第二十話『最初の容疑者』
「――狩りの時間よ」
リリアーナのその言葉は、俺たちの関係性が、新たな段階に入ったことを示す号砲だった。
もはや、ただの学生ではない。俺たちは、学院に潜む見えない敵を追い詰める、秘密の狩人となったのだ。
翌日。俺たちは、再び中庭に集まっていた。
リリアーナは、昨日手に入れた容疑者の名簿を広げる。その中の一つの名前を、彼女は細い指で示した。
「最初の標的は、この男にするわ。ギデオン・アシュフォード。三年の上級生よ」
「ギデオン先輩……。確か、平民に近い下級貴族の出身で、実力でのし上がることに固執しているって、あまり良くない噂を聞くね」
セレスが、自らの情報網を付け加える。
リリアーナは頷いた。
「ええ。騎士団の兄から得た情報によると、彼は過去に、自らの能力を底上げするため、禁術に分類される『魔力増幅』の研究に手を出していた形跡があるそうよ。今回の『汚染コード』に興味を示したとしても、不思議ではないわ」
動機としては、十分だ。
問題は、どうやって彼を調べるか。真正面からセンサーを向けるわけにはいかない。
「それなら、いいものがあるよ!」
セレスが、得意げに胸を張って、鞄から一冊の分厚い魔導書を取り出した。
彼女がその表紙を軽く叩くと、表紙に埋め込まれた小さな水晶が、かすかに光を放つ。
「昨日、改良しておいたの!『ノイズ・チェイサー』を、この本に組み込んでみたんだ。これなら、すれ違いざまに調べても、絶対に気づかれないよ!」
「素晴らしいわ、セレス君。用意がいいのね」
リリアーナが感心する。
こうして、俺たちの最初の「狩り」の計画は、着々と進んでいった。
計画は、こうだ。
ギデオン先輩が、午後の自習時間、よく図書館の第四閲覧室にいることを突き止めた。そこは利用者も少なく、接触にはうってつけだ。
まず、リリアーナが偶然を装って彼に話しかけ、注意を引きつける。
その隙に、セレスがセンサーを仕込んだ本を手に、彼のすぐ側を通り過ぎて、反応を確かめる。
そして俺は――二人の死角を警戒し、万一の事態に備える、見張り役だ。
◇
放課後の図書館。
ひんやりとした空気と、古い羊皮紙の匂いが、俺たちを迎えた。
第四閲覧室の奥で、標的のギデオン先輩は、熱心に書物を読みふけっていた。
リリアーナが、俺たちに目配せをし、優雅な足取りで彼へと近づいていく。
「ごきげんよう、ギデオン先輩。熱心ですわね」
「ク、クレスフィールド嬢!?な、なぜあなたがここに……」
突然、学院の華であるリリアーナに話しかけられ、ギデオンは狼狽を隠せないでいた。
よし、注意は完全に逸れた。
「――今よ、セレス君」
「うん!」
俺の小声の合図で、セレスが動く。
彼女は、何食わぬ顔で、ギデオンのいる書架のすぐ側を通り過ぎる。その手には、例の魔導書。
俺は、息を殺して、その本の表紙に埋め込まれた水晶を凝視した。
――頼む。
その、瞬間。
水晶が放つ純白の光が、僅かに、しかし、確かに。
どんよりとした、濁った灰色へと変化した。
黒ではない。だが、白でもない。
「グレー」だ。
セレスが、俺の方を向き、小さく、しかし力強く頷いた。
間違いない。陽性だ。
ギデオンは、俺たちの企みなど露知らず、憧れのリリアーナと話せることに舞い上がっている。
やがて、リリアーナが適当な理由をつけて会話を打ち切り、俺たちの元へと戻ってきた。
「……どうだったの?」
「陽性だよ、リリアーナ。間違いなく、あのコードの反応があった」
セレスの言葉に、リリアーナは「そう……」と、静かに呟いた。
その表情は、安堵と、新たな決意とが入り混じった、複雑なものだった。
俺たちは、ついに見つけたのだ。
この学院を蝕む、病巣の一つを。
だが、安堵している暇はなかった。
俺たちは、確かに容疑者を見つけた。だが、それはゴールではない。
これから、どうする?
自作のセンサーに反応があったからといって、騎士団に突き出すことなどできない。証拠としては、あまりに弱い。
リリアーナは、冷徹な狩人の目で、本棚の陰からギデオンの姿を見つめながら、言った。
「……尾行するわよ」
「えっ」
「彼が誰と接触し、どこへ向かうのか。この目で確かめる必要があるわ。彼がただの実行犯なら、その背後には、必ず指示役がいるはずよ」
正論だ。だが、それは、あまりに危険な行為だった。
俺たちは、ただの学生なのだ。
だが、リリアーナの瞳には、一切の迷いも、恐怖もなかった。
セレスもまた、ゴクリと喉を鳴らしながらも、覚悟を決めた顔で頷いている。
こうして、俺たちの最初の狩りは、獲物を見つけると同時に、より危険な、次なるステージへと、その舞台を移すことになった。
俺は、この二人の天才の、その常人離れした行動力と覚悟に、もはやため息をつくことしかできなかった。