第62話 ヴィルステッド村
俺が仮眠することに決めたのは朝10時くらいのことだった。
しかしステータスを見るにもう13時になっている。3時間も無駄にしてしまったのか……。
「1時間経ったら起こしてっていったじゃん!」
「……疲労しているチケンを起こすことなど私には出来ぬよ」
「一応私は起こしたわよ、でもあんたが起きなかったのよ」
「ヒソヒソ声で優しく起こしていたな」
「アリバイだけつくってんじゃねーよ」
そのやり取りを見ていた黒いモヤが笑っていた。
「……で、その人は?」
黒いモヤはスカートをつまんだような形に変わる。
「初めまして。私はこの村の村長の妻、ミネルヴァ・アレクシア・オブ・ヴィルステッドと申します。異国の姫君と旅人の皆様、ようこそこの村へ」
「あ、初めまして、チケンと申します……日本という国から来たただの無職です」
そう言うとミネルヴァさんはクスクスと笑った。
確かにこんな礼儀正しい悪霊はいないか……。そして、名前が気になる。『オブ・ヴィルステッド』?
どうやらおタヒとグリセルダはもう自己紹介済みのようだった。
「しかし、何で俺達がここに?」
「地面で寝転がるあんたを死にかけの旅人だと思って心配して村人がここにつれてきて休めって言ってくれたのよ」
「あんな場所で地面で寝転んでいては行き倒れにしか見えぬからな……」
まあ、確かにそうか……。だからこそ一応外れまでは移動したんだが。
「マントごと引きずってきてくれたのか?」
「流石にそんなことはせぬよ。私がチケンを抱えてここまで連れてきた」
その一言に俺はショックを受ける。そんな美味しいシーンを寝て過ごしていたなんて人生の多大なる損失じゃないか。なんで記憶にないんだ……。
「嫌だったか?」
「嬉しいからこそ悲しく思っています……」
グリセルダは解せぬと言う顔をしているが、それ以上の事情は説明したくない。
だってねえ、いくら幼女ボディーとはいえうら若き乙女に「抱っこして!」なんて言えないじゃん。
見かけはキッズでも、中身は三十路の男がさあ。そんなラッキーイベント、絶対記憶しておきたいやつじゃんか……。
「うふふ、寝顔が可愛い天使みたいだったのに、声は大人なのねえ」
「中身は三十歳なので……」
黒いモヤの人にも勘違いされていたか。恥ずかしいがしょうがない。今回は素早さ特化型と決めていたからこれ以外の容姿にする予定はなかった。諦めよう。
「うふふ、じゃあ可愛い天使さんはお茶とお菓子でいいかしら?」
「ただの無職なのでお構いなく……」
「気にしないで、久々にお茶を淹れられて嬉しいの」
そう言って黒いモヤの夫人は部屋から出ていった。
「で、俺が寝てる間になにか話は進んだ?」
「いや、大勢に囲まれて食べたいものだの、怪我は無いかだの、世話を焼かれたばかりで全く……」
「美味しいもの一杯貰ったわ! これの他にも柔らかくて甘いやつとか、ほろ苦いあんこみたいなやつとか!」
「おタヒ、少しは自重せよ……」
うーん、なんなんだ。この村は……。なんでこんなに物があるんだ?
今までドロップといえば魔石や肉くらいで、ろくなものがなかった。
なのに何故こんな豊かな村があって焼き菓子や茶を振る舞う余裕があるんだ?
考えても何もわからなかった。
少し休んだがまだ『状態異常:疲労』は消えていない。この状況で動くのも得策ではないしかといってここじゃ落ち着かないし。どうしたら良いんだ俺は……。
「そういえばあの飴があるのではないか?」
「ああ、でも……」
俺は口ごもる。
そういえば、あったな。でもあれは残り3つだ。使いたくない。
いや、今が使いどきなのか?
残り時間が限られている。でも残り3つは俺じゃなくてグリセルダやおタヒが…………
そう回転する思考に翻弄されている俺を、困ったようにグリセルダが見つめている。
「チケン、残り時間は忘れろ。少し休め」
「でも」
「お前の顔色が悪いと、私が不安なのだ」
気がつくとグリセルダが膝をつき、俺の眼の前にいた。
グリセルダは俺の顔に手を伸ばす。俯いた俺の顔を、温かな手が包み込み、彼女の顔の方向へ向ける。
「いいか、私は貴公と最下層に行くと約束をした。それは今でも変わらぬ約束だ。だから、いまは体調を戻せ。……たまには私とて心配の1つや2つする。お前が心配だ、だから休め」
「……わかった」
グリセルダはまた少しだけ口角を上げ、微笑んでくれた。
俺はそれ以上の言葉を持たなかった。温かな手の感触が、離れた今も頬に残っている。
ゲーム中の冷たい公爵令嬢のイメージからは程遠い、春のひだまりのようだった。
「私もおタヒも人を見る目はおそらくあまりない方だが……それでも、ここの村人は善良であると思う。そもそも悪人ならお前が寝込んだ時点で私達を襲うであろうからな」
「それもそうか」
俺はずっと疑心暗鬼でいた。しかし、ダンジョンで王太子やグリセルダ、おタヒとの出会いがあったように、他にも善良な人がいる可能性があるのか。
そこには思いが至っていなかった。
俺の考えはいつでも浅はかだ。
「おまたせしました、さあお客様、とっておきのお茶とお茶菓子です。召し上がれ」
先程の夫人が戻ってきて、立派なティーポットからいい香りのするお茶をカップに注いでくれる。
カップからは芳香を振りまく湯気が立っている。白湯以外の飲み物を飲むのは久々だ。
「お嬢様たちもおかわりはいかが?」
「飲む!」
「頂こう」
「お菓子もおかわりしてくださいね」
夫人は何か白い焼き菓子や、スコーンのような焼き菓子、チョコレートケーキのようなお菓子などを並べてくれた。
まるでネットで見るアフタヌーンティーのようだ。
こんなところでヌン活をするとは……。現実では一回もしたことがないのになあ。
俺がした近年唯一のスイーツ活動といえば、二年前メテクエのコラボカフェでエト姫のコースターとランチョンマットが出るまで延々ドリンクと飯を食い続けたことくらいである。
あれは苦行だった。しかも飯が大して美味くないんだよ。
あとはコンビニでグミやポテチを買うだけだったので、こう言う高級そうなお菓子には気が引けてしまうのも事実だ。
しかし、勇気を出して口に運ぶ。
「う、うめえええええ…………」
思わず本音が口からまろび出るほどにお菓子は美味しかった。お茶は紅茶ではなくなにかのハーブティーだろう。慣れ親しんだカフェインの味はしなかった。でも美味い。
そして、そのお茶に合わせたであろう上品で強すぎないお菓子の味。俺みたいな馬鹿舌でもわかる本当に上品な、手のかかった味だ。
疲れているところにお茶とお菓子。嬉しすぎて涙が出そうだ。
「こんなうまいお菓子食ったの何年ぶりだろ……」
涙目で俺がそうもらすと、夫人は微笑み、おタヒとグリセルダは俺を哀れな視線で見た。
しょうがないだろ、お菓子よりもガチャ代が大事だったんだから。
「そこまで喜んでもらえるなんて嬉しいわ」
「本当にありがとうございます……」
俺は心から礼を述べた。気がつくと、『状態異常:軽度の疲労』になっていた。
お茶の効能だろうか。お菓子かも知れないが。
これで、やっと言い出す決心が着いた。
「ヴィルステッド夫人……とお呼びしてもいいですか?」
「かまいませんわ、チケン様」
「……クラヴァット侯爵という名前に心当たりは?」
クラヴァットというのは二層で手に入れた令嬢の手帳にあった名前だ。
ようやく、俺は重い話に手をつけることにした。




