27章204話 狭間に彷徨う
27章 痛むからこそ
俺が派手に羽目を外したのが嘘のように、アピラの歓迎会は温和で楽しいものとなった。
やはりアピラは凄い。ありのままの自分と他人を同時に尊重している。彼女に感じる安定感の軸はそれだろう。一度師と仰げば、ただただ尊敬するばかりだった。
けれどその夜。俺は酷い悪夢にうなされた。
言いなりになったきり忘れ去ったはずの幼少期の記憶。抱き始めた反感を冷笑で流した気になっていた思春期の記憶。自分を偽るのが上手くなった分封じるものも多くなった青年以降の記憶。それら全てが『家族へ抱いたストレスを自覚する』という鍵一つで一斉に解き放たれて夢に現れた。
タチが悪いのは、最後には自分が敵に回って言い聞かせてくること。
『でも結局は、全部自分のせいだよな。本音を隠したのも、心を殺して偽ったのも、自分のため。自分の判断だ。今の生きづらさも自分が築き上げたんだ。昔のことを蒸し返して被害者意識を強めたって何にもならないぜ』
「うるさい!」
自分の大声に驚いて目を覚ました。両腕で身体を抱き、固く縮こまった姿勢だった。まるで何かから必死で身を守るように。
寝ぼけ半分で顔を顰め、痛いほど噛み締めていた頬を揉んで緩める。記憶を掘り返せば、こういうこともあるか……。理由が分かるだけマシだ。病気だから仕方ないなんて無理やり受け入れてたこれまでに比べれば。
全く。うるせえよ、俺。全部自分のせいだなんて極端な事を言うな。環境の影響もあると認めただろうが。築き上げた生きづらさを楽にするところなんだから、元に戻そうとすんな。
軋む身体を伸ばして緩めたのが災いしたか。再び抗いがたい眠気に襲われた。
半分起きた状態で微睡めば、過去が現在を蝕む。思考に母さんの声が割り込んだ。
『もう朝食でしょ? 四の五の言わず起きなさい。皆さんと一緒に食事を摂って、生活リズムを維持するんでしょ。病気を治すんでしょ。何のためにここにいるの! これ以上私達に恥をかかせないで!』
「うっ……」
強く頭を振って覚醒を試みる。自責の解像度が上がってないか……? だが確かに時間は気になる。枕元に手を伸ばし、時計を掴んだところで再び意識が飛びかけた。
なんだこれ、異常に眠い。ウィルルが昏睡した時、ストレスの防衛反応だってログマが言ってたな。それだろうか。
何にせよ不調ということだ。今日の朝食は欠席かな。そんな思考を父さんは見逃さない。
『怠ける理由探しが本当に得意だな。剣の大会で結果を出してた頃のお前はストイックだったのに、随分腑抜けたもんだ。そんなだから兵団で舐められんだよ。今の職場もいつまで続くか見ものだな』
「うっ、あ……!」
聞くな、自分の記憶が作る妄想だ。掴んでいた時計で頭をガツンと殴って気を引き戻し、時間を確認する。これは……何、時……えっと、十時……? 朝食の時間は過ぎてる。別に腹も……減ってないし――。
時計を枕元に戻すかどうかのところで、無情にもまた瞼が閉じる。遠くに聞こえる妹の声。
『兄さんはまた寝てんの? フン、よく飽きないよね。父さん母さんもさ、甘いんだよ。さっさと叩き出せば良かったんだって。自力で生きていくしかなくなってもこの体たらくなんだから、救えないでしょ』
「ぐっ! う……ふ、うう……」
夢から逃れようとした身体がビクッと跳ねた。せっかく伸ばした身体を再び縮め、頭を抱える。だめだ、やっぱ、起き…………嫌だ、眠りたくない! ねむりたく……ない――。
結局はこいつ。嬉しそうなウッズの声。
『な、やっぱり僕が正しかったんだ。僕には沢山味方がいて、ルークは家族にすら見放されてる。ひゃははは! 今はたまたま上手くいってるかも知れないけど、調子に乗るなよ。お前の無様な姿の数々、僕は忘れてあげないから』
「ああぁ、黙れ……! クソ……」
言い返すと少しだけ意識が現実に戻って来れる。この隙に起き上がりたい。なのに全く身体が動かない。布団の外に出る行動が取れない。
――これ以上絶望したくないからだ。今の俺に危害を加える環境なんてないと、俺を認めて対話してくれる人達ばかりだと、分かっているのに……俺は自分の中の不安に勝てないんだ。
「うぅ……寒いな……」
冷え切った身体に、いつになく冬の寒さが沁みた。地元に比べたら全然平気なはずなのに。
身体も心も、全く思い通りにならない。眠ったり飛び起きたり、震えたり喘いだりを繰り返して、どれくらい経ったんだろうか。
地獄に迷い込んだ意識を引き戻してくれたのは、部屋のドアがノックされる音だった。
ドアの向こうの通る声はケインのものだ。
「ルーク。起きてる? 大丈夫?」
心配させてしまった。慌てて返す。
「だっ大丈夫! 寝坊したよ、ごめん」
声が掠れたせいか。少し間を開けて訝しげな声が返ってきた。
「……私の見立てでは、半分以上嘘かなー」
「えっ? いや、嘘じゃ……あれ?」
「そろそろ昼食だけど、持ってくる?」
「あ、いや。少ししたら出て行くよ」
宣言すれば、流石の俺も動けるだろ。なんて考えていたら、思わぬことを言われた。
「ドアの鍵、開けられる? 食堂に出て行く前に、私と少し話さない?」
「えっ。……開けられるけど寝起きだし」
「話すのが嫌ならいいよ」
「それはないって! 分かったよ……今動くから、ちょっと待って……!」
そんなに話したい事があるのか? 何だ? 否応なしの流れだが、やはり動きにくい。待たせている罪悪感とは裏腹に、時間をかけてやっとの事でドアの前へ辿り着いた。
「お待たせしました……」
解錠してドアを薄く開くと、綺麗に身なりを整えたケインの姿が見えた。着古した寝巻きを纏った寝癖だらけの自分が恥ずかしくなる。やっぱり開けたくなかったな。早く閉じたい。
彼女は俺の見た目に言及せず、しかし強めにドアを引いた。
「お邪魔しまーす」
咄嗟に引き返し、ドアを挟んだ競り合いとなる。だが俺が不利だ。ドアノブの外側には持ち手があるが、内側は自殺防止の為につまみだけになっているせいだ。この仕様を初めて恨んだ。
「ちょ、ちょっと! なんで? 待って!」
「部屋借りたことあるしもう良くない? 話すのは嫌じゃないんでしょ」
「そうじゃない! 立ち話じゃダメなの?」
「隠すものがあるなら時間あげる」
「そんなもんな…………? うん、無い! 無いけど!」
「今しっかり考えたね。ならもう大丈夫だよね。お邪魔しまーす」




