第四話『偽りの奇跡』
時間が、引き伸ばされる。
岩の拳が、セレスの頭上へと迫る。
風圧が彼女の亜麻色の髪を激しく揺らし、絶望がその瞳を濡らしていた。
誰もが、次の瞬間に訪れるであろう悲劇を、息を飲んで見つめることしかできない。
俺の意識は、極限まで研ぎ澄まされていた。
走る。間に合わない。詠唱。間に合わない。
取りうる手段は、ただ一つ。
俺は、意識の奥底に沈めていた禁断のスイッチに、指をかけた。
【法則改変――実行】
脳内で、無機質な承認音が鳴り響く。
世界が、俺という管理者の命令を待っている。
(――目標、機体番号04。命令:胸部装甲の接合法則を一時的に無効化。制御核を強制的に外部露出させよ!)
【命令承認。対象法則ID:8G-4。一時的無効化処理を開始……完了】
現実時間は、コンマ一秒にも満たない。
その刹那――。
「――はぁっ!」
鋭い気合と共に、白銀の閃光が迸った。
リリアーナ・クレスフィールドだ。彼女もまた、諦めてはいなかった。その手から放たれた高密度の魔力弾が、一直線に暴走ゴーレムの胸部へと突き進む。
普段なら、分厚い装甲に阻まれ、僅かな損傷を与えることしかできないはずの一撃。
だが――今は違う。
ガコンッ!
まるで、そうなることが最初から決まっていたかのように。
ゴーレムの胸部装甲が、何の抵抗もなく、いとも容易く内側から弾け飛んだ。
そして、その下から――心臓のように脈動する、赤黒い制御核が姿を現す。
そこへ、寸分の狂いもなく、リリアーナの魔力弾が吸い込まれていった。
――ドォォォォンッ!!
鼓膜を突き破るような轟音と共に、ゴーレムの胸部が内側から爆散した。
勢いを失った岩の巨体は、セレスのわずか数センチ手前でその動きを止め、やがてガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
舞い上がる土煙。そして、訪れる静寂。
助かった……。
誰もがそう思った時、俺はすでに地面に倒れ込んでいた。わざと派手に転んでみせたのだ。
「……っ、はぁ、はぁ……」
全身に、疲労感がどっと押し寄せる。鼻の奥がツンと熱くなる。法則への強制介入は、脳に想像以上の負荷をかける。
俺は誰にも見られないよう、咄嗟に制服の袖で鼻を拭った。僅かに滲んだ血の感触。
「……す、すげえ……今の、クレスフィールドさんが……?」
俺は、他の生徒たちと同じように、呆然と呟く。驚きと恐怖に満ちた、完璧な「劣等生」の顔で。
「……なんと……」
ヴァルガス教官が、呆然とした表情でつぶやいた。
「クレスフィールドの一撃が、ゴーレムの装甲を……いや、それどころか、制御核を正確に破壊したというのか……?天才にも程がある……!」
教官の言葉に、学生たちは一斉にリリアーナへと賞賛と畏怖の視線を送る。
「さすが剣姫様だ!」
「劣等生とは格が違う!」
しかし、賞賛の渦中にいるリリアーナ本人は、ただ一人、怪訝な表情を浮かべていた。
彼女は、自らが魔法を放った己の右手を見つめ、そして、ゴーレムの残骸へと視線を移す。
(なぜ……?私の魔力に、あれほどの貫通力はなかったはず……。まるで、ゴーレムの方が私の魔法を迎えにきたような……。偶然……?いいえ、あんな偶然が……)
彼女の瞳に浮かんだのは、誇りではなく、不可解な現象への深い疑念の色だった。
「せ、セレス!大丈夫か!」
ヴァルガス教官が我に返り、腰を抜かしているセレスに駆け寄る。
「は、はい……なんとか……」
セレスは震える声で答えると、自らを救った一撃が放たれた方向――リリアーナの方を見て、感謝の言葉を述べようとし、
そして、その視線が、ふと、動いた。
土煙の中、おずおずと立ち上がる俺の姿を、彼女の大きな瞳が捉える。
(今……アッシュ君が、動いた……?ううん、気のせいかな。でも、あのゴーレムの装甲が剥がれたのって、なんだか、昨日の球体の時と、少しだけ……)
彼女の胸にもまた、小さな、しかし消えない疑いの種が蒔かれたようだった。
「本日の授業はここまで!総員、直ちに解散!」
教官の号令で、この混乱した訓練は幕を閉じた。
俺は誰よりも早くその場を去ろうと、足早に訓練場の出口へ向かう。
背中に突き刺さる、二人の天才少女からの、それぞれ質の違う、鋭い視線を感じながら。
平穏な日常は、どうやら、もうすぐ終わりを告げるらしい。
そんな予感が、確信に変わっていた。
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