆って泣いていた。隣のケインが、その背を撫でながら言う。
「……踊ってた曲、南方の島国っぽかったね。そこにいたの?」
ぐすっと鼻をすすったアピラは頷いた。
「ええ。……先程の舞踊は――『パンジー』の名で披露していたものですわ」
源氏名だ。背景を思うと苦しくて、隣で渋い顔をして黙りこんでいるログマに頼った。
「話しにくいなら『パンジー』さんの話として聞かせてよ。ここには、誰の話? みたいな態度でしらばっくれようとしてた『銀狼』もッ」
言い切る前にログマに後頭部を張り飛ばされて目の前に星が散った。でも狙い通り、アピラは大笑いしてくれたから、ログマのプライドも俺のダメージも安いもんだ。……だよな、ログマ!
アピラがハンカチで涙を拭う。
「お気遣いがありがたいですわ。でも、カルミアさんのお陰で気付いたんですの。私は『パンジー』ではなく『アピラ』としてあの舞踊を――四年間の努力を見て頂きたかったのだと」
ずっとモジモジと言葉に悩んでいた反動か、ウィルルの声は大きかった。
「すっごくすっごく、綺麗だったねえ! 私びっくりだった!」
「ふふ……嬉しい。ウィルルさんはお世辞を言わないと分かるからこそ、喜びもひとしおですわ。この前の稽古でご指摘頂いた通り、体幹や脚力の弱さはずっと課題だったのですけれど」
すかさずケインが頭を下げた。
「ごっごめん! 何も知らずに、私……!」
「いえいえ。私の人生が地続きだと気付く、良いきっかけでしてよ。弱点も変わらずですが、培われたものもある筈だと思えたんですの」
涙に潤んだ瞳は、それでも前を向いていた。
「皆様、お願いです。パンジーとして過ごした、私の話……聞いて頂けますか」
一様に頷いた俺達を見て、彼女の笑顔がぱあっと咲いた。




