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第二話『物好きな天才』

講義室から解放された俺は、腹を満たすために学生食堂へと向かった。

巨大な窓から陽光が差し込む広々とした空間は、昼休みの喧騒に満ちている。エリートたちの談笑、魔導理論に関する熱い議論、他愛のない噂話。その全てが、俺にとっては遠い世界の出来事のようだ。


俺はトレーに簡素な黒パンとスープだけを乗せると、決まって座る場所――他人の視線が届きにくい、一番奥の隅の席へと足を向けた。


平穏で、退屈で、誰にも干渉されない食事の時間。それもまた、俺が望んだ日常の一幕だ。


――そのはずだった。


「きゃあっ!ご、ごめんなさいっ!」


突如、すぐ側で悲鳴と何かがぶつかる鈍い音が響いた。

見ると、一人の女子生徒が派手にすっ転び、その手から抱えていた奇妙な機械仕掛けの球体が床に転がっている。


亜麻色の髪を無造ゆさに結び、額には魔導技師マギニクスが使うゴーグル。着ている制服も、あちこちがオイルか何かで汚れている。いかにも「研究に没頭してます」といった風情の彼女は、慌ててその球体を拾い上げた。


しかし、球体の様子がおかしい。

表面に刻まれたいくつもの紋様が、不規則に、そして激しく明滅を繰り返している。


「うわわっ、まずい!マナフローが逆流してる!制御フィールドが……!」


彼女の焦った声に、周囲の学生たちが「危ないぞ」「またあいつか」と囁きながら、さっと距離を取る。

俺も当然、関わるつもりはなかった。さっさと通り過ぎて、自分の席に着く。それが正解だ。面倒事はごめんだ。


だが――俺の目には、見えてしまう。


【警告:古代魔道具『球体七号』、不安定状態】

【原因:旧式魔力回路『風妖精C3』が、現代の高密度環境マナと競合】

【危険分析:30秒以内の魔力暴発の可能性:48%】


爆発確率48%。冗談じゃない。

心臓が、ひゅっと冷たくなる。脳裏に、あの日の炎がちらつく。


俺は舌打ち一つすると、仕方なく踵を返した。

面倒だ。ひどく面倒くさい。だが、目の前で誰かが危険に晒されているのを見て見ぬふりをするほど、俺はまだ、自分の心を殺しきれてはいなかった。


「おい」


俺はぶっきらぼうに声をかける。少女――セレス・シルフィード。確か、魔道具開発コースの超がつく天才で、古代遺物の研究に没頭するあまり、いつも小さなトラブルを起こしている有名人だ。


彼女は涙目で俺を見上げる。


「え、あ、はいっ?」

「それ、そこの変な模様。なんかチカチカしてて……目障りじゃないか?」


俺は球体の一点を指差した。数ある紋様のうち、ひときわ不規則な光を放つ、小さな一区画だ。俺の目には、そこがエラーの原因である『風妖精C3』の回路が刻印された場所だと分かっている。


俺の言葉に、セレスはきょとんとした顔で首を傾げた。


「え……?目障り……?これはただの装飾紋のはずだけど……」


彼女は言われた通り、その紋様に視線を落とす。そして次の瞬間、その大きな瞳がカッと見開かれた。


「――まさか!装飾じゃない!この紋様自体が、現代の濃すぎるマナを吸収してしまう『アンテナ』になってるんだ!古代と現代じゃ、マナの環境密度が違いすぎるから……!だからオーバーフローをっ!」


そういうことだ。

彼女はやはり本物の天才らしい。俺の曖昧なヒントだけで、即座に正解に辿り着いた。


セレスは慌てて自分の指をその紋様に押し当てると、短い詠唱で小さな遮断結界を展開する。すると、あれほど激しく明滅していた球体は、急速に光を収束させ、やがて静かな沈黙を取り戻した。


「ふぅ……。助かったぁ……」


へなへなと座り込むセレス。周囲の学生たちも、危険が去ったとみて、再び自分たちの会話に戻っていく。


さて、と。用は済んだ。俺もさっさと自分の席に行こう。


そう思って背を向けた瞬間、ぐい、と制服の裾を引かれた。


「待って!」


振り返ると、セレスがキラキラと輝く、満点の笑顔で俺を見上げていた。


「すごいよ、君!どうして分かったの!?私、この子の解析に三日も悩んでたんだよ!ありがとう!」

「……別に。たまたまそう見えただけだ」

「ううん、偶然じゃないよ!君、ただ者じゃないでしょ!私、セレス!セレス・シルフィード!君は?」


太陽のような、屈託のない笑顔。リリアーナの氷のような美しさとは、全く正反対の魅力だ。

こういうタイプは、苦手だ。ぐいぐいと人の心に踏み込んでくる。


「……アッシュだ。じゃあな」


俺は最低限の返事だけして、今度こそその場を離れた。

背後から「アッシュ君かぁ!ねえ、今度私の研究室にも遊びに来てよー!」という声が聞こえたが、聞こえないふりをした。


ようやく席に着き、冷めきったスープを一口すする。


(……面倒なことになった)


セレス・シルフィード。彼女の目は、ただの天才の目じゃない。真理を探求する者の目だ。

きっと、俺のことに興味を持ってしまっただろう。


俺の望む、退屈で平穏な日常。

その壁に、小さな、しかし確実なひびが入ったような気がした。

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