第121話 間話12:匣中天
これは夢なのだろうか。
どこまで手足を伸ばしてもどこにも触れることはなく、何も聞こえず、何も見えない。しかし痛みだけはある。悪夢のような世界だ。
何故ここに居るのだろう、とファビエは考える。
あれは三十年かそこらの昔の話だ。
内務庁長官の執務室で話をしていた。
「ファビエ様、新しい遊びにご興味はございませんかな?」
「何かな、ヴェレル。君の提案ならさぞ楽しいのだろうけど」
「外宇宙で、自由気ままな、王子ではない人生を体験してみたいと思ったことは?」
「……それは」
ファビエは言い淀んだ。
そう、法律で禁止されている。
自分の体を何体作っても、自分のこととして運用できる範囲なら何も問題はない。
ただし、『自分以外の体』を作るには司法の許可が必要で、外宇宙でそれをするためには更に星間司法庁の許可が必要となる。
そのうえファビエは国民の鑑であるべき王族だ。許可が降りるわけがない。
もし、ファビエが王族でなくても当然許可は出ない。
それをしてしまえば、他人に罪をなすりつけたり、犯罪をすることが容易になる。とはいえ、逮捕されれば魂経由で犯罪はあっという間に露見する。
何より意図的に薬剤で記憶を消去しても魂の記憶を開示する技術が開発されている。
テオネリアにおいて犯罪はリスクがかなり大きく、量刑も全体的に重い。
なので、未然に防ぐため『別人になること』は禁止されている。
しかし、とても魅惑的な話ではある。
ファビエは時々、このまま王になれなかった場合、今までしてきた節制や努力が無駄になるのでは、という不安にかられていた。
それと同時に考えてもいた。王子でない自分はどういう人生を送るのだろう、と。
全く想像はつかなかった。この王子というふんわりした、でも息苦しい肩書のままあと何年生きていくのだろう。
「大丈夫です。ほんの少し遊ぶだけならバレはしませんとも。プライベートの扉でそこそこ技術が発達していて、人口が大変に多い惑星を発見しましてな。そこに紛れて別人として過ごすのはとても楽しいものですよ」
「人口が多い? 何千万人いるのだ?」
「六十億人は居るかと」
「六十億?!」
すっかり人口が増えなくなったテオネリアは、巨大な惑星だが人口は百万程度しかいない。テオネリア文化圏の星々の人口を全て足しても数千万程度のはずだ。
億単位の人口というだけでも想像がつかないのに、一つの星に六十億。
それだけ人間がいれば、よほどのヘマをしなければ星間司法庁のエージェントにも見つからないはずだ。
何より扉が私有地にあるのもいい。
令状がないと捜索許可が出ないし、その令状を出す機関のトップがヴェレルなのだ。
ファビエは誘惑に負けた。
まるで服を仕立てでもするかのように沢山の戸籍を買った。会社の社長になったり、自由な少年になったり、ときには女性になったりもした。
この星は技術が未開で発展途上。ちょっと技術提供をすればいくらでも金は手に入ったし、殺人も暴力も金でもみ消すことができた。
ファビエの中で、人を踏みにじる喜びが生まれた。
未開の地のスキルも技術もない哀れな人間たち。自分こそ下等種の上に立つものという自覚がすくすくと育っていく。
ヴェレルに勧められて作った会社ではゲームを作らせたりした。本星からヴェレルのつてでやってきた社員に作らせたのだ。
自分をモデルにしたキャラを主人公格にしたゲームでは自分を求めて何百人もの人間が生活費をなげうつ愚かしい様子を見た、とても愉快だった。
唯一気に喰わなかったのは、悪役として出した姉に何故か人気が出てしまったことだ。
最初は腹が立ったが、実際の姉ならまず身に付けないような衣装を着せて売り出したところドカドカとガチャが周りとても気分爽快だった。
姉を辱めることで金が稼げるなんて、なんて素晴らしいのだろう。
別の国ではスラム街で暮らした。下々の暮らしをしてみたかったのだ。
頑健に、そして俊敏に作った体は誰にも喧嘩で負けなかった。人を殴っていると脳内物質が溢れ、万能感に満ちていく。万引き、置き引き、スリ、暴行、そして殺人。犯罪はとても楽しいゲームだったし、特に女性が自分を見て怯えるのが好きだった。
どんなに犯罪を繰り返しても、ファビエにはヴェレルがいる。
時には証拠を魂ごと延命薬の材料にしたり、モンスターとして異星のダンジョンに島流しにするだけで証拠隠滅は終わる。
この星の下等な人類には見つける術はない。
「いつか王になった時に返してくだされば」
ヴェレルはいつもそう言っていた。彼の奉仕は投資のようなものだ。だから、それを受ける権利が自分にはある。ファビエは心からそう信じていた。
そして、先月のこと。
「ファビエ様、そのお気に入りの体でダンジョンでスキルを使って大暴れしてみるというのは? 実は延命薬の材料にならなかった役立たずをダンジョンに廃棄しているのですが、増えすぎてしまいましてね。お楽しみのついでに、処分してはいただけませんかな?」
ヴェレルはいつもの人好きのする顔で話しかけてきた。
「勿論構わないとも。君の役に立てるのならね」
「それに、以前愚かにも足を踏み入れてきたスフォーと姉君もまだダンジョンの中に居るのです。しかも、メインの体が。これは、絶好のチャンスではありますまいか?」
無限に人体が作れるテオネリアには、一つの絶対的なルールがある。
どんなに若いサブの体を作っても、メインが死んだときはそれ以上他の体を作ってはならず、メインの体が死んだときが事実上の魂の死、ということだ。
サブの体はメインのやり残しなどを消化しつつ、あとは緩慢な死を待つだけになる。
ダンジョンの中にいる姉の体がメインというのが本当なら、絶好のチャンスだ。
殺してしまえば王位は自分のものになる。
絶対に、自分の手で苦しめて殺したい、そう思ってここに来たはずなのに、酷く痛む両手、感覚のない身体、開かない目。
でももう覚えていない。
なんで自分は王になりたかったのだろうか?
それも思い出せない。
諦めて自分の行動を思い返す。
いつの間にか降って湧いた暴行、窃盗、事故。その全てをファビエはいつの間にかやっていた。
行動の記憶だけはそこにあるが、その前後にいたる理由が思い出せない。
あれ? でも自分にそんな時間はあっただろうか?
王族としての執務、社長としての執務、社交行事に体のメンテナンス、サブボディーで運用してリンクするにもメインの体には処理限界がある。
ではこの激しい怒りは誰のものだろうか?
ここで初めて違和感を覚えた。
もしかして、この体、もしくは心は自分だけのものではないのか?
真っ暗な闇の中、痛みと眠気の間でその疑問がふと頭に浮かんだ。
誰からも答えはなかった。
何か全然知らない、自分ではない存在に突き立てられて生きている自覚がある。
その誰かに心当たりはある。
だが、思い出すことは最後までできなかった。




