第73話 インテ爆誕
「うゔぉ……うぐっ……頭が痛ぇ……」
爽やかな朝日と、全く爽やかではない体調が同時に俺を包みこんでいる。
頭痛と吐き気が激しい。全然昨日のことが思いだせない。
そして、俺を包み込む温かななにか……。
「グリセルダ!?」
「ん…………おはよう、チケン」
至近距離にグリセルダの顔があって、俺は即発狂モードに入りかけるが、グリセルダはそれを力技で止める。俺をぎゅっと抱きしめ「叫ぶな、大人しくせよ」と命令する。心臓が爆発しそうなほどだが、俺はなんとか言う通りに絶叫するのを止めた。
どうしよう、めちゃいい匂いする。柔らかい。あったかい。狂う。
俺は推しの匂いを知ってしまった……。絶対日本に戻ったらこの匂のルームフレグランス探して毎日深呼吸しよ。今深呼吸したらただの不審者だからな……。
俺は普通の呼吸のふりでできるだけ肺にこの喜ばしい空気を詰め込み、体内の酸素が今あるものと置き換わることを願う。
でもなんで俺が叫ぶってわかったんだろう。
「な、なんで一緒のベッドで!? 俺床で寝るはずじゃ?」
「そんなことは聞いていない。そもそも床で寝ているのを見られたら我らがどう思われるか想像したことはあるか?」
……確かに、客が一人だけ床に転がって寝てたら不審極まりない。
「せ、せめてもうちょっと距離を取るとか……だって俺が万一元のおっさんに戻ったらやばすぎるだろ」
「……これでも既婚者だったこともある。白い結婚ではあったがな。王太子もチケンなら許すであろうよ」
「あの特殊性癖王子はともかくだな……うう、頭痛ぇ……」
って白い結婚ってあれか。漫画でよくある設定だが歴史上存在したらしいな。
今さらっと重大なプライベートの問題を聞いた気がするが、聞かなかったことにしよう。俺は大人なので。
「まあいい、待っていろ」
グリセルダはまた水差しからグラスに水を注いで渡してくれた。常温の水だったが体に染み渡るようで美味しかった。少し吐き気が落ち着いた気がする。
「しかし、そんなに飲んだっけ? 俺……」
痛い頭をさすりながら昨晩のことを思い出すが、全く何も思い出せない。
「もう酒は飲まぬほうが良かろうな、昨日は面白かったのは事実だが」
「俺何してたんだ?」
「推しがどうこうと言っていたぞ」
「……忘れてくれ」
俺は顔が赤くなるのを感じつつ頭を抱えた。
クソ、もう人前で絶対酒飲まねえ。エト姫のことでも語ってたんだろうか……。気になるが聞いて恥ずかしくなるのは嫌なので聞かない。
「推しとは何なのだ?」
グリセルダが質問をする。気軽に使っている言葉だが、定義は難しい。少し考えて俺は返事をした。
「うーん、それは人それぞれだからな。俺はただ……そうだな、ずっと見ていたいものを推しだと思ってる。そんで、その推しが最良の結末を迎えるのが俺は好きだよ。実在する推しも非実在の推しも世界にはあるけど」
「それは恋人や家族ではないのか?」
まるで理解できない、と言わんばかりのグリセルダ。まあ、理解して貰う必要はない。
「そんな大層なものじゃない。例えば家族や恋人には義務や責任が生じるだろ。俺にはそんな責任取れないし。それに俺の推しは大体非実在だからな。非実在の存在は見守るか金をつぎ込むことくらいしか出来ない、片道だけど、そのほうが俺はいいなと思ってる」
グリセルダは疑問と残念そうな顔の両方をしていた。
俺はそれに少し気にかかるところがあったが、もう6日目だ。やるべきことをやらねばならない。二日酔い的な意味でも現実的な意味でも頭が痛い。
「しかし頭痛がやべえな、なんか薬無いかな……」
俺はカバンをゴソゴソと開けて探すが前にあった応急手当キットが見つからない。
「カバンさん薬かなんか出してくれない?」
俺はなんとなくそう呟いた。このカバン、気が利くからそう言ったら出してくれそうな気がしたのだ。
「かしこまりましたーっっ!」
まるで女性のような元気な声がした。
へ? どこからしたこの声? グリセルダもぎょっとしてこっちを見ている。
すると、カバンが勝手に開き、ペロッと数枚のフィルムが貼り付けられている透明シートが飛び出してきた。
「どうぞ! 二日酔いにも効く体調正常化キットです。使用方法は1枚剥がして手首に貼り付けるだけ! 簡単ですよ!」
……明らかにカバンから声がする。幻聴?
「カバンさん?」
「はい! カバンでございます!」
「……しゃ、喋れたんだ」
唖然としながらもとりあえず、カバンさんが出してくれた体調正常化キットの中の薄いフィルムを取り出して指示通りに貼り付けてみる。
フィルムが解けるように肌の中に吸収されて吐き気と頭痛がスーッと引いていく。
「すげえ、一瞬で治った」
「よかったです、ご快癒おめでとうございます、チケン様!」
パチパチと盛大な拍手の音がして、カバンさんはご機嫌のようだった。確かになんかあるはずのものがなかったり、欲しいものが的確に出てくることがあったのはつまりそう言うことだったのか。
「もしかして、マジックバッグだって聞いてたけど鞄の中身の人、という解釈で合ってる?」
「左様でございます!」
元気な返事があった。話を聞くところによるとこのカバンの正式名称は「インテリジェンスパック 1025-εΔ」というらしい。膨大に詰め込まれる荷物を管理するための人工知能だそうだ。この人工知能には個体差があり、この個体はとても優秀でおしゃべり、ということだった。
「なので、スフォー様に許可があるまで喋るなって言われててぇ……」
涙声で語るカバン。脳がおかしくなりそうだが、たしかにカバンがこの調子で喋ってたらうるさいだろうな。
「スフォー様から所有者権限を譲渡されたチケン様から許可をいただけましたので、地球時間で4ヶ月3日と12時間ぶりに会話ができて嬉しいです!」
4ヶ月もおしゃべりを我慢していたのか、と言うか、カバンがおしゃべりを我慢。俺の常識が破壊されてしまいそうだ。
「チケン、そのカバンの……中身の令嬢、なんと呼べばよかろうか?」
「あー、名前長いもんな、カバンちゃん名前ある?」
「ございません! どうぞ、お好きな名前をおつけください!」
俺は数秒考えた。
「インテリジェンスパックだからインテちゃんはどう?」
「素敵です! 個体名がつくのは大変な栄誉です!」
カバンさんは蓋と肩掛けベルトをパタパタさせながら喜んでいる。まあ喜んでもらえたならいいか。
「インテ嬢、私はグリセルダ。宜しく」
「グリセルダ様ですね、畏まりました! あちらにお休み中のお嬢様がおタヒ様でよろしいでしょうか?」
「なるほど、今までの会話をすでに聞いているのか」
「はい! 持ち主が最も欲するアイテムを瞬時に出せるようにしております。そのため、常に周辺の音声視覚情報については保存分析をさせていただいております!」
スフォーのおっさんすげーカバン持ってるな、正直今までで一番すごいアイテムじゃないだろうか。
「インテ、今カバンの容量どのくらい使ってる?」
「0.5%でございますね。地球流に言うなら海上コンテナ1500個分程の空き容量がございます」
「チケン、コンテナとは何だ?」
「この部屋くらいでかい物流用の箱だよ」
海上コンテナは以前たまに仕事で見ていたが正直俺のワンルームより広い。
そして、この割り当てられた部屋だって狭いわけではない。コンテナが巨大なのだ。
俺とグリセルダは顔を見合わせた。マジックバッグで容量が多いのは知っていたが、まさかそこまで物が入るとは……。
「0.5%……じゃあも割と入ってる物多いのか?」
「そうですね、ですので私のような人工知能の搭載が必須となっております。人力だと管理が不可能でございますので……」
「インテ嬢、質問だが、食料の保存機能などはあるか?」
「勿論でございます! 生野菜のサラダや焼き立てのケーキも10年後でも美味しく召し上がれるかと」
俺とグリセルダは顔を見合わせた。食糧問題、解決したかも知れない。




