第51話 チケンの発狂
「うーん、俺はそれ、やりたくないなあ」
そう言う俺に、おタヒはプンスカして強気な態度を示す。
「なんでよ! 私は下々と離れられて清々するから平気よ!」
「補陀落渡海を思い出すからな」
そう言うと、おタヒの顔が一瞬恐怖に歪んだ。
補陀落渡海エンド、というのはおつきの乳母、白梅視点で始めたときだけ見られるエンディングだ。
斎王であるおタヒが国の戦乱や飢饉の責任をすべて取り、補陀落(日本で言う補陀落とは微妙に異なり、おタヒの国の仏教でも神道でもない宗教のあの世への入口が補陀落と言われている)へ船で渡り、極楽で国家安寧を祈願をする、と言う簡潔な、文字にすると儚いエンドだ。
実際には壮麗に飾り付けられた船の中におタヒ一人を閉じ込めて、他の船数台で沖合まで曳航し、壮麗な鐘の音と経でおタヒの乗った船を補陀落という極楽に送り出す。
極楽とはもちろん、あの世のことである。
おタヒは船の中で両手を縛られ、式神も何の術も使えないまま野垂れ死ぬ。
乳母白梅は、それを悲しんで尼となり、おタヒの冥福を一生祈り続けた、と言う『蘇芳宮の花嫁』屈指の胸糞エピソードだ。
ちなみに、戦乱も飢饉も、実は兄であり摂政である皇太子の失策が原因だった。
時が経ち、戦乱や飢饉が落ち着くと帝となった兄は寺を建て供養する良き兄として振る舞う……という兄の自己顕示欲MAXのエピソードも着いてくるのがこのエピソードの真の胸糞たる由縁だ。
作中の皆が『妹姫様のことを想い続けるお優しい兄君』として兄を敬うのだ。実際殺したのは自分なのに。
「あれは、流石に嫌、かも…………」
うっかり嫌なことを思い出させてしまったようで、ちょっと心が痛んだ。そうだ、俺にはフィクションでも、おタヒには現実なんだった……。
「だよな、思い出させてごめん。俺も嫌だよ。ここで置いていったらあのクソ兄と同じになりかねんからな。だから、一緒に行こうぜおタヒ」
「……兄君のことクソだと思うの?」
「クソだろ。光源氏並みに酷い。女と見れば全員手を出してるの頭おかしいとしか言えん。それなのにお前にだけ無駄にあたりが厳しいし」
そう言うと、おタヒは怒らず、我が意を得たりとばかりに顔が明るくなる。
「そうなの! 女と遊んでばっかりで勉強しないのよあいつ! だから私が献案しても女の言う事などって! でも私が言った逆にするからどんどん事態が悪くなってくの」
「俺そう言うキャラ嫌いなんだよなー、顔と地位が良ければ何でも許されるってのが好きじゃないんだ」
俺がそう言うと、意外にも二人とも同じ反応をした。
「わかる!!」
「それは、少し私も分かるな」
グリセルダも肯いている。グリセルダの公式プロフィールの嫌いな物『行動する無能』だもんな……。でも俺も無能とか言われて罵られたいなという気持ちはちょっとある。
今はそれをぐっと我慢している。
でもまだそんな無能アピールはしてないから罵ってくれないよな……。有能でもないが。
あー塩分が足りねぇ。心の塩分が。
俺は塩対応をされると心の中のナトリウムイオンが活性化し心のイオンバランスが整うの。でも今は我慢だ。
「だからさ、スキル何とってもいいけどさ、一緒に最下層に行けそうな感じにしてくれ」
「そうね……式神、使用制限があるのよね……」
そうなのだ。作中でおタヒが何回も死ぬ原因を作ったのが式神の使用回数制限だった。三日で三枚まで。それ以上を超えると式神を使う能力が一ヶ月失われる。
正直作中で式神に勝てるやつはいないくらいの強さなのだが、何度も使える代物ではない。それを知っている兄にはいいようにあしらわれ、結果死ぬのだ。
「あ……でも、その、グリセルダは、私が着いていくの嫌じゃない?」
「年端もいかぬ子女をこんな場所に放置して自分だけ救われようなどとは思わぬ。それに貴公は魔法が得意なのだろう? 前には私とチケンが立つ。貴公はそれを支援すれば良い」
そう言い切ったグリセルダの顔に迷いはなかった。
はわわわわーーーーーーーーーーーー!
トゥンク……。ときめきってこういう感情なのか。
グリセルダ、あまりにもかっこいい……俺の一億二千万倍くらいかっこいい……惚れる……。
「それが大人であり、貴族である私の責務であろう」
グリセルダがそう言って、俺はもう耐えられなくなってしまった。
「あ゛~~~~はわわわ~~~最高~~!」
俺はゴロンゴロン床に転がり、奇声を上げながら今のダメージを受けた衝撃を緩和する。
俺、こう言うキャラに弱いんだよ!!
強いキャラが不意に見せる優しさってやばいよな。普段厳しい顔をしてるほど高低差でエネルギーが生まれる。
心のペルチェ素子が急激に反応し、冷温を繰り返し、俺の心はめちゃくちゃになっている。
「チケン、落ち着け! 気でも狂ったのか!」
「落ち着きなさいよ! 下々の間ではそう言うの普通なの? 頭おかしいわよ!?」
そう言う二人の反応も俺にはご褒美だった。ごもっともです。
そうそう、正論っていいよね……正論うめえ……最高の味だ……。
今までは他人にぶつけられた塩分を間接摂取していたが、今は直接口の中に極上の出汁をを放り込まれているような、そんな気持ちだ。
「うはー、もっと、もっとくれ! もっと塩分を!」
「塩とはなんだ!? いい加減に正気にもどれ、今の貴様は地面で転げ回る狂ったセミのようだぞ!」
「落ち着きなさいよチケン! 盛りのついた犬でもまだ落ち着いてるわよ!」
「ありがとうございます、ご褒美です!」
それ以上俺に餌をやらないでくれ! 発狂してしまう!
俺はさらに地面を転がる。これをじっとして受け止めたらオレの心は発狂してしまうだろう。ゴロゴロ転がることにより、致死量の喜びを生存可能な程度に薄めているのだ。
転がりまわる俺。困惑する二人。
「あ、そうだ!」
おタヒは空中で何かをタップする仕草をしている。
「よーし、初魔法よ! チケン、正気に戻りなさい、【精神異常回復】!」
おタヒが杖を振り上げると宝玉がピカッと光り、その瞬間俺は正気になった。いわゆる賢者モードというやつである。さっきまで心の中を荒くれる濁流が流れていたはずなのに、気がつけば心は乾ききったアスファルトのようにスン……となっていた。
しばし沈黙が流れる。
「…………ええと、その……大変申し訳ありませんでした……」
「……初めての魔法だけど効いてよかったわ」
「良かった、チケンが正気に戻って……」
二人はホッとしていた。でも遠巻きにされている。これもご褒美です。
しかし振り返っても少し恥ずかしい。いや、少しどころではないが……。
己の行動を振り返り、少しだけ反省する。
俺ってこんな自己制御できないやつだっけ……? いや、今までは社会性はぎりぎり保っていたはずだ、財布以外は。
なんで急にこんなタガが外れたんだろう。
「んん~~? もう消えたんだけど、今チケンの横になんかいた気がする」
おタヒが霊感少女みたいなことを言う。俺、怪談得意じゃないから止めて欲しい。
「お、俺には見えなかったなあ」
「チケン、例のエリア鑑定をしてみてはどうだ?」
グリセルダが言う。そうだ、話に夢中で警戒を怠っていた。
「【エリア鑑定】!」
すると、わずかに薄い矢印で俺の横に『霊がいた痕跡』と表示されていた。
「ギャアアアアア!」
「どうしたまた狂ったのか!」
「また魔法要る!?」
「違う! いまこの周辺を鑑定したら、俺のすぐ横に霊がいた痕跡って出たんだよ!」
グリセルダとおタヒは目を合わせる。
「霊のやることにしてはおとなしいわね」
「悪霊ならもっとダイナミックにきそうなものだが……」
あ、信用を失いかけてる。流石に普通に心が痛い。誤魔化そう。
「と、とりあえずあの……おタヒ、式神は?」
「あ、戻ってきてたわ。チケンがおかしくなっててすっかり忘れてた。あるにはあったけど、何か四層の入口近くにあるから、結構遠いわね……」
地図を見た所、四層の入口まではここから数時間歩かねばならない。
遠い道のり、ちょっとうんざりするな。




