17章107話 役立たず
二人の顔は少し強ばった。レイジさんが静かに言う。
「カルミアからは、この前の旅行で話したと聞いたが」
「それ以外に、です」
「……そう思うことがあったのか」
「はい。――今日の殺気は尋常じゃありませんでした」
ダンカムさんが机に肘をつき、顔を両手で覆った。レイジさんがため息をついて目を伏せ、下がってもいない眼鏡のブリッジをぐっと上げる。
「……結論から言えば、何かあったんだよ。でも、それを俺達から言うことはできない。悪いな」
そうだろうと思った。元々、この場で全てを知れるなんて期待してない。首を横に振った。
「いいんです。事情は伏せたままでいいので、今後彼とどう接すればいいか、教えて頂けませんか。……俺は分からなくなってしまいました」
二人は悲しげに目を合わせた。ダンカムさんが代表するように言う。
「今まで通りに接してやってくれ。カルミアはそれを望んでいる筈だ。今日は驚いたかもしれないけど、今までルークが見てきた姿は嘘じゃないからな」
そう、だよな。分かってる。分かってるんだけど……。
正直今まで通りでいられるか自信がない。カルミアさんに対して、突然遠くに行ってしまったような、実は元々近くなんてなかったんだと言われたような、そんな距離を感じてしまったから。
でもこれ以上、聞けることはないんだよな。だとすれば、俺に言えることも、これだけ。
「分かりました。答えてくれてありがとうございます。お二人は知ってるって分かって、安心しました。……じゃあ、おやすみなさい」
二人に礼をして、応接間を出た。
ドアを閉めて暗く長い廊下を見ながら、はあと大きくため息をついた。
いつからか分からないが、緊張しっぱなしだったようだ。首と肩がガチガチに固まって目眩がする。息が浅かったのだろう、深く息を吸うと、強ばった胸元がピシピシと傷んだ。
今日は確かに疲れた、ゆっくり休もう。個室五へ向かいかけて、足が止まった。裏庭に通じる勝手口から、人が入ってきたからだ。
よく見るまでもなく、そのスラッと長く伸びたシルエットはログマのものだった。
ログマは首にかけたタオルで汗を拭った後、中途半端なところで立ち尽くす俺に気づいたようだ。距離はあるけど目が合った気がして、小声で呼びかけた。
「お、お疲れ……ただいま」
彼は返事をせず、すたすたと歩いて来た。そして突然、持っていた稽古用簡易杖の石突きで俺の鳩尾を突いた。
「うっ!」
鎧越しでもかなり苦しい。鳩尾を押さえて咳き込む俺に、ログマが吐き捨てる。
「そういうところだよ」
その一言に込められた怒りと失望に、俯いた顔が歪む。
「……ごめん」
「謝って済む話じゃねえ」
「……本当だよな」
反論はない。存分に詰って欲しいとさえ思った。だが次に続いた言葉に滲んでいたのは、強い困惑だった。
「俺はどうすればいい?」
顔を上げる。すぐ横の階段の踊り場にある窓から、青白い月明かりが降り注いでいて、ログマの顰めっ面が酷く悲しげに見えた。
「指示を出せ。リーダー。俺には分からない」
リーダー、ね……。お前は、こんな取り返しのつかない失敗をした俺を、敢えてそう呼んだんだろ? だとしたら、応えないとな。お前には出来ることがある、だからそんな苦しげな顔をするなと、言ってやらなくちゃ。
唇を強く噛み、目を伏せて言った。
「ログマに頼みたいことが沢山ある。俺には分からないことばかりだし、頼れる先も限られそうなんだ。……情けなくて、申し訳ないんだけど……」
彼の強ばった顔が少し緩んだ。
「ルークが情けないのはいつものことだ。今更謝る必要ねえよ。……何でも言え」
「頼もしいよ。ありがとう。また明日、話す時間をくれ。今日はもうダメそうだ」
ダメだと口に出したら涙が浮かんだ。リーダーとして振る舞おうとした虚勢が一瞬で崩れ、ダメな男が露呈してしまった。
呼吸が震えたあたりでログマに察されて、肩をどつかれる。
「絶対泣くと思ったよ。うぜえ。――泣くなら部屋でやれ。明日、腫れた顔を嘲笑ってやるからよ」
涙を垂れ流したまま、ありがとうとだけ呟いた。ありがとうじゃねえだろ、と呆れたような声が聞こえた気がした。
ログマに背を蹴られてようやく歩き出し、自室に入ると、いよいよしゃがみ込んでしまった。
帰社してから皆と話す間に、とても嫌な気づきを得た。卑屈な自分の気づきが、疲れた自分にトドメを刺してしまった。
ウィルルのケアはケイン、カルミアさんのサポートはログマに任せるのが最善だと思う。そして、ケインとログマの二人はお互い支え合うことのできる関係だ。
多くの事情を知り頭と口の回るレイジさん、溢れる活力で皆の心身を支えるダンカムさんのおかげで、明日からも会社の運営は保たれるだろう。支部チームを含めた会社全体を守るのもまた彼らの責務だから、それを全うするのだ。
じゃあ俺は――?
何も出来ないわけじゃないって分かってる。だからやれることは全部やる。……だけど、あまりにも分からないことが多すぎる。
ウィルルが女性として、人として深く傷つけられているその心情は、想像することしかできない。カルミアさんが何を抱えていて、今何を考えているのかは、想像すらできない。
理解も想像もできない状況で、何が出来るって言うんだろう。何か出来た気がしたとして、それは、的外れに違いない。何もしない方がマシということすら有り得る。
頑張りますだなんて言って見せたが、何を頑張るつもりなんだろうな。気持ちだけじゃ、なんの足しにもならないんだ。
俺は今、仲間達のために、大したことは出来ない。出来るのは、その事実を噛み締めることだけだ。
「……役立たず……!」
無力感がただただ悔しくて、涙が止まらなかった。




