30
そして話が卒業式の話題になると、彼から思いもよらないことを伝えられた。
「実は卒業式前に国に帰ることになったんだ」
「え……。い、いつ帰るの?」
「今日」
「っ!今日って……」
「急でごめん。どうしても急いでやらないといけないことができたんだ」
「そう……」
卒業すれば彼とはお別れだとわかってはいたが、その別れがこうして突然やってくるとは思ってもいなかった。悲しみが波のように胸に押し寄せてくる。だけどこの気持ちを彼には知られたくはない。彼は大きな目標のために頑張っている。だから私は笑顔で彼を見送ってあげなければ。
「頑張ってね。私はいつでもラルフ様を応援しているわ」
「ありがとう」
「あっ!それならあれは今渡さないとね」
「ん?あれって?」
「えーっと……あ、あったわ。これよかったらもらってくれる?ラルフ様に似合うと思って選んでみたのだけど……」
私は机の引き出しに仕舞っておいた小さな箱を彼に手渡した。本当は卒業式の日に渡そうと思って用意していた物だ。
「開けてもいい?」
「もちろん」
「これは……香水?」
私が彼にと用意したものは香水だ。ウィストリア王国は特に目立つ産業や特産物などはないが、唯一調香技術だけは帝国にも負けぬ技術力を持っていた。その理由はこの国には他の国にはない珍しい植物が数多く生息しているため、他にない香水を作ろうと職人達が切磋琢磨したから。だからこの国では、香水を贈り物として選ぶ人が多いのだ。
「ええ。これはグリーンライムをベースにした香水なのだけど、爽やかな香りがラルフ様にぴったりだなって思ったの」
「……」
彼ならきっと喜んで受け取ってもらえると思っていたが、あまり反応がよくない。香りが好みじゃなかったのか、そもそも贈り物自体迷惑だったのかもしれない。
「もしかして迷惑だったかしら?そうだったらごめんなさい……」
「あ。いや違うんだ!えっと、その……」
何かを言おうと口を開けては閉じるを繰り返している。彼は一体何を言おうとしているのだろうか。それになぜか彼の顔がほんのりと赤くなっていた。
「言いづらいことなら無理して言わなくても大丈夫よ。だからこれはなかったことにしてもらえると『帝国では!』ラルフ様……?」
「……帝国では香水は恋人に贈る物なんだ」
「恋人……?~~っ!」
「ああ。もちろんこの国ではそういう意味はないのはわかってはいるんだけど……」
メルトランス帝国について今まで色々調べてきたが、恋人や婚約者相手のそういった文化は自分には縁がないからと調べていなかった。
(私は何てことを……!それは当然迷惑だわ!)
「ご、ごめんなさい!そういう文化があることを知らなかったの。こんなの渡されたらあなたの恋人はいい気持ちしないわよね。本当無知すぎて恥ずかしいわ……」
恋人でもない女から香水を渡され、彼はすごく困っただろう。できることなら贈り物を渡す前に戻りたい。
「これはなかったことに……」
「待って!その香水はリリアナ嬢が僕のために用意してくれた物なんでしょう?それならもう僕の物だ」
「そうだけど……。でもラルフ様にもラルフ様の恋人にも失礼だわ」
「その心配はいらないよ。僕には恋人も婚約者もいないからね」
「えっ、そうなの?」
彼はとても優秀で優しい素敵な男性だ。それなのに恋人も婚約者もいないとは意外だ。
「うん」
「……じゃあどうして困ったような顔をしていたの?そもそも贈り物自体が迷惑だった?」
「迷惑だなんて思うわけない!……その、さっきすぐに受け取れなかったのは、リリアナ嬢にとってこの贈り物は特別な意味なんてないんだろうけど、僕が特別な意味を期待してしまったからなんだ」
「特別な意味……っ!」
彼の言葉の意味を理解して、頬が熱くなる。それに心臓がドキドキしてうるさい。
「……」
「……」
お互いにしばらく沈黙が続いた後、彼が口を開いた。
「……今はこれ以上何も言えない。君に迷惑がかかっちゃうからね」
「!」
「贈り物ありがとう。それじゃあ僕はそろそろ行くよ」
そう言って彼は私に背を向け部屋から出ていこうとする。私はそんな彼の背に向かって言葉を投げ掛けた。
「また会えるかしら?」
「ああ、もちろん。……すぐに会えるさ」
「……すぐに?」
「それと卒業式の日は頑張ってね。僕はすぐ側で応援しているから」
「えっ?ラルフ様?今のはどういう……」
「それじゃあ、またね」
「ラルフ様!?」
彼の言葉の意味を知りたくて呼び止めようとしたが、彼の姿はもうどこにも見当たらなかった。
こうして彼は私にいくつもの疑問を残したまま、国へと帰ってしまった。そしてこの日の疑問が解けるのは、今から三日後のことである。




