27章206話 怯える俺、綺麗な手
突然、そして今更、なんでそんな事を訊く?
答えがないからか、俯いて指先をより合わせる彼女の声は、少し頼りなくなっていた。
「ほら、私……ルークの家族の話、前に少し聞いたじゃん。良くも悪くも、深く干渉する家族だったのかなって印象があったんだ」
「ああ……そうかも。うん。そうだね」
「なら、こうして身近な存在に干渉されるの、警戒して当然でしょう? けど昨日、育ち方を間違えたなんて言って……笑ってるから……。逆にほっとけなくなっちゃった。ごめん」
顔が綻ぶ。終わり損ねた時、耐えられないと零した相手がこの人で、本当に良かった。
「ありがとうな。謝ることない。全部ケインの言う通り。その……怖いよ」
「……そうだよね」
「でも、会社の皆に限った話じゃない。怖いのは他人の裏切りじゃないから。裏切られる自分が怖いんだ」
これまで無視して口に出せなかった言葉が素直に出てくる。真剣に耳を傾け、続きを促すように頷くケインに、甘えることにした。
「他人に蔑ろにされていると、自分に失望するんだ。あぁ俺はそういう扱いで良いと思われる奴なんだ、ってさ。相手が自分を知っている分だけ深く傷付く」
「そんな。相手の性格が悪いとか、冷たいとか、言っちゃっても良いんじゃないの……」
「そうかもな。でもちょっと連続しすぎて、俺に原因があると思わずには居られなくなった。そしたら、俺を知る全ての他人が脅威になり得るだろ。だから怯えっぱなしだ」
悲観的で情けない話。だけどケインはしゅんとして聞くばかり。さっきみたいに弱みを射抜く事だって出来るだろうに、しない。仮に、俺を下に見て詰る事が快感だったとすれば大チャンスなのに、食いつかない。
――振り返れば俺は、度々この確認をしている。自分の弱みを知った相手の反応を見る事で、引き際を窺っている。保身のために相手を疑い試す、失礼な確認だ。
そしてケインは……そんな確認を何度くぐり抜け、今目の前に座ってくれてるんだろう。
怯えているけど、その優しさに応えたい。この複雑な気持ちはどうしたら伝わるのか。
「――怖いからこそ、人を知ろうとし続けてるのかもな。そのお陰で、俺を理解しようと真剣に話し合った皆も、気を遣いながら踏み込んできたケインも、家族とは違うって分かるよ。俺を都合良く扱って、思い通りにならなければ罵るなんて……しないと信じてる」
心を開く感覚が分からず、口下手や嘘つきは自覚している。それでも今の俺のありのままを話してみるしかなかった。ケインの返してくれた微笑は、充分伝わったと語っている気がした。
「……そう言ってくれて嬉しい。私も少しは、ルークに安心を返せる存在になれたのかな」
返す――? ミロナさんの肯定が過ぎる。俺が皆の心を開き、皆もまた歩み寄ろうとしていると。お世辞でも充分な言葉に実感が伴い、腑に落ちた。固く凍った心身が解けていくように感じる。
でもだとすれば、やっぱり過大評価だ。俺は自分の思うようにやってきただけだし、助けられて恩を感じているのは俺の方。そう思うと、言葉はともかく、顔には苦笑しか出てこない。
「少しどころじゃない。相当楽にしてもらってるよ。さっきは珍しく強引だから気圧されたけど、あれも心配してくれてたからなんだろ」
「そう。昨日の消耗は尾を引くと思ったのに、歓迎会には元気に参加してたから本当に心配だった。記憶を辿って口に出すのも、意識して自分を変えるのも、結構辛いじゃん……?」
「……うん。辛かった。辛いよ」
「でしょう。それで今日、昼まで音沙汰無いまま出てこないから、助けの求め方が分からないどころか、誰かに助けを求める発想すらないかも……て想像して来た。割と当たってるように見えたから、無理やり手を出してみたの」
図星。閉口して布団の中に隠れたら、彼女の笑い声がくぐもって届いた。
「あっははは! ――でも今回だけ。これからは無理強いしないけど、たまには手助けさせて? お節介を受け取ってよ」
少し考え、布団から首を出した。
「申し訳なさと恥で死ぬ生き物だから、本当に控えめで頼むよ。……今日はありがたく受け取ります」
「ぷふっ。じゃあ改めて聞くけど、昼食はどうしたいの?」
「……皆と一緒に食べたいのは本当だ。けど不安感? で上手く動けなくて……意地張って駄々こねずに持って来て貰った方がいいのかな、とも思ったり……分からなくなった」
「よろしい! 今のは素直だった気がするな。じゃあ私が連れてってあげる。ほら、頑張れ」
右手を差し出される。痛々しいひびの見える華奢な指、あちこちにタコができた掌、長袖から覗く細い手首と洒落たブレスレット。
まるで彼女の生き様そのもの。綺麗だな。俺が触れてもいいんだろうか。なんて迷いながらも手を伸ばすと、きゅっと握られてしまった。
優しく引かれるままに、ずるずるとベッドを出てスッと立った。え、出来んじゃん……。
決まり悪さに顔を伏せるが、ケインは気にしない。足早に部屋を出ようと手を引き続ける。
「さ、行こ行こ。皆待ってくれてるよ」
「あぁ、うん、その前に着替えたいです」
「じゃあ早くやって! 手伝うから!」
「うええ? 絶対ヤだよ! これは素直です信じて下さい! 考え直して欲しいです!」
彼女はびたりと立ち止まる。後ろの俺から見える耳と頬がみるみる赤くなった。出て行けと言えない俺も悪いが、君は君で、今初めて気付いたのかよ?
「ごっ……ごめん! 外で待ってます!」
つられて敬語になり、慌てて手を離して部屋の外へ飛び出して行ったケイン。あせあせと閉まったドア。らしくないな――と思ってようやく、彼女が気負っていた事に気付いた。
それに。皆が待ってくれてるって? 話し合いの末に代表としてケインを送り出した流れに違いない。寝込むほどビビりつつ優しくされれば出て来るザコを相手に、全く大袈裟な話だ。
昨日はド下手クソと呼ばれるままにしたけれど、今日は小さく呟かせて頂こう。
「下手なのは俺だけじゃないと思うよ」
くすぐったいような笑いが込み上げた。身体を縛っていた恐怖と不安は、一旦どこかへ隠れてくれたようだった。




