19章123話 注目戦士、へべれけ
誰だか知らないが、初対面だろ? 突然他人の肩を叩くなんて、距離感の合わない奴だな。人としての違和感と戦士としての直感に従い、振り向きながら身を屈める。
案の定、頭のすぐ上を大きな拳が通過した。
屈んだ流れでととんと三歩ほど間合いを取り、相手を確認する。さっきの三人の誰かに敵視されたかと思ったが、違った。強気な笑顔を向けてきているのは、全く面識のない、大柄な黒髪の男だった。
強めのパーマがかかった洒落た髪型、明るく裏表の無さそうな表情。早くも、俺とは合わなそうな印象を抱いてしまった。
「へえ、良いペースで飲んでると思ったが避けやがるか」
声付きでため息をついた。理由は知らんが、とうとう絡まれたようだ。どうしたらいいんだろう。また『分からない』状況に直面している。酒で心身が緩んでしまっているのに、そのベースに病があるせいで頭の働きは最悪だ。本当に何も分からない。
よし、逃げよう。無視だ。踵を返し、改めて会計台へ向かおうとした――が、彼はすぐに距離を詰め、俺の腕を力強く掴む。
「おいおい、無視たぁ随分お高くとまってんな。お前に話しかけてんだぜ?」
鬱陶しい……。俺は人との物理的距離は遠目に取る方なのに、初対面の人に一方的に触られて、とても不快だ。腕を雑に振り払い、頭を搔いて困った顔を見せた。
「どちら様ですか? 俺もう帰るんですけど」
「もう少し話したって変わらねえだろう?」
話すどころか、顔面を殴ろうとしたくせに。
「……ご要件は?」
「悪いが、さっきの話、少し聞かせてもらった。最近話題の剣士様が裏の仕事に興味あるなんて、詳しい事情を聞きたくなるってモンだろう」
眉間の皺が深くなる。苛立ちも募る。
「話題の剣士ィ? 人違いですよ。……貴方のせいで今この瞬間は注目されてますけどねぇ」
もう少しで無事に帰れるところだったのにな。面白そうな事が始まるぞ、と言わんばかりの興味の目線が集まってくるのが分かって、俺の心に巣食う憂鬱が元気になっていく。
男は、煽るような表情で俺の肩から覗く長剣を指差した。
「紺髪の長剣使いのルークさんは、俺が知る限りただ一人だぜ」
あぁむしゃくしゃしてきた。状況が読めない。頭が働かない。とりあえず名乗ったのが失敗だったのだけは分かった。やっぱり俺はダメな奴なんだ。
……ダメな俺が余計ダメになってる時に絡んで来るんじゃねえよ! 八つ当たり気味に不服を訴える。
「ああもう本当に何なんですか! マジでしんどい! ダルすぎ! すっごく迷惑! 酔っ払い相手に回りくどい話し方しないで下さいよ! ……端的に答えて下さい。貴方は誰ですか。なんで俺の事を知ってるんですか。何の用ですか。どうぞ!」
心底めんどくさそうな俺の口調に相手も苛立ったようだが、ムキになって言う通りにしてくれた。
「俺はスクラーロだ! 三十歳、格闘術士! 傭兵! 軍事依頼所の注目戦士掲示板に、ルークさんの情報が何度も載っていたから知っているんだ!」
な、何それ? 困惑する頭に、周りの小声が入ってくる。
「あれだよ、放火計画阻止の時の……」
「あぁ、ここ半年でいきなり話題になった奴か。本当に強いのか疑わしいぜ」
「ワケありって聞いたぞ。病気だっけ?」
「あのスパークルのエースが認めたって言う? あっ、紺髪だし絶対そうだよ……!」
俺のプライバシーが知らない間に大変なことになっている……! 本当に俺が彼の言う『最近話題の剣士様』だってことかよ。最悪だ。奇声を上げて逃げ出したいくらい恥ずかしい。人目が怖い。ここ最近で一番死にたい。
後でレイジさんに不服を申し立てよう。新入社員に必要な教育が足りてないよ。掲示板だか何だか知らないが、こんな風に晒されるシステムがあるって教えて貰えてたら、色々気をつけたのに。……レイジさん、俺の情報が流れてると分かってて黙ってたんじゃないか? 広告になるとか言って。有り得る。
スクラーロと名乗った男は、真っ赤な顰めっ面で硬直した俺の様子をよくよく観察した後、指を差して朗々《ろうろう》と言い放った。
「単刀直入に言う! この俺、スクラーロは、格上戦士であるルークさんを倒し、名声が欲しい! この場で勝負しろ!」
野次馬から歓声が上がり、場が盛り上がっていく。イェーイじゃないんだよ。挑まれた俺の白けた顔を見ろよ。
俺は武技や戦闘が好きだが、喧嘩や諍いは嫌いだ。昔から、軍事系界隈のノリには困らされてきた。何でも戦いで解決しようとするし、それを周りも楽しみ盛り上げようとする文化があるのだ。否定はしないが、やりたい奴だけでやってて欲しい。
すっかり余裕をなくしたへべれけの俺は、素直にその気持ちを口にした。
「嫌です!」
「へ? ……なっ、何故だ!」
「体調不良です!」
「たっ……。に、逃げるのか? ……この雰囲気で?」
界隈の文化に反する返答が来るとは予想していなかったのだろう、相手は困惑している。でも酒の力を借りた俺は強情だ。
「そりゃ逃げますよ! 戦う理由が無いですもん!」
スクラーロさんはそれを聞いて、余裕を取り戻してしまった。
「情報が欲しいんだろう?」
押し黙る俺を見て、彼は笑う。
「詳しい事情は知らねえし詮索もしねえ。だが、お前への報酬にできるくらいの情報は持っていると思う。――どうだ?」
「ぐぬぬ……!」




