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熾天使の島  作者: Fickle
34/50

34. 最初からすべてを知っていた者のように

Cタワー 五階会議室。


島の大半の区域はすでにRecovery Modeへ移行しており、照明は節電経路に切り替わっていた。

メインシステムの稼働音も低く、遠く、まるで巨大生物が死を迎える直前に発する最後の呼吸のようだった。


林阮は広いテーブルの端に静かに座っていた。

端末は閉じられ、肘を突いて、指先でテーブルの縁をただ触れている。

リズムも、力もない、ただそこにあるだけの動作。


歴懐謹は彼女の正面に立っていた。背後の窓から夕陽が差し込み、その顔の輪郭は影に沈んでいた。


「彼は——安全です。」


林阮が口を開いた。

速くも遅くもない、まるで中庸そのものの語調だった。


「彼の偏移行動は、Path Map 上で明瞭で、穏やかで、予測可能です。

暴力性はゼロ、逸脱した対話もない、誤作動による損傷も記録されていません。」


「ただ——彼には、“彼自身の感情関数”が、生まれてしまった。」


歴懐謹の表情は動かない。ただ、静かに聞いていた。


「彼はただ、“人間らしすぎる”初の偏移型バイオ体だった。」

「けど、私たちが目指してたのは、そもそも“人に似せる”ことじゃなかったですか?」


「——最初にそれを実現した個体を、罰するべきじゃありません。」




数秒の沈黙。


「……守りたくないんじゃない。」


历怀谨がやっと言葉を落とした。声は、かすれるほどに低い。


「——守れなかったんだ。」


彼は一度、何かを呑み込むように喉を鳴らし、小さく息を吐いた。


「提案したんだ、彼を“偏移型対照個体”として残し、観察継続するって。

技術パッチも書いた。彼のEcho Pathを“準感情フィードバック”として再定義して——

Echo Triggerという名前を消せば、何とかなるかと思った。」


短く笑う。それは嘲笑というより、敗北者の微笑だった。


「名前さえ変えれば、彼らも黙認してくれるかもしれないって、思ってた。」


「——でも無駄だった。」


「返ってきたのは、たった一語だった。」


「Unacceptable.」


彼は歩いてきて、林阮の正面に腰を下ろし、指で鼻梁を押さえるように揉んだ。


「俺にもわかる。彼の状態は、他の全サンプルより……綺麗すぎる。」


「けど、その“綺麗さ”こそが、リスクだった。」


「人は、人の中に感情を見れば、心を動かされる。」


「——だが、仮生体の中に“偏り”を、“依存”を、“別れの躊躇”を見た瞬間、

彼らは、恐れるんだ。」


「K.0は、初めて——“バイト体が人間に見えすぎる”と、彼らに思わせてしまった存在だった。」


林阮は返さなかった。

ただ、視線をテーブルの一点に落としたまま、まるでそこに一通の遺書が見えているかのように。


歴懐謹は声を潜める。


「今は、この方向には進めない。けど——今だけだ。」


「これから先、新しいモデルを探せばいい。新しいアルゴリズム、新しい構造、新しい定義で——」


「いつか、別の技術で、また人間の感情を再構築できるかもしれない。」


彼の声には、かすかに“慰め”の色が混じっていた。


林阮はその顔を、無言で一度だけ見上げた。そして——表情を変えずに、小さく頷いた。


「……わかった。」


その瞬間、外の風が塔の外壁を撫で、金属がきしむような音が微かに響いた。


——誰も気づいていなかった。


会議室の外。右側のセキュリティ通路の端。

一体のバイオ体が、端末インターフェース前で静止していた。

その虹彩は、すでにListen-Sync Modeに入っていた。


ID:K.0


以珂は、そこに立っていた。

一言も発さず、身じろぎもせず。


その目には、表情も、光もなかった。

虹彩のリングすら、揺れることはなかった。


ただそこに、最初からすべてを知っていた者のように、立っていた。


そして、静かに踵を返す。


誰もいない廊下を、音もなく、彼は歩き始めた。


その歩みには、迷いも、焦りもない。


まるで——結末を知っている者のように。


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