2章9話 もう一つの人格
彼女はなおも俺の首に狙いを定め力をかけ続けている。
「なんだ? 何で? どうしたの!」
「武器を持って近づいてこないでよ」
彼女の赤い瞳が冷たくこちらを睨んでいる。地雷を踏んでしまったのだろうか。
「ご、ごめん。不安を与えたかな。何も危害を加えるつもりはない!」
ウィルルの敵意は強いが、彼女の細腕では俺の防御を突破できない。
それが分かったのか、彼女らしくない舌打ちの後、食い込んだ短剣を引き抜くと同時に飛び退いた。しっかり俺の間合いの外だ。
あの控えめなウィルルに敵意を剥き出しにされ、戸惑いと悲しみに苛まれる。
しかし、刃物を向けられて俺も無防備ではいられない。慣れた動作で構えた木剣の先は、悲しくも彼女の心臓だ。
「ウィルル、短剣を納めろ! 刃物を持っている限り、まともに話ができないから!」
彼女は短剣を右手で正面に構えたまま、左手で頭を搔く。
「お前とまともに話をする必要はない。お前は、ここ最近ウィルルにストレスを与えてた、ルークって奴だろ。見てたぞ」
訳が分からない。姿形はどう見てもウィルルなのに、言動はまるっきり他人だ。弟か、双子? 精霊術で姿を似せた誰かなのか?
再び間合いを詰められる。
一撃一撃は軽いが、とにかく速い。脚や手首などを狙って俺の弱体化を試み、隙あらば急所を突いてやろうという動き。
それを足で躱しながら、木剣で攻撃の勢いを去なしていく。
敵意は攻撃からビシビシ伝わってくる。でも会話があったと言うことは、敵意そのものよりも、意見や主張が強いってことだ。まだ和解の余地はあるはず。
とは言え、攻撃は止まない。
「ストレス? 君がウィルルの事をよく知ってるなら、詳しく教えてくれないか――いてっ」
去なしきれなかった突きを頭を傾げて避けたが、短剣が耳を掠めた。
「――俺はウィルルを理解したい。彼女と、仲間として協力していきたいんだ!」
俺、この間もログマにこういう事を言ったよな。ただ、仲良くやりたいだけなのに。戦闘中にも関わらず悲しくなってきた。
攻撃が止む。相手は軽やかな足取りで再び間合いの外に出て、苛立ったように口を開いた。やはり話したい事があるのだろう。
「お前が来てからウィルルは緊張しっぱなしだ。お前の目線はいつも周りを試してるから」
俺はそんな風に見えているのか。それとも、俺が無意識にそんな事を思っていたのが透けたのか。
「ごめん。俺、もっと考えるよ。ウィルルが安心できる方法を一緒に探さないか。敵対しても意味がない!」
その顔に浮かんだのは戸惑いのように見えた。それを振り切るように、踏み込んでくる。
「――いや、騙されない。お前はここで痛い目に遭ってもらう!」
感情のままに繰り出された突きは隙だらけだ。短剣を木剣で巻き上げてもろとも弾き飛ばし、前に出たままの腕と胸ぐらを掴んで背負い投げてやった。
「いっだ――!」
受け身も取れずに地面に叩きつけられ天を見つめた彼は、ポカンとした後、くしゃっと顔を歪めた。俺は腐っても戦いで食ってきた人間だ。簡単には倒されてやらない。
両手から、身体の脱力が伝わる。戦意は喪失したようだ。
手を離し、説得にかかる。
「もうやめよう。このまま傷つけあってしまうと、お互い困る。なあ、君の話を聞かせてくれよ」
彼女――彼? は、渋々と言った風に草むらに胡座をかいた。お互い同時に丸腰となって、ようやく話せそうだ。
「まず、君は誰なんだ? ウィルルのご家族か?」
「……僕はエスタ。ウィルルを守るために生まれたんだ。主人格のウィルルがピンチの時は、僕に交代するんだよ」
ウィルルの別人格って事か! 精神的負荷を要因として人格が分離してしまう。話には聞いた事があるが、実際に目の前にして驚きを隠せなかった。今のウィルルは、エスタと呼ぶことにしよう。
エスタはまた顔を歪め、今度はぽろぽろと涙をこぼし始めてしまった。
「でも、今、お前に負けた。一撃も、食らわせられなかった。これじゃ守れない。ウィルルが虐められるのは、嫌なのに……」
さっき掠った耳はノーカウントなのか。割と痛いんだが。
エスタは並々ならぬ短剣捌きを見せたが、中身は少年のようだ。俺は、泣かせたこの少年を元気付けたくなった。
「エスタは強いよ。俺、こんなに速い短剣使いは見た事ない。一撃でも食らったらやられてたから、必死だったよ」
エスタが涙目でこちらを見上げる。嘘ではないが、ちょろくて可愛い。
「俺はチームのリーダーだから。君と一緒にウィルルを守るから、虐められないよ」
「……そう?」
「そう。だからこれからは協力しよう。そうだ、俺にも短剣の使い方を教えてくれよ」
エスタは泣き顔を拭う。
「それは……いいけどさ。でも、おかしいよ。お前はウィルルの味方をしたいって言ってるのに、なんで距離を置いているんだ?」
「え……」
「お前が心を開かず距離を保ってること、ウィルルは、分かってる」
どきっとした。心の弱い所をつねられたような気がした。
「周りの様子を常に窺って隙を見せないようにしてるでしょ。いつ敵になってもおかしくない。でも、お前は強いから、敵わない。だから不安に怯えてるんだ」
苦い顔をした。言われてみれば確かに、俺はウィルル達メンバーを好ましく思う一方で、一線を引いていると思う。弱さを知られたくないから。俺の事で迷惑をかけたくないから。仲良くして欲しいから。
しかし、それが逆に迷惑を生んでしまったようだ。
「そうだったんだね。本当にごめん。俺、自分を出すのが下手でさ……。それでウィルルを追い詰めていたとは思ってなかった。教えてくれて、ありがとう」
エスタは口をへの字に曲げて立ち上がった。
「――話してわかったよ。お前は、悪い奴ではない。ウィルルも少し安心したって言うから、今日は納得してあげるよ」
ほっと胸を撫で下ろした。
彼は続ける。
「もう少し畑を見た後、短剣の稽古をしたら、またウィルルに代わる。でも、これからもウィルルと一緒にお前の事を見てるからね。いつかまた話そう」
――うん? ウィルルも安心したって言ったか。ウィルルと一緒に見てるって?
「……え、これウィルルも聞いてるの?」
「そうだよ。僕はいつもウィルルと感覚を共有してる。ウィルルも同じ。今も一緒。ウィルル側に記憶がないこともあるけど、今回は覚えてるんじゃないかな」
なんか恥ずかしいな……。
曖昧な返事をしながら照れ隠しにその場から動き、弾き飛ばした短剣を拾ってエスタに返した。
「多分、会社に無断で短剣を隠し持ってる事がバレたら怒られるから、気をつけな」
「ちゃんと隠してるから任せてよ」
「あと、人にいきなり斬り掛かるな! ウィルルの立場も悪くなってしまう。お互いの為に、仲間割れは勘弁してくれ」
「仕方ないな。わかったよ」
いたずらっぽく笑ったエスタに手を振り、俺も木剣を拾って社屋へ戻った。
――なんだかなぁ。なんで俺は、すぐ攻撃されてしまうんだろう。いつもそうだ。悪い事はしてないつもりなんだがな……。
ちょっと不貞腐れながら部屋に戻った。片隅に立て掛けた木剣は、切り傷だらけになっていた。




