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第一話『退屈な劣等生』

1章は毎日3話以上投稿していきます。

降り注ぐ陽光が、埃をきらきらと舞わせる。

王立アエテルガルド魔導学院、その大講義室は、午後の気だるい空気に満ちていた。


「――以上が、『第三神聖紋章』が水属性マナに与える相転移遅延の基礎理論である。神々が遺したもうた絶対的な『魔導法則マギ・システム』の根幹に関わる重要な概念だ。決して疎かにせぬよう」


白髭をたくわえたドルガン教授の厳粛な声が、静まり返った室内に響く。

学生たちは皆、必死の形相で羊皮紙にペンを走らせていた。その誰もが、エリート魔導師の卵としての誇りと野心に満ちている。


ただ一人、窓際の最後列に座る俺、アッシュ・ヴァーミリオンを除いては。


俺は、頬杖をつきながらぼんやりと窓の外を眺めていた。空を流れる雲の形でも数えていた方が、よほど有意義に思える。


(相転移遅延、ね……)


ドルガン教授の講義内容は、もちろん俺の耳にも届いている。

だが、その内容はひどく退屈だった。まるで、子供に「1+1はなぜ2になるの?」と問われているような、そんな感覚。


俺の目には、この世界の本当の姿が見えている。

ドルガン教授が語る小難しい理論などではない。もっと直接的で、もっと無機質な――奔流するデータの羅列。すなわち、万物を規定する『魔導法則』のソースコードそのものだ。


俺の視界の端には、常に半透明のウィンドウが明滅している。


【システム記録:魔力粒子の揺らぎを検知】

【分析:第三神聖紋章が水系統マナ構造体に対し、0.013秒の安定化遅延を適用中。該当法則ID:3乙7。効率:87.4%】


効率87.4%。なんて無駄の多い処理だ。俺なら、この数値を99.9%まで最適化できる。そもそも、0.013秒という遅延自体をゼロに書き換えることだって……。


そこまで考えて、俺は軽く頭を振った。

ダメだ。そんなことを考えてはいけない。

俺は、この退屈を享受しなくてはならないのだから。


「――では、諸君に問おう。なぜ『第三神聖紋章』は、火や風ではなく、特に水属性のマナに対して顕著な遅延を引き起こすのか。答えられる者は?」


ドルガン教授の問いに、講義室は水を打ったように静まり返る。応用問題だ。教科書には載っていない。


教授は満足げに頷くと、わざとらしく室内を見渡し、そして――俺のところでその視線を止めた。


「……ヴァーミリオン君。君は先ほどから随分と熱心に窓の外を研究しているようだが、何か面白い発見でもあったかね?この問いに対する答えなど、君にとっては容易いだろう?」


嫌味ったらしい口調。教室のあちこちから、くすくすという嘲笑が漏れる。

まあ、自業自得か。俺は学院でも札付きの「劣等生」で通っている。実技は中の下、座学に至っては常に赤点ギリギリ。そんな俺への当てつけなのだろう。


俺は億劫そうに立ち上がると、眠たげな目をこすりながら答えた。


「さあ……。水は、他の属性より寝起きが悪いんじゃないですかね」


しーん、と静まり返った後、今度は堪えきれないといった風の大きな失笑が広がった。ドルガン教授は額に青筋を浮かべ、深く、深いため息をつく。


その時だった。


「先生。よろしければ、私がお答えしても?」


凛、と響く澄んだ声。

全ての視線が、教室の最前列に座る一人の女子生徒に集まる。


腰まで伸びた美しいプラチナブロンドの髪。背筋を寸分の隙もなく伸ばした完璧な姿勢。彼女の名は、リリアーナ・クレスフィールド。公爵家の令嬢にして、学院始まって以来の天才と謳われる「剣姫」その人だ。


リリアーナは俺の方を軽蔑とも哀れみともつかない冷ややかな一瞥をくれると、よどみない口調で語り始めた。


「第三神聖紋章が持つ固有振動数は、水属性マナが励起する際の分子構造と共振干渉を起こしやすい性質を持ちます。そのため、他の属性と比較して安定化までに僅かながらタイムラグ、すなわち教授の仰る『相転移遅延』が発生するのです。これは『クレスフィールドの三次魔導方程式』で証明が可能ですわ」


完璧な解答。ドルガン教授は先ほどまでの不機嫌が嘘のように、満足げに何度も頷いた。


「見事だ、クレスフィールド君!その通りだ!」


賞賛の声と、学生たちの感嘆のため息。

リリアーナは当然といった顔で着席する。その横顔は、まるで氷の彫像のように美しく、そして冷たかった。


俺は、誰にも気づかれないように小さく息を吐くと、再び席に座る。

これでいい。

天才の隣で、無能な劣等生を演じる。目立たず、誰にも関わられず、ただ静かに時を過ごす。

これこそが、俺が望んで手に入れた日常なのだ。


キーンコーンカーンコーン……。


授業の終わりを告げる鐘が鳴り、学生たちが一斉に立ち上がる。俺も鞄を手に取り、さっさと教室を出る。背後で「あんなのが、よく学院にいられるわね」「クレスフィールド様と同じ空気を吸っていること自体、おこがましいわ」なんて声が聞こえるが、もう慣れたものだ。


誰もいない廊下を一人歩く。

先ほどのリリアーナの答えを反芻する。クレスフィールドの三次魔導方程式。見事な理論だ。この世界の法則を、人間が理解できる形に落とし込んだ最高傑作の一つだろう。


だが、それはあくまで「観測者」の理論だ。


俺は違う。俺は――「管理者アドミン」だ。


なぜ遅延が起きるのか?

答えは単純だ。


『システムが、そう設定しているから』


ただ、それだけ。

そして俺は、その設定を書き換えることができる。


ふと、胸の奥が氷のように冷たくなるのを感じた。

脳裏をよぎるのは、炎と、絶叫と、そして――泣きながら伸ばされた、小さな妹の手。


『――助けて、お兄ちゃん!』


あの時、俺は力を正しく使えなかった。

法則を書き換えようとして、失敗した。そして、エラーラの存在そのものを、この世界から……。


ドン、と無意識に壁に手をつく。

呼吸が少し、浅くなる。


「……っ」


いけない。まただ。

俺は数回、深く深呼吸をする。大丈夫だ。もう二度と、あんな過ちは犯さない。

そのためなら、どんな退屈にも、どんな侮辱にも耐えてみせる。


この力は、誰かを傷つけるためじゃない。

誰にも気づかれず、誰かを守るためだけに、使うんだ。


俺は再び顔を上げ、気だるげな劣等生の仮面を貼り付けると、雑踏の中へと歩き出した。

平穏で、退屈な日常。

あの日、俺が全てを失うのと引き換えに、手に入れたかったはずの世界だ。



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