27章210話 負けるな
思い出す、今日の稽古を発案した時の会話。髪の毛を弄りながら、言いづらそうに話すケインの不安そうな顔。
『あのさぁ、アピラってさぁ、他人との衝突を避けるのが凄く上手じゃん? ……ちょっと上手過ぎると思わない? 逆に心配って言うか』
『……何か気になるなら詳しく聞きたいな。俺は憧れて見習おうとしてるから、気付けてないかも』
『うーん……。アピラのあれは、相手と同じ戦場に立たないっていう戦略だと思ってるのよ。自分と相手をはっきり区切って、互いへの影響を回避してる。その点、武技の稽古って相手と対峙する事が大前提だから、どうなるのかな? とか思うとさ』
『――なるほど! アピラは争い事の回避が上手過ぎて、正面きって戦う経験が乏しい可能性があるのか。回避が通用しない相手や、向き合って勝敗をつけるべき状況に弱いかも知れない。それを心配してるのか?』
『う……そゆこと。充分しっかりしてるけど、今は自信を失ってるらしいし、悪意を向けられやすい事情も背負ってるでしょう? つい余計な想像と心配をしちゃうの。稽古で何か掴ませてあげられないかなー、なんて思っただけ』
あの時のケインは思い付きを零してくれただけ。俺も曖昧な返事をして話は終わった。
しかし今、ケインはわざわざ俺を指名した。初心者の技を受けるだけなら誰でも良いし、攻防を考えれば同性相手の方が適してる筈なのに、だ。
――俺の役割は『立ちはだかる』事だろう。回避出来ない強敵としてアピラに対峙するのだ。
間合いの外で向き合い、礼。短木剣を構えてなるべく優しく笑って見せた。
「特に時間制限は設けないよ。最初は俺が言った箇所を狙って、前進しながら攻撃してみて」
「……分かりましたわっ」
「さ、おいで。――右肩!」
ぽすん、と肩当てに木剣が当たる。遠慮の塊だ。まあそれでいいさ、最初はね。
「腕だけじゃなく、全身の筋肉を使って剣を振るイメージで。前に踏み出すのと攻撃が当たるのが同時だともっといいな」
「はいっ」
一歩ずつ退がりながら、防具と短剣でアピラの攻撃を受ける。えい、やあと掛け声が付き、攻撃速度と威力が上がってきた。気後れが消え、技を磨く事に集中しているのを感じる。
――頃合かな。
「はい、一旦休憩。慣れてきたか?」
「そうですわね、はあ、ふぅ……多少は」
呼吸を乱して返事をしたお嬢様に言い放つ。
「ここまでは稽古。ここからは戦闘な」
「えっ……? 意図を、汲みかねますわ……」
「自由に攻撃して、仕留めてみせろ。俺も反撃するし、半端な攻撃は弾く」
緩み始めていたアピラの表情に緊張が戻る。それを煽るように、敢えてにやりと笑った。
「どんな手を使ってもいい。ただ、さっき言った通り、時間制限はなしだ。疲れても泣いても吐いても、俺から一本を奪うまでは終われない。本気でかかって来い」
「なっ……私の実力を大きく超える難易度ではなくて? 辞退させて下さいまし!」
「俺が、君の成長に必要だと判断した。だからやる。実力を考慮した難易度に調整もする。これもよくある訓練だ、意地悪ではない」
アピラの心臓へ向けて構えた。こればかりは職業病だろう、表情が締まり殺気が滲むのを自覚する。彼女はそんな俺を見て口を閉じた。
止むを得ずという様子でアピラも構えるが、剣先は明後日の方向。また遠慮か、はたまた回避策を考案中か。敵対する経験が少ないという想像は当たっているのだろう、ヌル過ぎる。
逸れた剣先では俺の接近を牽制できない。本気の速さで踏み込み、腹部へ回し蹴りを叩き込んだ。
「きゃああ――!」
加減はしたものの、小柄で軽くて鍛えられていないアピラは簡単に吹き飛び尻餅をついた。
すかさずケインの檄が飛ぶ。
「来るよ! 立てっ!」
凛とした声にはっとして立ち上がるアピラ。無表情で歩いて行くと、慌てて飛びかかってきた。
体幹への斜め切り。木剣で受けた。裏庭にカァンと乾いた大きな音が響く。
アピラは俺の肩の高さで木剣を交差させたまま、がむしゃらに力をかけてくる。その眼はもうお嬢様のそれではない。点火が早くて何よりだ。
だが――。
「敵の目の前で足を止めんなよ」
横にずれて、木剣に込められた力を逃がす。俺のすぐ隣へよろめいたアピラの右の肘当てを、パァンと音が鳴るように打った。
彼女の顔が歪む。痛みにくい打ち方をしたが、実戦なら腕を落とされていると分かる筈。身体に文字通り打ち込まれる敗北感は堪らないだろう?
アピラは屈辱を塗り潰すように叫び、脇腹へ横斬りを繰り出してきた。
「やああ!」
負けん気に免じて防具で受け止めてやった。だが足りないのは経験か気迫か? 浅すぎる。
攻撃後の無防備な腹部へ、同じように横斬り。またパァンと敗北の音が響く。ぐっと唇を噛んで足を止めた彼女の目は潤んで見える。
心は痛むが、それでも叱咤する。
「何突っ立ってる。一本だ、たった一撃、俺に致命傷を与えるだけ。まさか自分が疲れて立てなくなれば終われるなんて、思ってないよな」
「う……ぐ……ふう、はあ……っく」
涙を堪えながら苦しそうに息をするアピラに、今度はウィルルの声援が飛ぶ。その言葉は、ケインと俺の気持ちをも代弁していた。
「負けるなーっ!」
鼓舞を受け、アピラの目尻から一粒の涙が零れる。――そして、初めて見る彼女の敵意が、キッとした目元に表れた。
アピラの剣先がやっと俺の眉間に向いた。口角が上がる。
「来ォい!」
「わあああああ!」
アピラの戦意と涙が、湧き上がり溢れ出た。
駆けた勢いで跳ね、頭へ斬りかかって来た。まだ甘い。剣で受けて横へ流し、一歩退いてやる。彼女は大きくよろめき転びそうになったがすぐに振り返った。全力で振り下ろした先は俺が短木剣を持つ右手。手首を捻って弾く。
――その前腕を掴まれた。
「てぇやああああ!」
アピラは空いていた左手で俺を捕らえたまま、右手の短木剣を全力で突き出さんとしている。余裕のない状況で頭を使ったか。やるじゃないか。
無論躱せる。だがそれはしない。彼女の発揮した逞しさに顔を綻ばせ、心臓の位置で強い衝撃を受け止めた。
手応えもまた段違いだった事だろう。アピラは涙を流しながら息と身体を震わせ、呆然としている。
その肩を、敬意を込めてポンと叩いた。
「終わり。――良い一撃だった」
礼も忘れてその場にへたりこんだアピラ。木剣を落とし、口元に両手を当てて俯きしゃくり上げ始めてしまった。
タオルと水筒を持って駆け寄ってきたウィルル。アピラの傍らに腰を下ろし背を撫でる。
「怖かったよねえ。頑張ったねえ」
同じく駆け寄ってきたケインに睨まれた。
「戦闘未経験の女の子に、初っ端からガラの悪い蹴りを入れるとかバカなの?」
「うっ、あれダメだったか!」
ケインが呆れたように説教を続けようという時、アピラが涙声を零した。
「――良いのです。感謝しております」
注目が彼女に集まり、俺とケインもしゃがんで目線を合わせた。アピラはぼろぼろと涙を零しながらも微笑んだ。
「ルークさんとお話していた通り、貴重な経験になりましたわ。戦いとは、ここまで心を揺さぶられるものですか。衝撃的でした……」
ひっく、としゃくり上げ言葉を止めた彼女。流石に居心地が悪くて頭を下げた。
「突然の理不尽な戦闘に食らいついてきて、本当に凄かったよ。その……野蛮なやり方で泣かせてごめん」
アピラはかぶりを振り、泣きながらもくすくすと笑いだした。
「何故か涙が止まらないだけですの。自分の攻撃がやっと届いた瞬間……何かが解放されたようで……。うふふ、おかしい。――私はずっと、私の内の何かを抑圧し避けていたのかも知れませんわ……」
ケインと目を合わせ苦笑した。俺達の目的は十二分に達成されたらしい。
ケインがアピラに狙いを明かす。
「私達を救ってきたのは戦闘だから、アピラにもお裾分けしたかったの。沢山の大ピンチに立ち向かってきたっていう自信が、私達の人生を支えてる。だから、絶対敵わない相手としてルークを指名してみたんだ」
アピラは豊かな胸元に手を当て、ほうと穏やかなため息をついた。
「ケインさんの意図、理解出来る気がします。ぶつかり合うことで得られるものがあると学びました。……すみません、伝えたい言葉は頭に沢山あるのですが、まとまりませんわ……」
ウィルルが心配そうに言った。
「私達、訊かないよ? この稽古のお話だけじゃなくて、全部。無理に話して欲しくないと思ってるんだあ。でもね、話したいって思った時には、是非聞かせて欲しいな」
「……ありがとう。皆様なら受け止めて下さると、なんとなく分かりましてよ」
立ち上がり、アピラに手を差し出した。今の俺達が彼女に言える、過不足ない労いの言葉。
「お疲れ様」
アピラは破顔して俺の手を取った。立ち上がったその脚はもう震えていなかった。
すかさずケインが言う。
「次はルーク対私ね。歴の長い短剣なら勝てる気がする。ルークの性格も丸裸にしてやる」
「お、やってみろ。もう師匠との稽古で間合いは掴んだぞ。本職剣士の分からせを食らえ」
ウィルルがアピラの腕を掴んで引いた。
「……避難しよ。あの二人はちょっぴり負けず嫌いだから、きっと激しい試合になるの」
「ちょっぴりどころではなさそうですわよ」
結局この勝負は時間ギリギリで俺の勝ち。その後は代わる代わる全員に挑まれ続け、最終的には三対一や、殆ど遊びのルールを設けた勝負になった。その全てで勝利を収め、心地よいブーイングを食らいながら高笑いしてやった。
この日の稽古は良い思い出になった。互いの持てるものをぶつけ合い、互いの成長を考える中で、各々に活力が漲っていくのが分かったからだ。
アピラもまた、この乱暴で血なまぐさい切磋琢磨から何かを得てくれたんじゃないかと思う。彼女の黒い瞳に揺れる朱色の夕陽を見て、勝手にそう思っただけだが。




