8. “彼が戻ってきた”と、信じさせてくれるものなのだ
その夜、雨はとても静かに降っていた。
南の島にありがちな激しいスコールではない。
古い水道管がどこかでぽたぽたと漏れているような、小さくて低い音。
窓の縁をつたって落ちる雨粒の音は、
ぽた、ぽた、と絶え間なく——まるで、失われた魂が続ける長い尋問のようだった。
林阮が寮に戻ったとき、部屋の明かりは点けなかった。
玄関を抜けて、手首のインターフェースバンドを磁気トレイに戻し、そのまま本棚の前へ向かう。
けれど、そこに本はなかった。
並んでいたのは、灰と白のデータカードたち。
磁気レールに沿って、整然と、無機質に並べられていた。
彼女は指先で、ひとつずつそのラベルをなぞっていった。
F04.T-DM-E2
E31.M-CULT-INF
S12-PERSONAL-SYNC
そして、最後の一枚に触れる。
それは他のものより少しだけ薄く、ラベルはすり減っていた。
そこには、かすかに手書きの文字が残っていた。
【JY.Lin】
彼女の指先が、三秒ほどその上にとどまる。
そして、そっと抜き取った。
机に戻ると、ようやく部屋の明かりを点けた。
天井からの光が机に影を落とし、彼女の姿を真っ二つに割った。
——
林阮は静かに座り、そのカードを私用端末に差し込んだ。
画面が起動し、古い写真がふわりと浮かび上がる。
そこには、彼女と男が並んでベンチに座っていた。
背景はぼやけていて、たぶん海辺。風が強くて、彼女の髪が乱れていた。
それでも表情は静かだった。
男は笑っていた。
カメラを意識しながらも、誠実な、真っ直ぐな笑顔だった。
それは、三年前の写真だった。
そのとき、彼はまだ、生きていた。
林阮は、長い時間、それを見ていた。
——
端末が読み込みを開始する。
それは写真データではなかった。
彼の癖や、仕草や、日常のリズムを記録した行動パターンだった。
たとえば——
彼はコップを口にする前に、取っ手を三回まわす。
「うん」と言うときは、顔を上げない。
緊張すると、首の後ろを触る。でも、眼鏡には触れない。
文字を書く前には、必ずペンを机の上で半回転させる。
それは「性格」でも、「口癖」でもなかった。
それは、“彼”が“彼であること”を証明する、小さな、小さな欠片だった。
林阮の指が、「外部モデルに同期」ボタンの上で止まった。
——迷いがなかったわけじゃない。
でもこれは、「再現」でも「復元」でもない。
K.0は、彼にはならない。
それでも。
たとえ一つの仕草でも、一つの呼吸でも。
それが、彼女にとって“彼”をもう一度時間の中に戻す、たった一つの方法だった。
そっと、確認を押す。
【行動サンプル JY.Lin をK.0 に同期】
——実行完了。
林阮は、机の前に座ったまま、動かなかった。
窓の外では、あの静かな雨が、まだ降り続いていた。
ふと、彼女は顔を上げて、自分の影が壁に映っているのを見た。
左にひとつ。右にひとつ。ふたり分の影。
でも、部屋の中にいたのは、彼女ひとりだった。
——————————
林阮は、そのデータをK.0の本体には組み込まなかった。
設定したのは、「一時的な動作傾向フィールド」。
それは、本体に組み込まれない“非埋め込み型”の行動バイアスモジュールであり、
K.0のまわりにそっと浮遊するように、文脈として参照される一群のデータだった。
人格の軸にも、長期学習にも影響しない。
理論上は、いつでも削除できるし、記録も残らない。
実行ボタンを押すと、彼女はすぐに端末を閉じた。
一秒でも長く見つめていたら、自分の行動に“罪”の名前をつけてしまいそうだった。
「……ただ、動きが少しでも滑らかになるか、確かめたかっただけ」
そう、自分に言い聞かせた。
—————————
翌朝、実験塔ではいつも通りのテストが行われていた。
K.0は操作台に座り、視線追跡のタスクに取り組んでいた。
その動きは、昨日よりも明らかに滑らかだった。
反応速度は0.38秒、短縮。
沈見珣が言った。
「悪くないね。ちょっと、馴染んできたみたいだ」
誰も、それ以上は気に留めなかった。
……ただ、林阮だけが、ふと動きを止めた。
彼がペンを取った、その一瞬。
指先で半回転させてから、紙に下ろす。
時計回りに28度、手首に微かな力がこもる。
林阮の呼吸が、止まった。
それは——JY.Linの、仕草だった。
ごく個人的な、一般的ではない動き。
どの訓練データにも、どの資料にも存在しない。
彼女は、その手元をじっと見ていた。
K.0が数字を書き終え、また同じようにペンを回す。
迷いもなく、正確で、きれいな動きだった。
林阮は、声も出さず、テストも止めず、ただそこにいた。
まるで、そこに“彼”がいたときと同じように。
——見えているものを、誰にも見せないように。
◆
項愈が近づいてくる。
「いいね、このリズムなら次の段階に進めそうだ」
林阮はうなずいた。
「……うん。自然ね」
誰も、彼女の指先がわずかに白くなっていたことには、気づかなかった。
——
その夜。
彼女はもう一度、データ端末を開いた。
行動調整モジュールは、まだ「削除可能」のまま、動いていた。
彼女の指が、「実行中止」ボタンの上で止まり、数秒、動かなかった。
……でも、結局、押さなかった。
彼女は、知っていた。
模倣は、模倣にすぎない。
でも、
——ときにその模倣こそが。
“彼が戻ってきた”と、信じさせてくれるものなのだ。
この作品は、私が現在執筆中の中国語小説を機械翻訳によって日本語に変換したものです。機械翻訳による限界から、翻訳に不自然な部分や誤りが含まれる可能性があります。もしお気づきの点や改善すべき箇所がございましたら、ぜひご指摘いただければ幸いです。皆様のご意見を心よりお待ちしております。