第85話 間話9:メモ
ヴィルステッド村の二人+カバンは暇を潰せるものを全て使い果たして、チケンのベッドの上と横でぐだぐだしている。
「暇ね」
「暇だな……今までの人生でこれほどまでに暇だったことはないな」
「私も……斎王の仕事も例年の行事も何もなかったら好きなだけ好きなことが出来るって思ったけど、そもそも読む本も何も無いんじゃあね……」
「剣の訓練でもと思ったが、チケンを放置していくのもな……」
「そうよね、その間になにかあったら嫌だものね……」
髪の毛もいじるだけいじったし、着替えもいっぱいした。本当にもうやることがない。おタヒは村人に作ってもらった良家の令嬢のようなワンピースにブーツを履いて、手の込んだヘッドドレスまでつけてもらっている。
グリセルダも髪飾りだのサイズに合いそうな上着だのを渡されて着せ替え人形になっていた。着飾ることは苦手ではないが、得意でもなかったので困惑はしている。
「お二人共、あまり根を詰めすぎてはいけませんわ。お茶でもどうぞ」
村長夫人は気を利かせてお茶とお菓子を運んできてくれた。昨日と同じ味であるはずなのに、そこはかとなく味気がなかったのはおそらく二人が落ち込んでいるせいだろう。
「このままチケンが起きなかったらどうする?」
「……どうしたものかな」
グリセルダは明言しなかった。明言したくなかったのだ。
もしそうなれば最善手は『置いていく』である。
それは二人にもわかっている。だがそれをしてしまえば一生残る後悔になるだろう、とも思う。制限時間があるわけでもないが無限に時間があるわけでもない。
それでも置いていける気はしなかった。
迷宮に来る前、二人共、誰かと馴れ合うつもりは一切なかった。
自分以外の全てが信用できないし、自分以外の人間は全て敵かそれに準じるものだと思っていた。
上流貴族の世界で生きるというのは、ある意味で人間性を捨てるということでもある。
見栄を張り、命を張り、婚姻も血縁も生殖すらも武器にして、愛という言葉のうわべをアクセサリーに、『家』や『血』という不可視のもののために生きていく。それが彼女たちにとっての日常であり、常識であり、目的だった。
だから、誰かと仲良く出来るような善性が自分にあるとも思っていなかった。『仲の良い友』というのは一時的に利害の一致している相手程度の認識だった。
そんな自分に善性などはない。理性という名の衣でどうにか人の形を取り繕っているだけだと。
だが、意外にもそれは己の中にあった。ずっと無いと思っていたものなのに。
それは不可思議で不思議な気分だが、悪くはない。だがそれを表に出すのは気恥ずかしいとも感じる。
ほんの一週間前までは明らかに他人だった誰かの無事を祈るようになるなんて、自分が一番信じられないでいた。
「私ね」
退屈に耐えかねておタヒが自分語りを始めた。グリセルダはそれを黙って聞くことにした。
「説話や物語でよく善行の話ってあるでしょう? あれって建前だけで実在しないと思ってたのよ。あれは、衆愚を教化して、治世を平和にするための方便だと思ってたの」
グリセルダは何も言わなかった。彼女も肌でそれを感じていたからだ。
おタヒと同じように、善行は非実在であり、偽善であり、うわべを着飾るための品だと感じることが幾度もあった。
グリセルダは学校に通ったので、無償の愛がたまにはあることはなんとなく知っていた。ただ、知識として知るだけで実感したことはなかった。
王太子の性格は良いと思ったから婚約に応じたのだが、それも例外であり、大体の貴族は悪辣で、政治や金、家という概念のためになら人格をなげうつことも、他人の命をドブに捨てることも容易なことを知っていた。
「だから賢い生き方って、そこを上手く立ち回って自分が政治的に、血縁的に、金銭的に得をするようにすることだと思ってたの。でも何かそれだけじゃムカつくから嫌いな兄君とかにはいたずらとかしてたんだけど」
おタヒのいたずらの詳細はちょっと気になったが聞かないでおいた。
思ってたより酷そうだからだ。
実際、グリセルダが聞けば絶句するようないたずらをいくつもしており、それが死因になったこともある。
「でも実在するのね。もう二度と会わないだろう人の幸福を願ってぶっ倒れたり、こんな性格の悪い私を一文の得もなしに同行させてくれて面倒を見てくれたり。この村の人だって私達なんて構わないことだって出来るのに、寝込んだチケンを心配してれて、きれいな着物を着せてくれて美味しいおやつを分けてくれて、こんな部屋まで貸してくれて」
おタヒは窓の外をぼんやりと眺める。
「私、国で一番本を読んだわ。皇族だから国中にある本を集めさせて全部読んだの。どんな学者よりも私のほうが賢かったし、問答で負けたこともなかった。知らないことがあれば誰よりも貪欲に学んだし。でも、それでも知らないことってあるものなのね」
グリセルダはおタヒを見る。幼いのによほど修羅場をくぐり抜けてきたのだろうな、と思う。おタヒの目はまるで大人のように達観した眼差しだった。
「チケン、早く起きてほしいわ。心配をするって、こんな気持なのね。初めて知ったわ。文字の意味だけならずっと知っていたはずなのに」
「そうだな、できるだけ早く起きてほしいところだ」
チケンは顔色は悪くもないがよくもない。ただ、物音にも反応せず、ただ生きているだけ、という感じだ。
あの騒がしさが懐かしいと二人は思う。あの口煩さはチケン本人の護身のためというのもあっただろう。
しかし、二人を案じていたからこそ生まれた口煩さだったのが今はわかる。
「あっ!」
インテが急に騒ぐ。
「どうした?」
「メモが届きました! おタヒ様、どうか読み上げて下さい」
カバンが自動的に開くと中から小さな紙が飛び出してきて、そこに走り書きがあった。あまり上手でない文字で手紙が認められている。東の国の言葉と似ているので読むことが出来た。
「ええと……『グリセルダとおタヒへ チケンです 今俺は事情があって元の場所に戻っている。しかし、一日後には戻れるようにお願いしたのでそれまでの間、村かどこか、安全なところで待っていてくれ。必ず戻るから。急にログアウトしてごめん』……ですって!」
ログアウトの詳細な意味は二人にはわからない。ただ、チケンが近いうちに戻ってくるということだけはわかる。
嬉しい! 二人の心に、同じ気持ちがあふれる。
「よかった! インテ偉い、賢い! 天下無双のカバンよ、あなたは!」
「うむ、お前は素晴らしい。気立てよく賢く洗練されている。お前より素晴らしいカバンはこの世にない。誇れ」
そう言われたインテは、顔があればきっと満面の笑みを浮かべていたに違いない。
「そうですよねー! 私もそう思っております! チケン様やグリセルダ様、おタヒ様のお側に侍るにふさわしい最高のカバン、それが私です!」
三人はさっきまでの葬式ムードはどこへやら。
本当に同級生の女子学生のように、キャッキャと喜び、手を取って、人生で初めて心から楽しくはしゃぐ喜びを知った。
「あっ、そうだ! 帰って来るチケンをびっくりさせましょうよ!」
おタヒが急に提案をする。明るく楽しそうな顔で。
「ふむ?」
「何でしょう、インテも興味がございます」
「えーっとね!」
二人+一鞄の初めての共同作業が始まった。




