22章160話 ウィルルの前向き作戦 -学園-
ウィルルは時折目を泳がせながらも、スラスラと話した。頭の中では何度も考えてきたことなのだろう。
「次は、学園の話ね。――十五歳の時に特別な試験を受けて入ったの。同級生は六歳だったから、十五歳なのになんで小さいの、子供の喋り方するの、て聞かれた。上手く答えられなかった。学年が進むほど、心身も勉強も追いつくのが大変になって、二十歳の時から虐められた。嫌なこと、たくさん……」
震え出す声。具体的な内容をここで思い出す必要はない。一旦、言葉を挟んだ。
「二十歳っていうと……ヒューマン換算で八歳の心身だった時かな」
「あ、う、うん……。周りの皆は十一歳で、大きい身体も、手の込んだ意地悪も、怖かったな。どこで何をしても酷い目に遭うから、上手く身動き取れなくなっちゃった」
「そっか……キツいな……」
学園という閉鎖的なコミュニティの中で発揮される子供の残酷さ。胸元の苦しさを、ハーブティーで飲み下した。
ウィルルの顔がいっそう曇る。
「これは、一番嫌だったことなんだけど……。男の子達に、裸にするぞーっておふざけをされたことがあったの」
「なっ……なんだよそれ、もう犯罪だろ!」
「で、でも、その時初めてエスタが表に出てきて、助けてくれたの。この時の記憶はないんだけど、気づいたら普通に授業を受けてて、男の子達はしゅんとして距離を取るようになってた」
到底許されることではないが、未遂で済んだのは不幸中の幸いだ。美しくて隙のあるウィルルは、多感な男子達の格好の的だったのだろう。胸糞悪いことこの上ない。
この『おふざけ』だけじゃない。彼女は値段をつけて父親に売られ、逃げて数年後に再度商品として狙われたのだ。きっと、彼女の特異な美貌が自身にもたらした不利益は、他にも数あるのだろう。彼女自身には非がないのに。
先日の事件は、それら全てを連鎖的に思い出させたはず。その辛さは想像がつかず、かけられる言葉もなかった。
「それからすぐ、人格の交代に気づいたお母さんが私を病院へ連れて行った。……でも、治らないまま、ここまで来ちゃった」
ずっと気丈だったウィルルの目が少し潤む。
「エスタのお陰でイジメは減ったの。でも今度は、性格が変わって気持ち悪いって言われたり、暴力的な子だって先生達に睨まれたりするようになった。お母さんが呼び出されて先生達に一生懸命頭を下げるの、凄く辛かった」
「先生も大概だな……怒る相手が違うだろ」
俺からウィルルを守ろうとした時の、必死なエスタの顔を思い出す。一緒にやっていきたいと言ったら困惑していた。あれは、それだけ多くの悪意と対峙し、その度に更に辛い思いをしてきたことの表れだったのだ。
心身が八歳の少女にとっては、あまりにも厳しい日々だったろう。俺なら――。
「……学園、休まなかったのか」
ウィルルは自嘲気味に笑った。
「うふふ。私馬鹿だからね、風邪と家庭の事情以外で休んでいいって、気づけなかったんだあ。それに、休むと勉強が追いつかなくて、先生とお父さんに怒られちゃうのが怖かったし。でも休まなかったおかげで、学園はちゃんと卒業できたよ」
話し終えた様子の彼女に焼き菓子を促し、言葉を選びながら言った。
「随分苦労したな。辛かったよな。……そのイジメの中で色々言われて、自分はダメだと思うようになったのか?」
ウィルルはマドレーヌをもくもくと齧りながら、曖昧な返事をした。
「そう……だけど、それだけじゃないかも。私はダメだなぁと思う場面は多かったから。実際に成績は波が大きかったし、授業に集中できないことも多いし、皆の悪口の内容にも納得してた。学園出てからも苦労したしなあ」
「……そっか……。良かったら、卒業後の話も聞かせてくれよ。学園卒業が――二十七歳か。入社まで五年、その間も辛かったのか?」
「えと……就職活動、辛かった。書類も面接も、全然出来なかった。空気が読めないからだと思う。一年くらい続けたけど、面接で中身が幼いって嗤われてから、やめちゃった……」
「そうか……それからは、あれか? 旅行の時話してた、手芸とかでお金稼いだり?」
「そう。お母さんが、私の得意なことで食べていけるようにって色々教えてくれた。精霊術と、植物の知識もそう。お父さんに穀潰しって呼ばれるのが辛かったから、お母さんと一緒に、少しでも稼げるように頑張ったよ」
机に肘をつき、両手を顔に当てた。
「そんな中でお母さんが亡くなったのか……」
「う、うん」
顔を覆ったまま、深いため息をつく。エスタが以前口にした『お母さん以外に味方がいなかった』という状況がよく分かった。本当に敵だらけじゃないか。
同じ環境で育ったら、俺は彼女のように素直で優しく生きていられただろうか? 努力を続ける人になれただろうか? ……絶対に無理だと思う。
そう思うと、彼女への尊敬が自然と口から溢れた。
「……ウィルル……よく頑張ってきたな。本当に凄いよ。何にもダメじゃないじゃん」
案の定ではあるが、ウィルルは戸惑った。
「えっ……。私がダメだから沢山虐められて、沢山失敗して、周りに迷惑かけて、穀潰しで……。そう思ってたけど」
「そう思っちゃう気持ちは分かるよ。虐められる自分が悪いんだって思うよな。俺もそうだ。でも、違う考え方をして欲しいんだ」
目を上げると、まっすぐな期待の視線とかちあった。
「ウィルルは、難しい条件の中で皆に合わせようと頑張っただろ。なのに、沢山攻撃されてさ。それでも優しいままで、自分を鍛え続けてきた。――俺は君を尊敬する。今話してくれた辛い過去全部、ウィルルの武器だと思う」
ウィルルの目が大きく見開かれる。
「ダメな子の証拠じゃ……なくて……?」
何度も首を横に振った。
何があった、というスケールの話ではなかったのだ。ウィルルにとっては、今までの苦労全てが、自分がダメな子であることの裏付けだったんだ。過去が邪魔してると言ったエスタの見立ては、正鵠を射たものだったんだろう。
「否定されながら頑張るのも、酷い目に遭いながら優しい人でいるのも、本当に難しいよ。それを今まで三十五年も続けたんだ。半端じゃない根気だ。それは、ウィルルの強さだろう」
「……わ、私、そんなにおだてられちゃって、どうしよ……?」
「素直に喋ってるだけだよ。俺が嘘ついてたら、ウィルルには分かるだろ? ふふ」
ウィルルが輝いた目を泳がせ、大慌てで手帳とペンを構えた。
「忘れないようにしなきゃ……!」
丸っこくて可愛い字が、紙の上に踊る。
「えっと……! 私、辛かったけど、頑張った! 悲しかったけど、優しくできる! 根気があって、頑張れる! ――三十五年分、武器にする!」
ウィルルの手帳のページは肯定の言葉で溢れた。彼女はページを閉じ、大事そうに胸に抱き寄せる。
「ありがとう。私の話をするのは凄く怖かったけど……話してみて、本当によかった。頑張ってきた私のこと、ダメじゃないかもって思うよ。なんだか、安心しちゃうね……」
その言葉を聞いて、俺の顔も緩んだ。そして、その胸に抱き締める言葉を足して欲しくなった。……何度か伝えたことだが、強い自己嫌悪に掻き消されて忘れてしまっただろうから。
「『お母さんと、イルネスカドルの皆は、ウィルルのダメなところも全部大好き』って追加で書いておいて」
「あ……」
「ウィルルはダメじゃない。でも俺、ダメでもいいって言ったろ。ダメな時は、こうして一緒に考えたり、助け合ったりしようよ」
「えへ……。うん! そうする!」
手帳に大きく書き込む彼女を見ながら、その影にエスタを思い浮かべた。
彼の頼みは俺には難しすぎると思ったが、蓋を開けてみれば単純なことだった。不器用に絡まり、恐怖に縮こまったウィルルの思考を、一緒にほぐしてくれる存在が欲しかったんだ。
――簡単だけど、大事な事だと思う。エスタが相手に俺を選び、ウィルルがその俺を信頼し心の内を明かしてくれた。その事実が、逆に俺の心をほぐしてくれるような気がした。
今一度顔を引き締めて、また手帳を抱いたウィルルに問う。
「エスタが統合するの、やっぱり不安か?」
ウィルルはもじもじと俯き、唇を噛んだ。
やがて顔を上げた彼女は、ちょっと気弱な、それでいて引き締まった顔をしていた。
「正直、不安。でも、全部ダメなわけじゃないかも、って思えてるの。――エスタと統合できたら、私はもっと強くなれる。自分も他人も守れる。それで、エスタと一緒に色んな人に愛されるようになる。……そうだよね?」
先程裏庭で口にした、エスタの喪失を恐れる言葉とは明確に異なる。エスタとの共存、そして自分の強さを意識した、前向きな言葉だった。
強く頷いてみせると、彼女はきゅっと唇を噛んだ。何か、覚悟を決めたように見えた。
「そっか……。私、エスタが統合されても、頑張るよ。今までも、頑張ってきたもん……なんてね、えへへ。――ルーク、本当にありがとう!」
小さな口の傍らに菓子のかけらをつけた無邪気な笑顔。なんとも愛らしく頼もしい仲間に、俺も満面の笑みを返すことが出来た。
「こちらこそ、話してくれてありがとう。本当に嬉しいよ。――口の横、お菓子ついてるよ。結構大きい。どうやってつけたの」
「ふえああ!」




