表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/26

第六話『路地裏の禁忌』

面倒事はもうこりごりだ。

今日の厄介ごとは、全て終わったはずだった。


そう、固く信じていた。


だから、近道として選んだ裏路地から、悪意に満ちた魔力の匂いと、か細い声が聞こえてきた時、俺の最初の思考は「関わるな」だった。


見て見ぬふりをして、ここを通り過ぎる。それが、俺が守るべき日常だ。

そう自分に言い聞かせ、踵を返そうとした。


「――離しなさい!」


悲鳴に近い、しかし芯のある少女の声。

そして、ゲスな笑い声が二つ。


「大人しくしろよ、嬢ちゃん。お前が『神の御使い』かなんだか知らねえが、高く売れるって話なんでな」

「少し抵抗するくらいが興奮するってもんだ。なあ?」


ダメだ。

足が、地面に縫い付けられたように動かない。


俺はゆっくりと、音を立てずに路地の角から奥を覗き込んだ。

そこには、黒いローブをまとった男二人が、一人の少女を壁際に追い詰めている光景が広がっていた。


少女は、小柄だった。月光を溶かし込んだような銀色の髪が、薄汚れた路地には不釣り合いなほど清らかに輝いている。着ているのは、どこの制服でもない、簡素な白いワンピース。恐怖に目を見開いているが、その瞳は必死に目の前の男たちを睨みつけていた。


男の一人が、下品な手つきで少女の腕を掴む。


「――っ、やめて!」


その声が、脳内で反響した。

『――助けて、お兄ちゃん!』

あの日の、炎の中で消えていった、最愛の妹の声と、重なる。


瞬間、俺の中で何かが、プツリと切れた。

後悔も、打算も、平穏への執着も、全てが思考の彼方へと消し飛ぶ。


ただ、目の前の光景が、許せない。

それだけだった。


「おい」


俺は、影の中からゆっくりと姿を現した。


「そこで、何してる」


男たちが、ぎょっとしてこちらを振り返る。俺の姿――見るからにひょろりとした学院生だと分かると、途端に侮りの表情を浮かべた。


「あぁ?なんだこのガキは。英雄気取りか?死にたくなければ、すっこんでろ」

「ヒヒッ、見てみろよ。アエテルガルドの制服だ。エリート様のお通りらしいぜ」


片方の男が、俺に向かって手をかざす。その指先に、黒く、禍々しい魔力が渦を巻いていく。


【警告:違法な魔術式の構築を検知。術式名:暗黒槍ダーク・ジャベリン


俺の視界が、赤い警告を発する。

違法な術式。衛兵に見つかれば、即刻拘束されるレベルの禁術だ。


「消し炭にしてやるよ!」


男が叫び、黒い槍が俺目掛けて放たれる。

だが、俺は一歩も動かない。


(――遅い)


俺はただ、意識を集中させる。


法則改変システム・インターセプト実行】

【命令:対象の魔術式『暗黒槍』の座標指定を反転。術者本人に強制固定ロックオンせよ】


「なっ――!?」


俺の目前まで迫っていた黒い槍が、ピタリ、と空中で静止する。

そして、まるで意思を持ったかのように、その穂先をくるりと反転させた。


「馬鹿な!?なぜ術式こいつが俺の方を!?」


術者の男が狼狽えるが、もう遅い。

反転した暗黒槍は、放たれた時よりも速い速度で、持ち主の元へと帰っていった。


「ぐわぁっ!!」


断末魔の悲鳴と共に、男が吹っ飛び、壁に叩きつけられて気を失う。


「な、なんだと……!?貴様、何をした!?」


もう一人の男が、信じられないものを見る目で俺を睨み、踵を返して逃げ出そうとする。


(逃がすか)


法則改変システム・インターセプト実行】

【命令:対象座標の地面の摩擦係数を、一時的にゼロに設定】


「うおっ!?」


逃げ出そうとした男の足元が、ツルン、と氷の上のように滑る。体勢を崩した男は、盛大にすっ転び、後頭部を強打して白目を剥いた。


一瞬の静寂。

残されたのは、気を失った二人の男と、俺と、そして――壁際でへたり込んでいる銀髪の少女だけだった。


俺はゆっくりと少女に歩み寄る。

彼女は、恐怖と驚きが入り混じった瞳で、俺をじっと見上げていた。その瞳は、まるで夜空に浮かぶ月のようだ。


「……大丈夫か?」

「…………」


少女はこくこくと頷く。そして、か細い声で、途切れ途切れに言った。


「…………ありがとう、ございます……」


その言葉を最後に、彼女の瞳から光が失われ、その小さな体は、糸が切れた人形のように、ゆっくりと前へと傾いた。


「おいっ!?」


俺は咄嗟に駆け寄り、彼女が地面に倒れる寸前で、その体を抱きとめた。

腕の中に収まった少女は、驚くほど軽かった。規則正しい寝息が聞こえる。どうやら気を失ってしまったらしい。


俺は、腕の中で眠る銀髪の少女と、地面に転がる二人の悪党を、交互に見下ろした。


「……どうするんだ、これ……」


やっと手に入れたはずの平穏な日常が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

俺の嘆きは、誰に聞かれることもなく、静かな路地裏に吸い込まれていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ