24章184話 弱さの供述から症状の相談へ
会社を出てまず向かったのは、通い慣れてきたアーデン精神病院。オークション後に体調が崩れたとしてもすぐ相談できるようにと、通院の予定を調整しておいた。
受付を済ませ、十分ほど待って名前が呼ばれる。診察室に入ると、アーデン先生がいつもの挨拶をしてくれた。
「はい、こんにちは」
「こんにちは」
椅子に座る俺に、これまたいつもの質問。
「具合はどんな感じかな?」
前回の診察は二週間前――仮設アジト潜入作戦より少し前だ。
「この二週間は会社関連で忙しかったので、心身の疲労感はあります。でも不思議と、そこまでの辛さを感じていないです」
「ふうん……? そうですか。――その首と左手も仕事中の負傷?」
流石は先生。よく見ている。
「ハハ……つい昨日やられました。自分でやった訳じゃないし、今は大して痛くないので大丈夫です」
「うぅん。大丈夫って言ってしまうと違うんじゃないかなあ」
「え。でもこれは症状じゃないし……」
「だけど、体調に影響する事だよねえ」
「……そう……ですか……?」
「人に敵意を向けられて激しい戦闘をしたんでしょう。ルークさんは戦闘慣れしてるだろうけど、ストレスは確実に掛かる。大丈夫だって流すと、後で辛くなる事があるよ」
夢から覚めたような気持ちだ。言われて思い出せば、痛いし苦しいし、強い悔しさもあった。乱暴で挑発的な言葉を浴びせられ不快だった。あれがストレスでなくて何なのか。なのに指摘されるまで、心のダメージはほぼ無いと認識していた。
――あれ? 考えれば、あれもこれも先生が言った通りではないか?
雨季に倒れたのは、引越しと転職を同時にこなしたストレスを軽視し放置したから。業務提携中の絶不調は、無意識に気負い続けた疲労の爆発。
毎回、大丈夫だと思いながら突然倒れるのだ。その後で原因を想像するが、その時には既に沢山の事が重なりすぎていて分からない。
呆然と、素直な感想を口に出した。
「……俺は、自分の感情や状態をかなりの頻度で誤認してるんじゃないか……て気がしました。なんでそうなってるのか分からないけど」
先生はカルテに向けていた顔をこちらに向け、微笑んだ。
「それを自覚出来た事は、重要な前進だねえ」
驚いた。優しく、真摯な説明をするアーデン先生。だが、笑顔を見たのも前向きな言葉を貰ったのも今が初めてだ。
先生は微笑んだままカルテに向き直る。
「それを踏まえて、いつもの質問に答えてみましょうか。考えながら、思い出しながらでいいから、気楽にね」
「は、はい!」
こんなに素直に臨む問診は初めてだ。故郷での初診時からずっと、自分の弱さを供述させられる屈辱を感じながら通院していた。病院に行く心持ちとしておかしいな、と今更気付いて不思議な感覚だ。
質問はいつも通りに始まった。
「食欲、睡眠、気力の過不足は?」
「食欲の増減はないです。睡眠……は……寝起きの悪さが気になる……かも。気力は正直、あった試しがないですね。ずっと横になっていたいと毎日思います」
カルテを書く先生がふっと少し笑った。
「睡眠から聞きましょうかね。眠れるかどうかじゃなく、睡眠の時間と質が足りているか、だとどう?」
「……睡眠時間は取れてますが、質は足りてない……のかも。起きた時の疲労感と言うか、だるさが強いんです」
先生は呑気な調子で質問を続ける。
「次は気力、ねえ。気力が足りないとは前から言ってたけど、以前と比較してどうでしょう」
「以前か……。実家で寝込んでた時期と、こちらの病院に初めて来た頃なんかは、自力で生活するのに苦労するくらいでした。それに比べれば余程動けるようになっています」
「そっかあ。――それでも、今もまだ気力がないと感じてるんだよね?」
「あ……確かに俺、そう言いましたね……。うーん……。やる気とか元気とか、自然と湧いてくることがないんです。動けはするけど、動きたくない。……マシになっただけで、まだ全然足りないのが本音なのかも」
先生が頷き、質問が精神面に移る。
「希死念慮と不安感はどう? その他気になる事があれば教えて頂けますか」
「死にたいって、半分口癖になってて……。でも苦しい程の希死念慮に苛まれてはいないです。不安感もありますが、落ち着かないほどって状態は減ったような……。嫌な出来事があると極端に弱るのは相変わらずですが」
どことなく他人事のように覚束無い自己分析を、先生は否定せずゆっくり聞いてくれた。
先生は書き終わったカルテを眺め、何やらうんうんと頷く。そして俺に身体ごと向き直った。
「病識が備わってきたみたいですよ」
「……病識?」
「病気を自認して、向き合える状態になってきたと言い換えればいいかなあ。抵抗や逃避、強がりみたいなのが取り除かれてきた。――何か心境の変化でも?」
劇的な出来事は浮かばない。ただ、一つだけハッキリと分かっていることがある。
「会社の皆に、色々な良い刺激を貰っていると思います」
「ほー。もう少し話せますか」
「一番は、各々が自分や病と向き合っている姿勢を尊敬できる事ですが……。俺に病識って言うのが身に付いてきたのは、俺を否定する人が誰もいないからだと思います」
故郷で受けた否定の数々が頭に浮かんだ。前向きな気付きを言葉に出した方がいい気がして、もう少しだけ続ける。
「会社の皆は、俺の病状も性格も、丸ごと『そういう人間』として関わってくれる。お互い正面から向き合った上で関係性を築けるんです。俺の存在をありのまま肯定して貰えていると感じます。そのお陰で、俺も今の自分を認識出来るようになり始めたのかも」
先生はカルテを書きながら、意味深な事を言った。
「――逆に言えば、君はずっと、ありのままで居させて貰えなかったわけだ。君を強迫的に自己否定させるに至った何かの影響が相当大きいんだろうねえ」
意味は掴みかねたが、核心を突く内容だと直感的に思った。先生にはどこまで見えていると言うのだろう? 思わず少し身を乗り出した。
「……それは、どういう」
「ああ、ごめん。それは今後ゆっくり考えていきましょう。一度に色々理解しようとすると混乱してしまう」
引き下がりつつもどかしさを隠せない俺に、先生は続けた。
「今日は、自分に対する認識のズレに気付けただけで充分。それを意識して過ごすと、行動や発言が少しづつ変わる筈だよ。病状もね。焦らず、積み重ねるんだ」
「……なるほど。分かりました」
焦るな、と言われるのが苦手だった。一刻も早く治して楽になりたいという気持ちを否定されるように感じたからだ。
しかし今の『積み重ねる』という言葉は俺に合っていたようだ。戦闘力も一朝一夕では身につかない。毎日様々な努力を続け、少しずつ段階的に成長の実感が得られるものだ。積み重ねと聞いてその経験を思い浮かべたため、楽に理解できた。
先生は少しの間辞書のような分厚い本を捲り、やがて切り出した。
「これは提案なんだけどね――今の薬を一通り微増しませんか。それで様子を見て、追ってもう二種増やす所まで視野に入れてる」
「えっ……?」
予想と正反対の展開に、顔が強ばった。




