18章111話 苦難と奇跡の先に
緊張する。おそらく、これから話される内容は重苦しいものだろう。正直聞くのが怖い。だが同時に、ウィルルの抱えたものを知れる嬉しさも、確かにあった。
エスタが話し出す。膝の上の拳は強く握られたままだ。
「皆知ってる通り、ウィルルはエルフのクォーターだ。エルフの血族向けの法律や制度が整ってるのはハーフまでだから、普通の人――ヒューマンを基準にした社会に合うように調整しながら生きてきて、家族と一緒にとっても苦労した」
頷く。今こうして就職しながらも、心身は十四歳。現在進行形で苦労している様を、日々見ている。
「大変な生活だったけど、お母さんは沢山可愛がってくれた。でも、お父さんはウィルルが大嫌いだった。友達も出来なかったから、ずーっと、お母さん以外の味方がいなかったんだよ。でも、そのお母さんも、ちょうど三年くらい前に死んじゃった。悲しかったなぁ」
ケインがえっと声を上げた。
「ルルちゃん、いつも嬉しそうにお母さんの話をするのに……もう亡くなってたんだ……」
「お母さんはヒューマンだからね。七十歳だったし、仕方ないよ。でも最期まで、ウィルルが一人で生きていけるようにって色々教えてくれた。優しかったよ」
エスタは唇を噛み、声色を厳しくした。
「問題は、お母さんが居なくなった後だよ。元々不器用だったお父さんが精神的に不安定になって、金遣いが荒くなったんだ。ウィルルも決まった仕事には就いてなかったから、あっという間に貧乏になった」
親の借金に苦労し続けるダンカムさんが、むうと苦しそうな相槌を打った。
「そのうち、変なところから借金したみたい。お父さんは金貸しの人から、ウィルルを差し出したら借金をなしにするって言われて、喜んでそうしたってさ」
諸悪の根源は父親かよ……。あまりに惨い話だ。仲間達から口々に嘆きと怒りの呟きが漏れる。
「いきなり知らない人が沢山来て、連れて行かれてさ。ウィルルがお父さんの借金事情を聞いたのは、連れていかれる道中。悲しかったけど、驚きはしなかった」
普段からそれだけの態度を取られていたんだろう。ウィルルの寂しそうな泣き顔、嫌わないでと縋る切ない声を思い出した。
「殴られながら世話されて少し経った頃、しょう……なんだっけ? エッチなお店に行くよって言われて馬車に乗った。その店に買われたってことだと思う」
……とりあえずしばらくエロいことからは離れたい。一度静かにため息をついた。
「この時は精霊術を妨害するヘンな手錠を付けられてた。それに、短剣は取り上げられてた。だからウィルルは精霊に祈りながら馬車に乗ってるしかなかった――でもね!」
エスタの目が少年らしく輝く。
「大きな霊殿の横を通った時に、強い地精霊とウィルルの安心を求める気持ちが呼応したんだ。その強い力で手錠が壊れて、ウィルルの霊術力が爆発したの! 御者は気絶してるし馬車はバラバラだし、馬はビックリして走って行っちゃった。夜で人目もなかったから無事逃げられたってわけ。奇跡だよね!」
ログマがやや白けたような顔で言った。
「霊殿に集まった精霊が怪奇現象を起こすって話は有名だが、そういう仕組みで起こるのか。奇跡というより、無理やり起こした偶然って感じだな……」
エスタは膨れてみせる。
「なんか意地悪だね。奇跡は奇跡だもん」
ウィルルには何故か強く言わないログマ。エスタに対しても、ため息と共に譲歩した。
「……まあ、狙って起こせる気はしないからそれでいいか。――で? それで逃げたらこの会社に着いたってことか? 随分と都合のいい巡り合わせだな」
エスタは曖昧に首を傾げた。
「そうだけど、ちゃんと考えて辿り着いたんだよ。丸二日歩いたけど、行く宛てがなくてさ。ここの近くでラビワラ霊殿の案内板を見つけたから立ち寄って、精霊に相談したんだよ。あ、人目のない深夜にね!」
離れ業の連続に失笑が漏れる。
精霊は、人々が信仰し崇拝する思いにより顕現している、自然界の力の塊。人々の気持ちに応える性質を持つものではあるが、普通は、霊術力の封印具を壊したり、意思疎通したりできるものではない……。ウィルルの感情の大きさと精霊感度、精霊術力の強さがあってこそ為せることだ。彼女は盗賊団の仕事の時もラビワラ霊殿へ情報収集に向かっていたが、この経験があったからか。
「集めた精霊達にウィルルの身の上話を聞いてもらったら、ここの会社の人達に似てるって言われた。光の精霊が『仲間に入れてくれるかもよ』なんて言うから、無責任な希望的観測だってわかってたけど賭けてみたんだよね」
レイジさんがからからと笑った。
「夜明けに呼び鈴を鳴らしまくられてビビったよ。俺が珍しく激務で徹夜してて良かったな。それこそ奇跡だ。ハハハ」
エスタはレイジさんへ柔らかい目線を向けた。
「レイジは胡散臭いから最初は信用出来なくて、御礼を言いそびれちゃってた。でも、ウィルルも僕も、二年半前のあの時から、凄く感謝してる。ありがとう」
「はは! 御礼と言う割には失礼だな! ……まあ、ウィルルがうちの入社条件を満たしてたっていうのが大きいよ」
「ふふ。でも、入社させてくれただけじゃないもん。戸籍をお父さんと分けたり、難しい申請とか住む環境を整えてくれたり、防衛統括に相談してくれたり。全部やってくれたから、本当に助かった」
ダンカムさんが、ああ! と声を上げた。
「ウィルルが入社した頃、レイジが変だったのはそういう事情を全部知ってたからか! 忙しく出入りする割には妙に怯えてたもんね」
「おい、うるさいぞ。仕方ないだろ、反社絡みはさすがに怖えよ」
当時を知る皆が笑い出し、雰囲気が和らぐ。複雑な事情を抱えた見ず知らずの女性を丸ごと受け入れた、ぶっきらぼうな取締役の人情深さに、俺も頬が緩んだ。




