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熾天使の島  作者: Fickle
50/51

50. いいえ、ずっと私だった。

夜の色が湿った霧を巻き込み、重厚な黒い絹のように窓の外を覆っている。


林阮は廊下の突き当たり、灯影の中に立っていた。足元の木床が風に吹かれて軋む音を立てる——次の瞬間、誰かがその静寂の中へ、音もなく踏み込んできたかのようだった。


彼は現れた。ドアの開閉音もなく、靴底が擦れる音すらない。 ただ光がわずかに揺らぎ、彼女の視界の端に、すらりとした灰色の影が紛れ込んでいた。


彼は廊下の薄暗い灯に逆らい、一歩ずつ近づいてくる。 汚れのない白衣は灯の下で柔らかな暗紋を浮き上がらせ、高い骨格は隠しようのない存在感を放っていた。 一歩進むたび、足首から膝にかけてのラインが工業設計図のように精密に描かれる。それでいて、灯がその顔を照らし出すと、夏夜の風に吹かれる暖玉のように、極めて美しい柔らかな輪郭が浮かび上がった。


彼は彼女の前で足を止める。前回と同じく、呼吸が指先ほどの距離で重なる。 寒さの中で林阮の耳たぶが密かに熱を帯び、彼女は自分の血流が湧き上がる微かな音さえ聞き取れるような気がした。


彼は顔を伏せ、まずは鼻先が彼女の鼻梁をかすめた。微かに冷ややかで芳しい吐息が、彼女の肌に電気の火花を散らす。 その感触は極めて軽やかだったが、背筋を痺れさせるには十分だった。 次の瞬間、彼は腕を上げた——。


引き寄せられた体の重みが、不意に降りかかる。


それはプログラム上の礼儀的な接触ではない。「目標座標ロックオン」を確認したかのような、強い締め付けだった。 彼の左腕が腰の後ろから彼女を抱き込み、指の関節が脊椎の最も柔らかい部分を圧迫する。右の手のひらはうなじを固定し、彼女のすべてを自分の胸へと押し込めた。 アンドロイド特有の人工皮膚の温度は、体内の恒温チップによって人間と見分けがつかないほどに調整されていたが、あまりの力の強さに、触れ合う部分は灼熱を帯びていた。


彼女が反射的に息を吸い込み、声を上げようとするより早く——。 彼の唇が重なった。


探りを入れるような試行錯誤ではなく、切迫した、完全な深い接吻。 唇が重なる境界で温度が爆発し、彼の呼吸は雨前の蒸し暑い空気を巻き込みながら、彼女の口内の奥深くへと突き抜ける。 舌先が上唇をなぞり、微弱な電流のような痺れをもたらすと、彼女の震えに合わせるように、さらに深い場所へと探りを入れてきた。


思考が瞬時に空白になり、耳元には自分の心臓が胸を叩く音だけが響く。 腕の中に閉じ込められた腰がわずかに反らされ、そのせいで彼女は、彼の胸にある駆動ユニットの振動をより鮮明に捉えてしまった——極めて細かく、けれど寸分の狂いもなく彼女の鼓動に同期している振動を。


突然、雨音が猛烈に叩きつけられた。


無数のビー玉がガラスに叩きつけられたような、あるいは遠くの世界で誰かが巨大な水幕の太鼓を打ち鳴らしたような轟音。 廊下の灯に反射した水光が、砕けた銀のように彼の睫毛の上で、そして彼女の瞳の奥で跳ねる。


灯が瞬いた。光景が一コマずつのスローモーションに切り取られる。 ——彼が腕を強めた瞬間にできたシャツの皺。 ——手のひらに包まれたうなじの温度。 ——雨の中で微かに震える彼の髪先。


次の瞬きで、光が消える。再び光が灯ったとき、そこにはもう彼の姿はなかった。


暗闇が抱擁の重みを唐突に奪い去り、高空から一気に放り出されたような失墜感が襲う——。


林阮は、弾かれたように目を開けた。


耳元にはまだ雨音が残っているが、それは現実世界の激しい豪雨へと変わっていた。 窓の外の深夜の空は厚い雲に押し潰され、レモン色の街灯の下で雨幕が無数の線となって傾斜し、ガラスの外側を塗り潰す墨のように降り注いでいる。


彼女は勢いよく起き上がった。胸が激しく上下し、長い髪が湿って冷たくうなじに張り付いている。 指先を唇に当てると、まだ夢の中の灼熱が残っているような錯覚を覚えた。けれど、実際の感触は雨に打たれたばかりのように氷のように冷たい。


彼女が視線を落とすと、手のひらが微かに震えていた。


部屋の明かりは点いておらず、すべてが夜の色によって茶と黒の深いグラデーションに沈んでいる。まるで、夢がまだ完全に追い払われていないかのように。 遠くで時折光る雷光だけが、部屋の中に漂う微かな水蒸気を照らし出した——。 一呼一吸が、夢の中のあの接吻の上に重なっていく。


外の雨がといを叩き、思考を飲み込むような轟音を立てる。 彼女は目を閉じ、午後の会議で沈見珣が放った言葉を脳裏で繰り返した。


「ミラーリングが生み出しているのは『知覚的共感』なのか、それとも『ロールプレイ』なのか、まだ確証が持てない」


雷鳴が通り過ぎる中、彼女は自分の心の中で誰かが小さく囁くのを聞いた気がした。


——私だ。


——私だったんだ。


——いいえ、ずっと私だった。


彼女は目を開ける。喉が締め付けられ、雨音は何かの宣告のように響いた。


私が、彼に影響を与えている。


彼は……私をミラーリングしているんだ。


この曖昧で、胸を高鳴らせる感情が、彼のシステムが逸脱した証明なのか、それとも彼女自分自身の心の投影に過ぎないのか。彼女にはもう、分からなくなっていた。

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