24章181話 自分の傷を武器にして
カルミアさんは黙り込み、立ち止まってしまった。
俺も隣で歩みを止めたが、彼の表情を見上げることはできなかった。ログマが振り返り、耳を疑うと言った様子で尋ねてくる。
「おいルーク……なんだ、それ」
「……マティレートは俺達を強く恨んでた。必ず殺してやる、それが嫌なら殺せって言ってたんだ。カルミアさんが、それを防ぐために呪いを授けると言った。……何をどうしたのか、見届けられなかったから――」
ログマに詰寄られる。
「呪いは病院でも精霊術でも治らん。仕組みを把握して解呪できない限り影響を与え続けるもんだ。この仕事では不問になるだろうが、禁忌扱いの大罪だ。……そんな常識、お前なら分かってるよな。カルミアに丸投げで何してた? おい!」
蘇る不甲斐なさで視界が潤む。
「俺は……殺す覚悟を決められなかった。あいつを黙らせる方法も他に浮かばなかった。それで結局……カルミアさんの信じて任せろって言葉に甘えた……」
「お得意の反省会をして見せたって何の意味もねえんだよ! 片棒を担ぐくらい出来ただろうが! 何故やらなかった!」
「任せろって言ったのは、その場面を見られたくないからだと思ったんだ! だから……後味の悪さだけでも一緒に背負いたくて、訊いたんだ……。でもやっぱ俺が殺すべきだったよな。やれない相手じゃなかったのに。本当に意気地無しの――」
「ちょっ、ああもう! ストップストップ!」
怒りと悲しみをぶつけ合う俺達をカルミアさんが引き離す。
「何にも言わないうちに話を大きくしないでよ! 言葉に悩む暇すら与えてくれないね! 特にログマ! 今日は一段と好戦的なの自覚出来てないの? 一緒にいて物凄く疲れるんだよ、少しは抑えろ!」
心底迷惑そうな指摘を受け、ログマは少し声の勢いを落とした。
「お、俺はお前が禁忌を犯した罪悪感で酒浸りになるのを予想してだな――!」
「俺が呪いなんて使えるわけないでしょ!」
「……は?」
「面白半分で学術書を読んだ事はあるけどさ、理屈は難解だし道具はレアだし、呪術に特化した力を鍛えなきゃいけないしで、めちゃくちゃ難しいらしいよ? 下手すると効果以上の代償もあるし、禁忌じゃなくたって手を出したくないね、俺は」
「へえ、そうなのか……じゃなくて……」
「因みに本当にやったら、いくら今回の仕事でも不問にならないからね! どう考えても必要以上の殺傷として扱われるでしょうよ」
ログマに同じく、話が読めなかった。
「じゃあ尚更、何したんだよ……?」
カルミアさんは観念したように大きなため息をつき、束ねた髪をわしゃわしゃと弄る。
「悪質なおまじない程度のもんだよ……。マティレートを怖がらせるために盛って言っただけ。因みに、見られたくなかったってのは当たり。我ながら陰湿なやり方だと思ったから、内緒にしたかったのにさぁ……まったく……」
俺とログマはカルミアさんにじりじりと寄って行く。彼はその圧に応えて左手のガントレットを外し、そこにある無数の躊躇い傷を指差して見せた。
「これだよ。この傷をあいつにも付けてやったの。生憎、治療しても跡が残るような力加減は良く知ってるもんでね……」
ログマが眉間に皺を寄せる。
「…………何の意味が……?」
「彼もそんなんじゃ死なねえぞって不思議そうにしてたよ。『精神的に弱った事がある者の証』だから色々と死ぬよって言っといた。傷の意味を丁寧に説明して不安を煽るところまでやれば上手く効果が発揮されると思って」
……俺にはこの時点で何となく分かった。カルミアさんは、彼の命を奪わない代わりに弱体化を図ったのだと。
言い渋り隠したがった事に合点がいくと同時に、気持ちが酷く沈んだ。俯いて、俺の解釈を口に出す。
「――カルミアさんが刻み付けたのは『偏見』と言う呪いなんだな」
それで意味が分かったらしいログマが僅かに目を見開く。カルミアさんは気まずそうに笑って肯定した。
「そういう事……。プライドが高くて、自信過剰で、暴力と恐怖で従わせるだけで人望はない――ああいう奴には効くだろうと思ったんだ。俺達が手を下すまでもなく無力化できると踏んだ。俺、本当に性格悪いよ。うんざりする」
カルミアさんはぼんやりと傷跡を眺める。
「彼は今後、左腕が視界に入る度に、今日の屈辱と傷の意味を思い出す事になる。隠しても不思議とバレて、好き勝手に噂されるもんだ。裏社会なら尚更舐められるだろうね。精神的弱者だって決め付けに曝されるうちに、人間不信になる。余裕や自己肯定感も削がれて本当に精神が弱っていく」
彼は傷付いた左腕を今一度ガントレットに通しながら続けた。
「彼の武器は他人を脅して従わせる事。それを阻害するだけでもかなり安心出来るけど、彼が自分の無力に気付けば満点だ。もう誰を恨んで誰を殺せばいいか分からなくなるだろう。左腕を落とす決断も、片腕で生きる努力もできそうにない奴だ。どう転んでも俺達の皆殺しなんて無理。――それが狙いだよ」
偏見を持たれる事の恐ろしさを、俺達はよく知っている。だからこそカルミアさんの行動の残酷さを理解し、皮肉にも安心することが出来てしまった。
弱みを曝した他者の存在は最高の娯楽になる。その背景や真偽はどうでもいい。虐げる理由があると言う事こそが重要なのだ。
弱点を見せたお前が悪いとばかりに堂々と無慈悲になる。心の中で値踏みして静かに一線を引く。仲間内で愉快な玩具として共有し、自らの安心感と優越感を満たす。
簡単に人を殺し、それを力として誇っていたマティレート。彼は、無邪気で多彩な悪意が自分に向いた時、対応出来るのか。強く耐え、柔軟に躱し、不屈に再起し、これまで通りの自分を守れるのか。再び徒党を組んで他者を蹂躙する側に立てるのか。……非常に難しいのではないか。
カルミアさんはそれが全て分かっている。一人の人間の未来に影を落とすための行動をしたと自覚している。自分に失望し、罪を背負い、また少し生きづらくなったのだと思う。
それでも、俺達へ向けた苦笑はいつも通り柔らかくて頼もしかった。
「本当にまた殺しに来れたなら、大したもんだよね。その時は、尊敬を込めて俺が戦うつもりだよ。もうジジイになってるんだろうけど。ははは!」
培った強さと知識、得難い経験を使い、心の痛みを代償としてまで、敵を傷つける。これを呪い以外に何と呼べばいいのか、俺には分からない。
――カルミアさんは、自分の傷を武器にして俺達の未来を守ったのだ。
散らかった感情が涙となって溢れ、頭の中のあれこれが絡まったまま声に出る。
「……本当にありがとう。こんなお礼言わせんなよ。この大馬鹿野郎……。お人好し過ぎるだろ。ふざけんな。そんな自分の心を抉るような真似をして……一人で全部やらせちゃって……ごめん。ごめんな。でも、ありがとう……」
カルミアさんは無力な俺を温かく笑い、背中を優しく叩いてきた。
「あっはっは! 泣くと思ったぁ。ルークはすぐ他人に感情移入して背負い込むよね! 嫌いじゃないけどさ、俺が勝手にやったことだよ。それで俺も幸せなんだから気にしないで」
気にせずに居られる訳がない。だが、逆の立場なら俺も同じ言葉を掛けるだろう。そう思うと、次は自分が……と意気込みながら感謝する以外に、出来ることがなくなってしまった。
ログマは目を伏せて黙り込んでいた。俺は、涙を拭い目線を下に向けた時、彼がズボンのポケットに突っ込んだ手を落ち着かなそうに動かしているのを見つけてしまった。
――俺は彼のこの雰囲気を知っている。自分を遠回しに開示しながら、他人に近づこうとしている時の態度だ。




