第42話 手帳の中身は
「また、なんで」
「……お前には言い難いのだが、学園生活において私の最初の記憶に、一人だけいない人物がいる」
「誰だ?」
「光の愛し子、ライトナーの養女だ」
「……俺かよ」
ローレンツェン王国物語の主人公。それがライトナー子爵の養女、光の愛し子と呼ばれる少女だ。俺がプレイヤーとして操作したあの少女だ。
「王太子も、それには気がついていた。だから、私との婚約を破棄してでも、愛する恋人を女にくれてやってでも、どうにか籠絡しようと四苦八苦していた。私も、ライトナーの養女をまともに教育して、予言を変えようと努力していた」
「それって……」
ほんの数秒の沈黙だったが、何分にも思える長さだった。
だから、あんな空気を読まないヒロインでも王太子もグリセルダも、直接的な行動には出てこなかったわけだ。
王太子の愛妾たちも、そういえばヒロインには優しくしてくれていた。
国王も王妃も。
「そうだ、王太子が予言した『神の使いのような滅びの使者』、それがライトナーの養女だったのではないかと考えている」
「じゃあさ、そのヒロインちゃんを直接排除するのは駄目だったのか?」
ヒロインさえいなければいいなら、それが最善の策のはずだ。
「毒殺や暗殺を試みたことはあるが……その場合、その時点で16歳のときの私の、スタート地点に戻ってしまうのだ。王太子と私はそこで、殺さずに籠絡し、甘い蜜で溶かすように無害化しようとした。だが、全て無駄だったがな」
「なんか、本当に済みませんでした……」
俺のせいじゃないのは理論で分かるんだが、感情が追いついていない。
あのアホなラブシーンの裏にそんな背景があったなんて知らなかったよ……。
「お前のせいでないのは理解している。気にせずとも良い……それにな」
グリセルダは俺の方を見て、わずかに口角を上げた気がする。
「少なくとも、私のことを思って憤ってくれた者がいる、それだけでも救いになる」
「それなら、よかったよ」
あんまり良くないけど、本人の気持ちをどうこうすることは出来ないし、どうにもならない。
しかし、俺の情緒は破壊されている。
何もしてやれないという事実に悔しさで涙腺が破壊されそうになっているのを感じて、俺はうつむき膝を抱えた。
「済まぬな、どうにも暗い話だ。だが、少なくとも最下層まではお前が付き合ってくれるのであろう、チケン」
「……おう、任せろ」
「じゃあ、それで構わぬ。充分だ」
そんな寂しいことは言わないで欲しい。
贅沢三昧でも逆ハーレム作るのでも武芸で無双するのでも、何でも好きなことをやってほしい。
それまでの辛さを吹き飛ばすくらい報われて欲しい。
「そんな事言うなよ。人生楽しいこといっぱいあるぞ。ゲーム以外にも趣味もスポーツも料理も旅行も楽しいことなんて無限にあるからな。最下層着いて問題解決して、王太子がメガネと結婚したらグリセルダもなんか好きなことを探して幸せに生きろよ。金持ちなんだろ、逆ハーレム作るとか、美術品の収集をするとか、何でも出来るだろ」
俺の貧弱な知識では貴族の高尚な趣味があまりわからなかったので、酷い例えになってしまった。
「私は今まで誰かに言われた通りの人生を歩んできて、それが正しいと思っていた。その先に何があるのかなど考えたことがなかった……好きなことか……これが終わったら探してみるのもいいかも知れぬな」
「絶対それがいいと思う。楽しいぞ、好きなことのある人生。まあ、それで俺は若干失敗して謎のバイトでこんなところに来る羽目になってしまったけど」
「貴公には自制心が必要なようだな」
「耳が痛いです。止めてください死んでしまいます」
ガチャで数百万溶かした結果がこれです。
……あれ? 何も損してないような気がする。
だって、謎のゲームを初見で楽しみつつ第二の推しが隣りにいるし!
ガチャ代で買えたはずの高級車より隣りにいる推しのが良いに決まってる!
やったー!!
「いや、もっと言ってくれ。もっと正論で俺をぶん殴っていい」
「急に気持ち悪いことを言うな、チケン」
塩対応だ、素晴らしい。若干の薄塩対応だが、それもいい。
苦み走った後のほのかな塩味。栄養がたっぷりある。ナトリウムとカリウムのバランスのようにそれらは調和していなくてはいけないのだ。あー、滋味深い。
グリセルダの塩対応から心のナトリウムをたっぷり摂取したので、俺は少し元気になった。
ニヤニヤしている俺を、グリセルダは怪訝なものを見る目をしていた。
そうしているうちに、ステータスを見るともう21時30分ほどになっていた。時間の流れがさっぱりわからないダンジョンだが、時間が分かるのだからそろそろ寝たほうがいいだろう。
現実でならあと1時間は起きているが、正直このダンジョンでやることなんかない。
「グリセルダ、そろそろ寝るか?」
「いや、まだだ。あの手帳を調べないとならないのではないか?」
「……気乗りしねぇ」
「私もしないが、気になっているのは確かだ」
言われて渋々血糊で汚れた手帳をカバンから取り出す。幸い、一緒に拾った鍵でロックは解除された。皮の表紙には金箔で家の紋章らしきものが押されている。
よっぽどお金持ちの家なのかな。
最初の数ページは、本当に普通のメモが書いてあった。わからない文字だったが、日本語字幕が丁寧にも上に表示されている。
『6月12日 コレット伯爵夫人のもとにお見舞い』
『6月15日 朝から教会にて祝賀式 ミレットにワインを忘れずに』
『6月17日 孤児院に1000クレーヌ寄付』
『6月21日 ミレアにお花を贈ること! 夕方からはシトレの晩餐会に』
「なんか、普通のお嬢様の手帳って感じだな」
「うむ……母もこういう手帳に予定を記していた」
だが、そこから空白のページが続き、最後の方には上下逆さまに文字が書いてある。
「最後のページから書いたのだろう」
グリセルダが言う通りで、ひっくり返すと裏表紙の裏に、持ち主の名前が書いてある。
『エミーリア・クラヴァット
ヴィルステッド王都 中央区 シトリング通り352番地 クラヴァット侯爵家』
「ヴィルステッド王都って街聞いたことある?」
「無いな……私は私の世界にある国の主要な都市はすべて幼年学校で叩き込まれた。少なくとも私の世界の国ではない気がする」
「俺も聞いたこと無いんだよな。俺の世界にもない気がする」
この手帳を落としたのは、どこかわからない異世界の令嬢か貴婦人のようだった。
『この手帳を拾った人へ
私はエミーリア・クラヴァット。ジェルミ・クラヴァット侯爵の長女です。
今、獣人や、不潔な化け物に追いかけられて逃げ回っています。
なんとか魔法で隠れてやり過ごせないか頑張っていますが、遠吠えがだんだん近くに聞こえてきます。
もしかすると、あなたがこれを読んでいる時、私は生きていないかも知れません。
ですので、お願いです。もしこれを拾ったら、父ジェルミに届けていただけないでしょうか。
そして、あなたの娘は天国にいる。母や父を今も愛していると。
でも死にたくない、死にたくない、死にたくない
神様、どうぞ私をお助けください
もしくはどうか、眠るような死をお与えください
怖い、すぐ近くに』
最後の1ページは震える文字で、時々涙で濡れたのかインクが滲んでいる形跡もあった。どんな気持ちでこれを書いたのだろうか……。
俺は一旦復帰した気持ちが、またどん底に落ちていくのを感じた。
グリセルダも眉間にシワを寄せ、多分俺と同じ気持ちでいるようだった。




