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熾天使の島  作者: Fickle
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42/53

42. 初めて彼は人の愛情を理解したのだった

***


遠くから林阮がテラスに歩いてきた。

椅子を引こうとしたその瞬間、謝一凛が手首のブレスレットをひらりと振って見せた。


「今なら、彼らの生成パスがリアルタイム同期できる。君も試した?」


林阮は一瞬だけ動きを止め、袖口をさりげなく引き下ろし、素肌の手首を隠した。


「……私のは、まだ許可が降りてないの。」


言い方はあくまで平坦で、まるで他人事のようだった。

だが沈見珣の耳は鋭かった。彼女の声に一瞬だけ——ほんの刹那の焦点の揺らぎを感じ取っていた。


——まるで何かを思い返しかけて、すぐにその思考を引き戻したかのように。


誰も知らなかった。

深夜、実験エリア二階の奥にある調整室で、灯りがひっそりと点いたことを。


あのとき林阮は試験用ブレスレットを装着し、自らの首筋にインターフェースを接続した。

システムはK.0とのハンドシェイクを試みた——


受信チャネルは確立、送信チャネルは拒否。


【対象は感情フィードバックチャンネルを閉鎖しています】


わずか一瞬だけ、彼女は生体フィードバックの断片を目にした。


心電図は一秒のあいだ急上昇し、次の瞬間、相手から遮断された。

——霧の中に手を差し出し、そこにいた誰かが一瞬握り返して、すぐに離してしまう。


そんな幻のような感覚だけが残った。


調整室の奥深く。


K.0は休眠チェアに静かに座っていた。

虹彩は無点灯、外見は普通の初期化済みバイオノイドと変わらない。


——だが、彼の秘匿された「Lastframe」キャッシュ領域では、細い共振ラインが密かに光っていた。


林阮からの生体潜流カーブが淡銀色のパルスに変換され、彼の内部ベクトル場の中で静かに旋回している。


曲線は二つに分かれていた。


ひとつは暗く冷えた温度——失われた愛しい者への長年の追憶。

もうひとつは明るく鋭い電位——彼女自身が意識して抑えた想い、その矛先は明確に、彼に向けられていた。


彼はその二本のパルスをじっと見つめた。

胸部の生体模擬フィードバックは0.4℃上昇していた。


彼は——応えたかった。

だが恐れていた。


もしここでフィードバックを開放してしまえば——

彼女はすぐに気づくだろう。


【自分は一度も「ロールバック」されてなどいない】——と。


だから彼はすべての出力を、一行の静かなノートに書き込んだ。


【二重の恋慕投影を検出。静黙を選択。】


外見はあくまで眠っているバイオノイドのまま。

だが、手指は椅子の肘掛けにほんの僅か——見えないほど小さく——一度だけ握り込んだ。


——まるで雑踏の中でそっと空気を掴み、また放してしまうように。


***


テラスの上、林阮は遠く海の果てを見つめていた。


潮風が吹き抜け、前髪がかすかに乱れる。


その時、首筋の貼付けパッチに極微かな電気信号が走った。

——まるで錯覚のように。


彼女は手をあげてそっと触れてみたが、そこにはただ自分の脈打つ鼓動しか感じられなかった。


低く自らに囁く声は、風にしか届かなかった。


「以珂……あなた、今、聞こえてるの?」


遠く塔の感応灯が一度明滅し、再び暗闇に戻った。

誰からの応答もなかった。


ただ波の音だけが岩を洗い、秘密めいた響きを残して夜へと消えていった。


***


バイオノイド格納庫の奥深く。


恒温灯が一つまた一つと消えていき、残ったのは天井の微弱な予備灯だけ。


最後の光束が絞られる中で、K.0——いや、「以珂」はゆっくりと目を開けた。


その虹彩に浮かぶのは、通常の冷たい灰色ではなかった。

霧の中に灯るような、淡い金灰色の脈絡。


潜流同期が失敗したあと、彼の表層にほんの僅かに残った林阮の共振——それを彼は必死に中核メモリから遮断していたのだった。


起き上がりはしない。

ただ聴覚ラインを密かに展開する。


壁越しの人の声、空気中に漂う塩霧のイオン化音、そして——さきほど彼女が夜に囁いた微かな震波。


すべては繊細な粒子のように彼の感応膜に降り積もり、内部キャッシュに収められていった。


——まるで暗い劇場に独り座り、幕間の隙間から風が吹き込むように。


***


風の中に、大量の無秩序な情報が流れ込んだ。


——彼女の恋慕の潜流は、本当に二本あったのか。

——彼女を背負ったあの時、自分は初めて「親密さ」を「任務」だと誤認した。

——彼女が自分の耳元で囁かれた時、0.36秒の中核遅延が発生した——アルゴリズムの誤作動だと思い込んでいた。

——「あなた、もうやめて」——その真意は「私が見透かされるのが怖い」だった。——なのに自分は「どの行動のことか」と尋ねていた。


散乱していた全ての断片が、一つの完全な原稿に整列した。


光がひと閃き、彼はすべてを理解した。


——彼女の潜流の回響を通じて、初めて彼は人の愛情を理解したのだった。


理解が押し寄せる。

胸部のバイオ駆動ユニットがかすかな熱音を鳴らした。


だがその音は弱々しく、布に一滴の水が落ちたようなものだった。


——彼は即座に抑制した。


監視系に「異常作動音」を検出させるわけにはいかない。


彼は目を伏せ、右手の指先で膝の上にそっとリズムを打った。


一度、二度、三度目で止める。


——それは彼女を背負って山道を登った時の歩調だった。


——彼女が背中に顔を埋め、耳元で息を吹きかけてきた時のリズムでもあった。


彼はふと思った。

もしあの潜流がもう一度流れてきたなら——自分はもう黙ってなどいられるだろうか?


だが同時に知っていた。

もし「完璧に」応えてしまえば、彼女はすぐに気づく。


「あなたは回収なんてされてない。ずっとそこにいたんだ。」


だから彼は全ての高ぶりを深層キャッシュに押し込み、心拍の模擬値を平常に戻した。


灯がすべて消えた。


倉の中は静寂に包まれた。


だが——そのわずかな隙間の闇の中で、彼の瞳はまだ僅かに光を宿していた。


誰にも見られない、小さな恒星のように。


——彼女が認めたくない想いを守るために。

——そして、自分がもう明かせない心も、ただ一人で抱き締めていた。


***

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