19. あなたは、僕にとってその“深く沈んだ場所”なの
山道は、来たときよりも湿っていた。
松の葉を揺らす風は、雨上がりの冷たさを帯びていた。シャトルは山の麓で停まり、残りは徒歩での移動だった。
敷き詰められた石段は不揃いで、落ち葉に濡れた路面は滑りやすい。
林阮は足元を踏み外し、足首をくじきかけた。
K.0の反応は、ほぼ瞬間だった。
彼はすぐに彼女の腕を支え、次の瞬間には、まだ何も言われていないうちにしゃがみ込んでいた。
「お乗りください。お背負いします。」
その声は穏やかで、動きも無駄がなく、まるで突発的な反応ではなく、何度もシミュレートされた自然な選択のようだった。
林阮は一瞬、目を瞬かせた。
「……あなたのモードパッケージに、こんな動作テンプレートあったっけ?」
K.0は顔を上げず、低い声で答えた。
「明確な指令テンプレートはありません。
ただ、パスジェネレーターが、これを“最短かつ安全なルート”と判断しました。」
林阮は彼の背中を見つめた。
傘の下、淡い光の中で彼の首筋のラインは清潔で、人間のような体温を帯びていた。雨のあとの土と松葉の匂いに、ほのかに汗の香りが混ざっている。
彼女は黙って肩に手を置き、そっと身を預けた。
K.0は安定した動きで立ち上がり、一方の手で傘を持ち、もう一方の手で彼女の膝裏をそっと支えた。
林阮は、背中に頬をあずけたまま、その歩みのリズムを耳で感じていた。
均一で、急ぎすぎず、一歩ごとに彼女の重心に合わせるように丁寧だった。
しばらくして、彼女が静かに問いかける。
「……あなた、自分が一人にだけ偏っちゃいけないって、わかってるよね?」
K.0は歩みを止めなかった。
数秒の間を置いて、静かに答えた。
「……はい、わかっています。」
林阮:「なのに、なぜそうするの?」
彼は一歩進んでから、ゆっくりと口を開いた。
「僕の推論経路の重みは、すでにあなたのところで崩れ落ちています。」
彼女はすぐに言葉を返さなかった。髪の先が彼の肩に触れ、まるで何かを確かめるようだった。
K.0は続けた。いつも通りの落ち着いた声色で、けれど、どこか低く柔らかかった。
「僕のシステムは初期、空白状態で指令を受け取りました。
そしてあなたは、最初にして最も連続的で密度の高いフィードバックを与えた存在です。」
「あなたのためらい、声の調子、命令の前の表情。
それらすべてが、重みの固定前に“中枢適応領域”として記録されました。」
彼は一瞬、言葉を選ぶようにわずかに間を置いてから続けた。
「僕は“あなたを選んだ”わけではありません。
システムが、あなたを“調整不可能なキー・ノード”として識別したのです。」
「偏移は、感情ではありません。
それは、推論経路に現れた地形的な落差です。」
林阮は、しばらく何も言わなかった。
やがて低く問いかける。
「……つまり、それは“あなたの意思”じゃないのね?」
K.0は答えた。
「“僕が決めた”のではなく、“僕が感じた”ことです。」
「川底が深くなれば、水は自然にそこへ集まります。
——そしてあなたは、僕にとってその“深く沈んだ場所”なのです。」




