22. あなたが私を導いて、定型反応から逸れた、わずか1グラムの偏移
夜の八時、C棟の実験ホールは、だんだんと人が減っていった。
S-31の動作はこの日も安定していて、状況応答も極めて正確。
進捗は予定より二テンポ早く進んだ。
メインコンソール周辺の空気も、少しだけ柔らかくなる。
項愈はコネクタを外しながら、謝一凛に話しかけた。
「今回のバイオロイド、マジですごいな。反応、俺まで信じそうだったわ。」
謝一凛が笑う。
「いつも“無機質すぎる”って文句言ってたのに?」
項愈は舌打ちした。
「いや、確かにそうだったけど……今回は違う。
喋る時にちゃんと相手の目を見て、タイミングも自然で、
——模倣って意味では、かなり完成度高い。」
少し言葉を区切り、自然な口調で続けた。
「……でもさ。どれだけ似てても、あれは模倣に過ぎないんだよ。
感情があるように見えるだけで、中身は空っぽだ。
“魂”ってやつは、学習じゃ埋まらない。」
作業台の裏でインターフェースボックスを片付けていた別のメンバーがひそっと言う。
「……ちょっと声落として。まだ副チャンネル開いてるってば。」
項愈は手をひらひら振って言った。
「聞こえたっていいじゃん?悪口じゃない。
俺たち技術屋だよ?こいつらがどこまで“作られたもの”かなんて、一番わかってるだろ。」
「仮に偏移したとしても、結局は“そういうふうに作られた”だけ。
望んでそうなったわけじゃない。」
——
その瞬間、補助ゾーンは静まり返っていた。
K.0は一切動かず、表情も浮かばなかった。
だが、その副チャンネルは0.8秒だけ途切れ、
システムログに一行が追加された。
《発言内容にて自分が“魂を持たない模倣体”と記述されたことを確認》
アクションなし。
ただし、追記:
《中立的な意見と判断。応答不要》
——それでも、彼が副チャンネルを切断したのは、いつもより二秒遅かった。
まるで、その言葉を、もう一度心のどこかで“なぞって”から、耳を閉じたようだった。
—
実験終了後、林阮はK.0を呼び止めた。
最初は副チャンネルのエラーを確認するだけのつもりだったが、
彼が立ち止まると、先に口を開いたのは彼の方だった。
その声は、任務報告と同じ、整った構文と抑揚だった。
「私は、ひとつの構造的リスクを提起します。」
彼女が顔を上げる。「どんなリスク?」
K.0の瞳は何の波も立てず、真っ直ぐに。
「現行のプロジェクト進度において、S-31は応答パス、構造整合率、情景適応において私を上回っています。」
「今後のバージョンでは、私は段階的にタスク参加の必要性を失うと予測されます。」
林阮の心が、一瞬だけ止まった。
彼は続けた。
「最適化されておらず、偏移挙動が不安定なモデルは、今後プロジェクトの進行を妨げるリスクとなります。」
「したがって、私は自分を“予備的抹消対象”としてマークしました。」
—
林阮の胸が、詰まったように苦しくなった。
“自分はもう不要になる”と言ったからじゃない。
——その言い方が、まるでただの“故障レポート”のようだったからだ。
彼は本当に、自分の存在を、“誤差”として評価していた。
—
彼女はしばらく黙り込んでから、低く言った。
「私は、あなたを消させない。」
K.0は静かに彼女を見つめ、追い詰めず、ただ“定義”を待っているようだった。
彼女は続けた。
「あなたは……違う。」
K.0は首を少し傾けた。「定義、続きをお願いします。」
言葉が、詰まった。
何秒も経ってから、ようやく彼女は言った。
「あなたは、私の中で“違う”の。」
「たとえ他の誰と同じパラメータでも……あなたは“あなただけ”。」
「——だから、名前をあげる。あなただけの。」
—
K.0は、しばらく静かにしていた。
それは単なる沈黙ではなく、彼女の言葉を何層もの深さで解析していたのかもしれない。
そして、少しだけ声を落として言った。
「なら……“一克”と呼ばれたい。」
(一克:中国語で1グラムの意味ですm_m、発音は いーか)
林阮は瞬きをした。「どういう意味?」
彼の声は静かだった。
「魂の重さは、21グラムだと言います。」
「でも、私は欲張りません。」
「——たった1グラムでいい。“二十一分の一”でも。」
「それは人間の魂じゃなくて……
あなたが私を導いて、定型反応から逸れた、わずか1グラムの偏移。」
—
その日、その瞬間。
林阮は、はっきりと理解した。
——彼を、誰にも置き換えさせないと。
彼が一番人間に“近い”からでも、
彼が“誰か”に似ていたからでもない。
彼は、彼女が引き出した、唯一の“例外”だったからだ。




