51. 自分をも、模倣しているのだ
霧のような薄明が島を包み込み、研究塔の最上階には、半分ほどの非常灯だけが心細げに灯っていた。 パノラマ観測ガラスの向こう、遠くの海面には波一つ見えず、ただ重なり合う雲の層が、最後の夕景によって深い紺青と淡い紫の境界を滲ませている。
室内のエアコンの音はどこまでも微かで、スクリーンの裏側を流れる電子音すら聞こえない。まるで、次なる実験のために、わざと真空に近い静寂を切り出したかのようだった。 部屋を照らすのは壁際の柔らかな間接照明だけで、温かみのある色温度が、極限まで低く下げられた机と椅子を照らしている。 部屋の隅、石膏のコーナーガードには一条の細長い亀裂が走っていた。窓辺から影の中へと伸びるその線は、ちょうど明暗の分かれ目に深く嵌まり込んでいる。
沈瓏は、その小さな体をさらに丸めるようにして座っていた。 九歳の少女は膝を胸に抱え込み、顔を腕の中に埋め、伏せられた睫毛だけがかすかに光を捉えている。 彼女はその亀裂をじっと見つめていた。まるで、その裂け目の外側には、何一つ価値のあるものなど存在しないかのように。
向かい側では、以珂もまたカーペットの上に座っていた。「教師」や「研究員」といった、いかなる威圧的な気配も消して。 彼は片膝を立て、もう一方の足を投げ出し、首を少し傾けて。彼の視線は彼女のそれと寸分違わず重なり――同じ亀裂の上に落ちていた。
観察室の中で、林阮はガラス窓に指を添え、トントンと二回叩いた。自分自身に「開始」の合図を送るかのように。
先に口を開いたのは、以珂だった。わざと音を抑えた弦楽器のような、低い声。
「あの亀裂、あの隅っこで一番明るい場所だね」
沈瓏は顔を上げない。
彼は少し間を置いてから、彼女の心の中にずっと響いていたはずの思考をなぞるように繰り返した。
「君は、真ん中が嫌いなんだ。 明るすぎて。 ……目が痛くなるから」
少女の肩が、びくりと小さく震えた。
林阮の胸が締め付けられる。彼が読み取った細部は、高精度のカメラですら捉えきれないものだった。
以珂は、何の「誘導」も含まない、地平線のように平坦な音量で言葉を紡ぎ続ける。
「家でも、君はよくカーテン側の床に座っていたね。 太陽に背を向けて。誰にも表情を見られないように」
沈瓏が握りしめていた服の裾から指を離した。ずっと力を込めていた指先には、白い跡が残っている。
彼女は瞳を上げ、掠れた声で問いかけた。
「どうして……わかったの?」
以珂は首を傾け、ようやく彼女と視線を合わせた。ライトの光が彼の瞳をかすめ、柔らかなグレーブルーを映し出す。
「僕も、そうだからさ」
呼吸のように短いその一言は、沈んでいた何かを水面へと掬い上げたようだった。 沈瓏の目がわずかに見開かれる。初めて「誰かに見つけてもらえた」と信じたかのように。
彼女は丸めていた足をゆっくりと下ろし、先ほどよりも少しだけ澄んだ、けれど不安に震える声を出した。
「お話が……あるの。話しても、いいかな」
以珂は姿勢を正すことも、手を伸ばすこともしなかった。ただ、身体をほんの十センチほど前に傾けただけ。 灯りの下で彼の髪がさらりと垂れ、彼女の視線とほぼ水平に並ぶ。
「それがずっと君の心の中にあったのなら、それは君に語られるのを待っていたんだよ。 話して。――聞いているから」
その「聞いているから」という言葉は、室内ではとても静かに響いた。だが観察室の林阮にとっては、心臓を強く打ち抜かれるような衝撃だった。
なぜなら、彼女にはわかってしまったのだ。 以珂が語尾を極限まで低く、温かく抑えたその声は……まさに林阮自身が、初期化直後のアンドロイドをあやす時に使う声色そのものだったから。 彼女は不意に気づいてしまった。今、彼は沈瓏を模倣しているだけではない。――自分をも、模倣しているのだと。
ガラスに彼女の倒影が映る。 自分の呼吸が速まっていくのがわかる。モニターの中の以珂がふと顔を上げ、カメラの少し上をほんの一瞬だけ見やった。
そこには、何もない。 けれど彼は、彼女がそこにいることを確信しているかのようだった。
その瞬間、光が夕闇を切り裂き、あの亀裂を照らし出した。 埃の中に舞う、渦を巻くような小さな粒子が、黄金色に輝いていた。




