第72話 間話6:灰被り
「これすげー美味い……もう一杯飲も」
チケンが夢見心地でボトルに手を伸ばす。見ると顔は耳まで真っ赤であり明らかに酩酊している。
「チケン、もう止めておけ」
「いやー、もう一杯だけ」
酔っ払いが絶対に言うセリフだ。グリセルダは代わりに水差しからコップに水を注ぎチケンに渡す。
「ほら、飲め」
「チェイサーってやつだな! じゃあもう一杯……」
グリセルダはため息をついてボトルを取り上げた。グリセルダは酒に強い。いわゆるザルの部類で、どれだけ飲んでも酔わない体質だ。
なので、この程度の酒なら酒に弱いと自称している者でも飲めると思ってしまったのだ。
(判断ミスだったな……)
思えば寝室に来る前にチケンが「ジュースだ!」と言っていたあれもスパークリングワインだった。
度数はおそらく低く、子どもでも飲めるような味だったからこそ普段飲まないチケンは気が付かなかったのだろう。
グリセルダはてっきりチケンが自分と同じ感覚でジュース同様の度の低い酒だと言っていると勘違いしたのだ。
この度数が強めなことが味でマスキングされている酒で、チケンは分水嶺を超えてグリセルダの想像以上にデロデロになっている。
ローレンツェンには遺伝的に酒に強い人間が多く、こんな酒で泥酔するような人間を見たことがなかったというのもある。
普段のしっかりさと打って変わった一面を、グリセルダは面白く眺めている。しかし、これ以上飲ませるべきではないこともわかっていた。
「ほら、もう一杯水を飲んで終わりにしろ」
「へーい……」
幸い嫌がる様子もなくチケンは水を飲んだ。床にぺたりと座り込んで夢見心地の顔で水を飲むチケンは見た目だけなら美少女のようだった。
「じゃあ、寝ようかな……お休み」
チケンはそう言って絨毯の上にそのまま寝転ぼうとして、グリセルダは慌てて抱き上げる。チケンはぐんにゃりとしていつもよりも重く感じる。
「いいよ、俺は床で……」
「そうもいくまいよ、ここで寝ろ」
グリセルダはチケンをベッドに上げると、自分も靴を脱ぎ横になった。
普段のチケンなら嫌がるだろうが、今日くらいは良いだろう。どう見ても少女にしか見えない。
「チケン、もう寝るのか……?」
「ねにゃい……23時まではおきてる……」
目はとろんとして口も呂律が回ってない。寝たほうが良さそうな気がする。
「寝た方が良いとは思うが……」
「灰被り……そういえば、シンデレラって?って聞いてたよな……」
「そういえば言っていたな、シンデレラとは何だ?」
チケンはおぼつかない口調で、おとぎ話を語る。
母が死んで継母と巧く行かない不幸な身の上の少女が魔法の力で幸せになる話。
少女は暖炉掃除などをするせいか、もしくは僅かな温もりを得るためか灰を被っていて、灰被りと呼ばれるのだ。
「そして、シンデレラは王子様と結婚して、幸せに暮らしましたとさ」
「ふむ……」
「そういえば私の名前も灰に由来しているな」
「そうなのか?」
「灰色の戦士という意味らしい。詳しくは知らぬがな」
「そっか、じゃあグリセルダもきっと幸せになれるな……灰のお姫様だもんな……」
グリセルダは返事をしなかった。代わりに、抵抗してこないこのパーティーメンバーの頭を優しく撫でた。
正直、今の自分には幸せというものがよくわからない。何も望みはない、やるべきことをやるだけだ。未来のことなど、思う余裕もない。
「俺はさぁ」
チケンは呂律の回らぬ口調で語る。目はもう閉じている。
「グリセルダとおタヒの幸せなエンディングを見たいだけなんだよな……」
「……」
グリセルダには幸福が何かはわからない。
人生の選択肢は常にひとつ。やるべきことをやる。それだけだ。それが幸せというものではないことに、最近気が付きつつある。
「パートナーを見つけるのでも金を稼ぐのでも、なんなら女王になるとかな。なんでも良いよ。俺はさあ、グリセルダが幸せを見つけるエンドが見たいんだよ。もうお前に不幸なエンディングを増やしたくねえんだ」
どの死も決して楽なものではなかった。
でも、もう諦めていた。諦めていればそれほど苦しくない気がしたからだ。心を殺せば苦痛はマシになる。それに気がついたのは五回目くらいの死からだったろうか。
「でも、俺に出来ることなんて何にもなくて、あと実質一日しかなくて……俺は……」
「チケン、もう良い。寝ろ。貴公は充分出来ることをしている」
「クソ……」
チケンは泣いていた。普段なら絶対見せない姿だろう。
「俺には何も出来ない……画面の前で何も出来ないのならともかく、横にいても何もしてやれないんだよ……」
「いや、チケンはよくやっている。貴公がいてくれるだけで助かっている」
「俺は横にいなくてもいいんだ、ただ推しのグリセルダが幸せになってくれればそれで……」
「どうしてそこまで」
グリセルダは困惑する。チケンにとってみればグリセルダは物語で聞いた程度の人間だ。それなのにそこまで肩入れするものなのか?
「グリセルダは推しだから……俺は渦中がどんなに辛くても、地獄でも、最後がハッピーエンドの話が好きなんだよ。最後に推しが幸せになっていたら、それを見ている俺も幸せになれるんだ」
推しという言葉の意味はわからないが少なくとも恋人や友人という意味ではないようだ。なら尚更意味がわからない。遠くにいる人間の幸福など自分に何の益もありはしないではないか。
でも、一つだけわかることがある。
チケンがグリセルダのことを心から案じて心配していること。
そして、幸福を願ってくれていること。チケンはそこに、自分を勘定するつもりはないようだった。
「そうか……では幸せとはなにか、考えてみることにしよう。だから、寝ろ。明日の朝は早いのだからな」
そういい終える前に、チケンはもう眠りに落ちていた。グリセルダは柔らかな羽毛布団をかけ直す。
グリセルダは月明かりの下で横にいる小さな少女のようななにかを眺める。
本当にこれは少女なのか、中年男性なのかわからない。
でも、不思議に悪い気はしなかった。こんなことを思う程、実際に死を迎えるたびに辛く苦しい思いをするのはわかっている。
だからこそ最後の方は諦念が自分を支配していた。だが、今は思う。それで良かったのだろうか?
でも、一回くらい、この男の望みを叶えてやれたら、どんなにいいだろうか。
どんな手段を使えば願いが叶うかは、全然わからなかったけれど。
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