26章201話 カウンセリング -過剰適応-
きっと重要な事。しかし素直に信じたくない話だった。慌てて涙を拭い去る。
「ちょっ……と待って下さい。俺、もう二十七ですよ。数年前の職場の話を引き摺ってるのも嫌だってのに……今更、子供時代とか……そんな遡って考える事になるんですか?」
「まあ、色々な考え方があるでしょうが、人生は過去と今が地続きですからね。問題を辿って過去に行き着いても不思議じゃないと思うな」
「……そうなんですか」
「そうよぉ。特にルークさんの場合、子供の頃から最近まで、ずっと同じ家庭環境だったんだし。……だから、子供の頃を引き摺ってる、だなんて自責はやめて頂戴ね?」
くすくすと温かく笑われる。またお見通しか。苦笑で返事をした。
俺が落ち着いたからか、ミロナさんは話を再開した。
「さっき言った『白黒思考』も、ご家庭で身についたように思います。ご家族の気分を害さないように、否定に対して防衛するために、自分の悪い部分を探して潰すように努めた。要は、身を守るための考えかなって。……どう?」
目が覚めるようだった。人生は地続きという言葉を、早速体感させられた気がした。
「……そう、だと思います。……なんて、責任転嫁みたいですが……そうとしか思えない」
「そっか。私みたいなのが『過剰適応』と呼ぶ状態ですねえ」
「適応……。良い言葉に聞こえますけどね」
「ええ。それが過剰になり、問題が発生している状態を指します。外部環境に自分を合わせ過ぎて、自分の内部、心や身体の状態と著しく合わなくなった状態とも言えます」
ふうん……と返事をしながら、ふと彼女の様子を窺った。相変わらず微笑みながらメモを続けており、紙は早くも三枚目に入ったようだ。
ミロナさんは終始淡々としている。凪いだ海のように穏やかだ。至って自然だが、不思議なくらいに安定していると感じる。
俺はさっき、自分を見透かした彼女に、全く反論できないと言った。敗北宣言をしたに等しく、ボコボコに否定される覚悟だったのだ。なのに彼女は特に喜ばず、饒舌にならず、説教臭くなったりもしない。
何故だ? だからこそ、話を聞くプロなのだろうが……。
――いや、これぞ白黒思考か。自分に隙があればどれだけ否定されても仕方ないなんて、極端な話だ。
しかしこれまでは、それが普通だった。そんな環境に合わせて自分の思考を歪めてきた。心の底ではずっと苦しいままで。……ミロナさんの話はやはり正しいだろう。現状と心情の全てに辻褄が合う。
俺が咀嚼する時間を与えてくれたような気もする。彼女はメモをしながら長めに沈黙した後、再び話し出した。
「私視点での考えを一通り話してみます。病院の視点とは別ものだし、あくまで一意見です。鵜呑みにせず、違ったら反論してね」
無言で数度頷いて続きを促した。
「ルークさんには、家庭環境に適応するため、心を抑圧する思考や行動が染み付いた。些細な弱音すら言えず、言えば更に苦しい目に遭う。だから本心を隠し続ける。そして家族を肯定する事で納得しようとしていた。二十年余りの間、ずっとです。……ここまで良いですか」
「………………はい」
「当然、兵団でもそうしてたと思う。そこで嫌な出来事があって、更なる家庭環境の悪化にも繋がった。これまでのやり方で納得出来る範囲を大きく飛び出したから、受け入れられないと仰ったのでしょう。――でも適応しようとし続けましたね。結果、自分の感情を隠したまま、その存在を消そうとした。責任は自分にあるとして納得する方針を強化した」
「……う…………そう……ですね……」
「しかし今。自分にも他人にも認められない感情が内に溜まり、心身がダメージと限界を訴えています。その例が、先程悩みとして挙げてくれた、自分を許せない苦しみや他人への不安なんだと思う。おそらく、病気とも無関係ではないでしょう。――そんな風に連なって、私には見えています。ご自身は、どう思いますか?」
「……ううう…………ち、ちょっと……ちょっと、待って下さい……」
人生の全部が、今の地獄へと綺麗に繋がりやがった。胸糞伏線回収が行われている。もう勘弁して欲しい。半泣きで、制するように前に出した手も震えた。とにかく苦しい。心だけじゃない。泣く余裕もないくらい、胸元が締め付けられる感覚がある。
でも確実に、自分の芯に触れるような感覚を得ている。その形を捉えるべく必死に手を伸ばす。捉えたら余計苦しいのかも知れないが、ここは正念場だろう。耐えろ、頑張れ、俺……!
「え、っと……。正直分からないけど、反論もありません。俺、自己理解と主張が下手なのも悩みで、この前の病院でも、自分の状態を誤認してるって話になったばかりです。気持ちを押し殺してきた結果だと思うと、筋は通るかも」
「うんうん」
「そ、それに。自分の話をして、事態が良い方向に進むと思えない。良い経験を、意図的に忘れてきたのかも知れないですが。今この瞬間でさえ、意見を主張したり、感情を明かしたりする事に抵抗がある。……怖い? 気がします」
「その『怖い』みたいなネガティブ感情こそ、特に貴方が口に出せなかった部分だと思うよ」
はっとした。
「あっ……俺、さっき来たアピラさんを、怖いと思ったんです。その理由もこれかも」
「……詳しく、話してみてくれますか」
「彼女は堂々と自分らしく、他人の懐に入るでしょ。自分らしさを殺す事で他人に近付く俺には理解できない。そんで、いつか、俺が身を守るために隠してる感情がバレる気がする。……不安です。そういう事かなと」
ここに来て初めて、ミロナさんが本当に可笑しそうに声を上げて笑った。予想外だったが、不思議と、馬鹿にされたとは感じなかった。
「あっはっは――ああ、ごめんなさいね。私の主観だけど、それを言うならルークさんの方が怖いですよ。ふふ……だって、自分を隠したまま仲間と打ち解けて、すっかり懐に入ってるのよ。とっても不思議ですよ。善良だからいいけれど、暗殺者みたい。自分の心を殺して、相手も殺す。――ってね! あははは!」
「ちょっ、何上手い事言った感じ出してんですか……!」
唖然とした。でも本当のことだ。仲良くなった実感はあるのに、俺自身は殆ど自己開示していないじゃないか。心の距離感が云々とか言ってた事もあるが、俺が踏み込むばかりで、踏み込まれることは殆ど許していない。休むと伝えるだけで、体調や病状ですら具体的に口に出していないのでは?
突然、頭の片隅に引っ掛かっていたらしい、カルミアさんの言葉が蘇った。それも複数。
『ルークが頼ってくれるのを待ってたんだ。話してくれるような気がしてた。でも――死を選ぶまで、何も、してやれなかったね……』
『ずっと話して欲しかったとか言うけど、ルークだって俺に話してくれないよね』
『色々あったんだろ。いつか聞かせてよね』
相手には洗いざらい吐かせたのに、俺の方は、何度も言わせた歩み寄りの言葉自体を忘れていた。なんなら彼、時と共に諦めていってないか? やばい! 本当にごめん!
そしてついさっきのログマのぼやきが時間差で効いてきた。
『俺達には意地でも喋らねえのにな』
オメーどうせ俺の話聞く気ねーだろ? なんて無視しちゃったよ。嫌いな奴の正体が分からなかったら不安だよな! きっと俺へのストレスで眠れない夜もあっただろう! ごめん!
心の中で皆に懺悔しながら頭を抱えた。
「いや、でも確かに……。俺、気味悪い奴ですね……!」
またミロナさんはからからと笑いながら、気になることを言った。
「あははは! ――そう考えるとアピラさんって、良い見本になると思わない?」
その視点は無かった。と思うのは今日何度目だろうか。
「ええ! ……た、確かに……素直に自己主張しながら誰ともぶつからない、それでいて個性も生きてる、彼女の形は理想ですけど……!」
「でしょう。専門的で個人的な話になるから説明は省くけど、あの子はね、皆の良い手本になる。……うん。思い切って、断言しちゃおうかな!」
往生際の悪い俺。
「でも、あれはアピラさんだから出来てることで……皆からすれば俺は……」
「あらあら、視点が他人に移ってますよー。戻して下さい。最後に、これからのルークさんの話をしますからね?」




