2章8話 全員体調不良!?
何か嫌な予感がした。もう昼過ぎだが、全員寝坊であってくれ。
祈りながら一階に降りて、まずは個室一のドアをノックする。
「カルミアさん、おはようございます。今日はお休み?」
返答が無いが、微かにゴソゴソと聞こえた。やがて足音が向かってきて、ドアが開く。
「やあ、おはよう……。心配かけたかな、手間かけてごめん」
顔が土色で、少し浮腫んでいる。髪もボサボサだし、胸元を押さえて苦しそうだ。
「気にしないで。体調が悪そうだね。何があったの?」
「いや、何があったと言うわけじゃないんだけどね。昨夜からちょっとダメなんだ」
「あ、ああ、そうなんだ。何か必要なものがあれば持ってくるよ」
ここで気づいたが、カルミアさん、かなりお酒臭い。深酒する人なんだな。
彼は少し躊躇うような様子を見せた後、掠れた小さな声で言った。
「申し訳ないけど甘えていいかな。キッチンにある俺の水筒に茶を入れて持ってきてほしい。ごめんね。あと、何か食べ物……」
「了解、待ってて」
ごめんと繰り返すカルミアさん。俺はキッチンへ急ぎ、水筒とバナナを持って戻ってきた。
「お待たせ。とりあえず今はこんなものでいい?」
「助かるよ。本当にありがとね」
「全然。また様子を見に来る」
カルミアさんはいや、と首を横に振った。
「大丈夫。調子がよくなったらまた出ていくよ。あとは放っておいてくれて構わない。せっかく気を遣ってくれたのに申し訳ないけど……」
「わかった。気にしないで。お大事に」
静かにドアを閉めた。いつも年長者として皆の雰囲気を柔らかくしてくれる彼が弱っている事に少なからず動揺した。
次は個室二、ケインの部屋。
彼女も調子が悪いのだろうか? ノックして呼びかける。
ゴソゴソ音がした後しばらくして足音が聞こえたが、ドアは開かず、横の小窓が僅かに開いてメモが出てきた。
『絶不調です。動ける時に自分で色々するので、また明日。心配ありがとう』
俺は自分の経験則から、人に関わりたくないのかなと推測した。声で返答する。
「了解だよ。お大事に」
あの明るくて溌剌としたケインが……。
次はウィルル。
個室三をノックしようと思って止めた。ドア正面に小さな紙が貼ってある。
『今日は具合が悪いのでお休みします。食事を作れる人がいたら、分けてもらえたら嬉しいです』
体調と要望をドアに貼っておくのは名案だな。後で食事を用意してまた来ることにする。
その場を後にし、応接間を経由して個室四へ向かった。
ノックして呼びかけると、紫色の瞳の周りを真っ赤に血走らせ、深い隈を作ったログマが出てきた。
「だ、大丈夫か? 様子を見に来たんだけど」
「一昨日の晩から一睡も出来てなくて、頭痛と眩暈が止まらん。眠剤も効かねえし。今日は休むわ」
「そうか……お大事に。食事は用意してもいいか? 食べたら眠くなるかも知れないだろ」
ログマは眉間に皺を寄せ、目を逸らして頷いた。
「助かる。じゃあ」
いつも通り端的な会話だが、いつも以上に声が低かった。
俺以外全員、体調不良で休みか……。考えてみれば容易に想定できた事だけど、想定していなかった。
依頼はどうしようか。ミロナさんも次来るのは四日後。いつ誰が復活するか分からないし、それまで四人分の生活を俺がサポートするのだろうか。
ダンカムさんは何をしているのだろう? 彼に限っては多忙なのか、スケジュールボードが空欄な事が多い。今日もきっと、書いていないだけでどこかにいる筈だ。
探し回ると、彼は作業室で大量の書類に囲まれ、仕事に勤しんでいた。
状況を伝える。そんなに珍しい事ではないようで、慣れた様子で相談に応じてくれた。
「状況は分かった! 皆の様子を見てくれてありがとう。今日は外出の予定がないし、希望者への食事提供と給水は任せてくれ。君は自分の生活に集中してくれていい」
「ありがとうございます」
「ただ、明日以降の様子次第で、依頼は辞退しに行ってもらわなきゃいけないかもしれない。それはまた話そう」
「わかりました。――何か、急ぎの業務はありますか?」
「大丈夫! 昨日まで、皆が頑張ってくれてたからね。ルークも今日は外出して疲れたろ、休める時に休みな」
お言葉に甘えて、自室に戻る事にした。
部屋に戻りベッドに腰掛けると、疲労感が押し寄せてきた。
慣れない街の人混み、新しい仕事の不安、メンバーのフォロー。ちょっと負荷が強かったかもしれない。
動悸息切れ、身体の火照りでめまいがする。緊張から来る肩こりで気持ち悪い。上着を脱ぎ捨て、ベッドに横たわると、いよいよ視界が揺れて立ち上がり難くなってしまった。
これだけで伏せる自分が情けなく悔しい。でも、俺が病を自覚した二年前の状態を思えばこれでも相当良くなった方だ。
外出できて、人と話せて、食事ができる。自分の仕事を自分で考えてこなせる。
俺は確かに前進してるんだ、そう思って心を落ち着けた。
というより、それより他なかった。自責に身を任せたらおかしくなってしまうから。
――しかし。元々病人の集まりだとは分かってたけど、皆思った以上に病状が悪い。
昨日までは皆ごく普通に過ごしていたけど、今日の様子は俺が絶不調だった時期と同じくらいに思えた。
それぞれの病名や症状には深入りしてないけど、皆、それぞれキツさを抱えながら必死で働いているんだ。
じゃあ、今の俺……俺は何? 薬がないと生活できないから、確実に健康ではない。でも、彼らほど悪くもないのは確か。
俺、甘えてるのかな。
自分の至らなさを病気のせいにして、堂々と怠けてるのかな。こんなに苦しいのに、辛いのに、全部甘えで、ただの駄々っ子なのか?
そんな事を考えていたら、いっぱいいっぱいになってしまった。胸元が苦しくて吐きそうだ。
歯を軋ませても抑えきれなかった涙が一筋溢れる。でも、悲しいわけじゃないはず。悔しい? 恥ずかしい?
――もういいよ。もう、何も考えたくない。
「あああ、くそっ!」
涙を拭いて悪態をつくけど、何に対する鬱憤なのかも、分からない。
強いて言うなら俺。俺が、俺に一番ムカついてる。
横たわったまま目を閉じて、心を宥めているうちに、いつしか眠ってしまった。
目が覚めると、窓の外はオレンジ色だった。
気分はまだ優れないが、体調は平常に戻っていた。多分夕飯までまだ時間があるし、気晴らしに剣を振る事にしよう。自分の稽古用木剣を持って、部屋を出た。
夕日に照らされた裏庭は綺麗だ。木々の若葉、端の方に咲いた野花、春のそよ風。背伸びをしながら、少し気分が晴れていく気がした。
奥に目をやると、白い小さな人影が見える。後ろ向きにしゃがんで畑を見ているのは、ウィルルではないか?
持ち直したんだ。嬉しくなって駆け寄る。
「ウィルル! 心配したよ。大丈夫なの?」
背を向けたまま立ち上がった彼女はいつもと違って、長髪を一つに束ね、ハーフパンツにサスペンダー、白シャツを着た少年のような格好。華奢でスタイルの良い彼女は何でも似合うな、と思った。
振り向いたその表情が見えるか見えないかくらいまで来たところで、突然一気に距離が縮まった。
反射で首元と胸部を隠すように木剣を翳した瞬間、衝撃を感じる。
俺の木剣に、短剣が食い込んでいた。




