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理想的な政治体制とはなにか

作者: 国家第一の下僕

 政治体制、つまり政体。その種類は様々あります。


 大体の場合、政体は君主制、共和制、民主制の三つに大別出来ると思います。


 しかし一口に君主制と言っても、その君主の地位が世襲によるものなのか選挙によるものなのか、そして権限は封建制か専制のどちらなのか、それともそもそも君主がお飾りと化している立憲君主制(正確には制限君主制)なのかなど多岐に渡ります。


 つまり君主制、共和制、民主制の三つの単語だけでは完全に政体を語ることは出来ません。


 では早速本題ですが、理想的な政体とは何でしょうか。


 何を理想とするかによりますが、面倒なので細かい定義はしません。というのも、例えばベンサムの言に従って国民の幸福度が高いのを理想とした場合は、かつてのブータンも理想の一つとなってしまいます。


 ブータンは発展途上国なのにもかかわらず世界幸福度ランキング上位の常連でしたが、それは他国の情報がブータン国内にあまりなかったからです。


 そのため文明機器が国内で普及して以降はブータン国民が他国の情報を得ることが出来るようになり、その結果ブータン国民は他国の人の生活と自分の生活を比べ始め、幸福度ランキングはみるみるうちに下がっていきました。


 幸福度が高い=理想ではないわけです。日本の幸福度ランキングが低いのもこうした理由があります。


 このように理想の定義は非常に難しいのです。まあざっくり、上手く機能し得る政治体制を理想としておきましょうか。


 さて。まずは民主制の批判から入ります。


 現代社会では民主主義及び資本主義こそ至高である、と考える人が多いはずです。それは、平等、という点があるからでしょう。


 資本主義なんかは資本家が強いので平等と言うべきかは判断に困りますが、民主主義はちゃんと平等です。


 平等が良いということはわかります。私もそれについて何か言うつもりはありません。……そんなに平等が好きなら共産圏に行けよと思わなくもないですがね。


 しかし、平等じゃないから悪いというわけでもないのです。


 どこぞの評論文などによく書かれていますが、二項対立で物事を考えてはいけません。どちらが善でどちらが悪か、などという簡単な考え方では見えてくるものも見えてきません。


 平等と格差には良い点と悪い点があり、どちらも一概に善であるとか悪であると言いきるのは愚の骨頂なわけです。


 民主制は平等だから善で、故に理想的な政治体制である、とは言えませんし、君主制は格差があるから悪で、故に理想的な政治体制ではない、とも言えません。


 優秀な支配者によって統治された国が()い国の一例である、とプラトンは言いました。


 これは逆説的に、暗君によって統治された国は悪い国の一例だということです。


 要するに、君主制だとしても、君主が優秀か否かで理想的な国かどうかがガラリと変わるということです。


 民主制も国民が優秀か否かで変わります。また、民主制国家において多数派を占める政党などが独裁に走るケースもあり、ナチスなどがこれです。


 民主制は衆愚政治に陥る可能性があり、そうなった場合には権力を優秀な者(哲人王)に集中させて意思決定を迅速に行い、改革を推し進めるべきだと考えられています。


 しかし権力を握った哲人王が独裁者となることがあるため、哲学を学ばせることでこれを回避しようというのがプラトンの考えです。これを哲人政治と言います。


 上で述べたプラトンによる善い国の一例というのがこれのことで、ヒトラーはこのプラトンの考えを利用して自身を哲人王と称することで衆愚政に陥った民主政権ヴァイマルの打倒を正当化し、合法的にナチス・ドイツを打ち立てました。


 ここで、民主制を二つに分けましょう。一つが直接民主制、一つが間接民主制です。


 直接民主制は文字通り国民全員による多数決で政治を行い、間接民主制は国民による選挙で選ばれた議員達による多数決で政治を行います。日本を始めとした民主制国家は基本的に後者です。


 ルソーは直接民主制こそが真の民主主義であると主張しました。どう考えても民意が反映されやすいのは直接民主制だからです。国民全員で話し合いをしているんですから当然でしょう。


 しかし日本のように人口が多い国で直接民主制を行うとなると、その大変さは想像に難くないはずです。なので間接民主制を採用するしかありません。


 直接民主制を成り立たせるためには人口が少ない国、つまり小国であることが前提というわけです。


 古代ギリシアで直接民主制が成り立っていたのは、ギリシアが一つの国ではなく都市国家の寄り集まりだったからです。


 間接民主制は人口が多い国でも採用出来る一方で、議員が民意を代弁出来ない可能性もあり、今日本ではこれが起きています。


 では間接民主制より直接民主制の方が理想に近いのかというと、そうとも言えません。直接民主制はその性質上、ポピュリズムに陥りやすいです。


 ポピュリズムとは、大衆の利益を追及することを指します。直接民主制では多数派が利益を追及するようになると、途端にポピュリズムへと陥ることになるのです。


 ポピュリズムでは大衆の利益が優先されるため他が軽んじられる傾向にあり、これが欠点となっています。


 直接民主制も間接民主制も一長一短ですね。


 纏めると民主制は、一歩間違えると衆愚政や独裁、はたまたポピュリズムに陥るという危うさを孕んでいるということです。


 危ういのは民主制に限らずどの政体もそうですが、民主制をただただ善であると捉えるのは間違っていることを頭に入れておいてください。


 次に、君主制。これは非常に当たり外れの激しい政体だと言えます。君主が優秀ならば国は富みますが、君主が愚かならば途端に国力は衰退し周辺国の食い物にされてしまいます。


 では、プラトンが説いた哲人王は実在するのか。この問いは明確にイエスです。世界史を学んだ人ならば、大王や大帝と称される人達が何人もいることを知っているでしょう。


 大王や大帝とは文字通り、偉大なる王ないし皇帝のことです。例を挙げればマケドニア王国のアレクサンドロス大王、ペルシア帝国のキュロス大王、東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝、ロシア帝国のピョートル大帝などが有名ですね。


 彼らの治世下ではいずれも、国は飛躍的に強大化しています。


 プラトンの言わんとする哲人王に近い例だと、ローマ帝国の五賢帝が当てはまります。


 ローマ帝国初期のプリンキパトゥスの時代、ローマ皇帝は皇帝を名乗っていませんでした。


 ローマは王政から共和政、帝政という順序で政体が変わっています。その王政時代に王が圧政を敷いたため、ローマ人は君主を嫌っていたのです。


 事実、ローマの共和政末期に独裁的振る舞いを見せたガイウス・ユリウス・カエサルは共和主義者に暗殺されています。そのため帝政移行後も、ローマ皇帝は共和主義者に暗殺されないために皇帝と名乗ることを避けました。


 なのでローマ帝国初期は、名目上では未だに共和政の国家でした。プリンキパトゥス時代のローマ皇帝は、共和国の大統領が全ての大臣職を兼任している状態と言えばわかりやすいでしょう。


 つまり初期のローマ皇帝は、様々な役職を兼ねて強い権力を握った者のことを指したのです。


 早い話、プリンキパトゥスのローマ皇帝=共和国の独裁者ということです。


 この状態は、プラトンの言った哲人王にとてもよく似ていることはわかりますね?


 そして、ローマ帝国と言ったらやはり五賢帝です。


 初期のローマ帝国において五人の優秀な皇帝が在位していた時期を五賢帝時代と言い、その五人の皇帝を五賢帝と称します。


 この五賢帝は共和国の優秀な独裁者なわけなので、まさしくプラトンの哲人王を体現した存在なのです。


 が、良いことばかりではありません。五賢帝時代はたまたま五人の優秀な皇帝が同時期に出現しましたが、本来そんな奇跡的なことは起こり得ません。


 哲人王亡きあと暗君が即位したとしたら、たちまち国は弱体化することでしょう。また、人心が離れることは容易に予想でき、すなわちそれは君主制の崩壊を意味します。


 ではどうすべきか。哲人王だけを君主に即位させたいなら、まず世襲制は論外です。世襲制だと王の息子というだけで、愚者が王になり得るからです。


 ならばどうすべきか。


 古くから世襲君主が身近にいる日本人は理解に苦しむでしょうが、選挙君主制というものがあります。これは選挙によって君主を選出するものです。


 優秀な者を選挙で選び君主として即位させれば、それは哲人による支配、つまり哲人政治が成り立ちます。


 ただ、読者の多くは今までの流れでもう気づいているかとは思いますが、選挙君主制というものにも欠点があります。そしてその欠点により滅びた国家が実在します。


 それがポーランド・リトアニア共和国です。


 共和国とありますが、この国は国王も貴族もいます。


 共和制と民主制を同等のものだと捉えている人が私の周りにも何人かいましたが、実は両者は結構違います。


 民主制は共和制ですが、共和制は民主制ではありません。ややこしく書きましたが、共和制は民主制だけではなく一部の君主制も含んだ呼称なのです。


 君主がいたとしても、国民ないし国民の大部分に主権がある場合は共和制と呼ぶことが出来ます。


 君主がいるものの()()()()()に主権がある共和制国家の例は今の日本のような制限君主制、君主がいるものの()()()()()()に主権がある共和制国家の例は大日本帝国のような貴族制などを指します。


 貴族制では貴族に特権があり、それは民主とは一線を画すものです。共和制と民主制は双方言い換えることが可能ではありますが、別の単語であるのでやはり微妙に意味が異なります。


 話を戻しましょう。


 ポーランド・リトアニア共和国のような選挙によって君主を選出している国では、選ばれる側より選ぶ側の方が力が強いことは自明です。これは、選ぶ側(貴族)に主権があるということです。


 よって選挙君主国は君主制であると同時に貴族らによる共和制であるとも言えます。


 ポーランド・リトアニア共和国の国王の地位に就く者は、貴族による選挙によって選ばれる選挙君主制です。


 この国は元々世襲の王が君臨していましたが、王家の血が途絶えたことで選挙王制へと移行しました。これが結果として王の権威の失墜を招くことになります。


 権威が失墜し王権が弱体化したため、権力は中央から地方の貴族達の手に渡りました。そしてその貴族達は味方同士で権力闘争を繰り広げながら、自分達に都合の良い()()()()()を王に推挙するようになります。


 これは、貴族達が選挙王をコントロール出来るようにするための体制です。しかしこれが原因で諸外国による選挙への干渉が容易となり、最終的には外国軍の軍事的圧力の元で選挙が実施されました。


 喉元にナイフを突きつけられている状態で選挙が行われたわけです。そのため五月三日憲法により選挙は廃止されました。


 この五月三日憲法は当時としては革新的な民主的憲法でしたが、民主的ということはつまり絶対王政を否定しているということです。


 なので五月三日憲法により絶対王政の危機を感じ取ったロシア帝国やオーストリア帝国、はたまた同盟関係であったはずのプロイセン帝国はポーランドとの戦争を開始。


 三度にも及ぶポーランド分割によりポーランド・リトアニア共和国は消滅しました。


 王権が弱く、権威も地を這い、王座を巡って味方同士が争う。これが選挙君主制の欠点です。


 また、ハプスブルクのように選挙君主の座を独占し、実質的な世襲君主制と化す場合もあります。


 どの政体にも欠点があるし、結局理想の政体はなんなんだと皆さんは思っていることでしょう。


 私としては、社会主義・共産主義こそ理想だと考えています。


 ……おっと、この作者は思想が強いなと思いましたよね? ですが私だって別にソ連が理想だとほざくつもりはありませんよ。


 マルクスの考えに則った社会主義国家は未だに誕生していません。いずれの社会主義国家もマルクスに言わせてみれば不完全なものです。


 共産主義とは社会主義の最終段階を指し、国が管理せずとも全国民に利益が共有されている状態のことを言います。


 中国は共産主義の実現に成功したと嘘こいていますが、そも共産主義は実在していません。なぜってそれは、先に述べた通り今ある社会主義も不完全だからです。


 社会主義すら実現出来ていないのに、その最終段階である共産主義に至るなんてことは不可能でしょう。


 私が理想だと言うのは、マルクスの考えに則った完全なる共産主義を実現した国家のことです。


 マルクスによると、社会主義は資本主義から発生します。つまり社会主義に至るには一度資本主義を経由しなくてはなりません。


 今までの社会主義国家は資本主義を経ていないため、マルクスの考えに沿った社会主義であるとは言えません。


 要は、完全な社会主義・共産主義という未来が、社会主義にはまだあるということです。


 未来とは、可能性の塊です。故に、完全な共産主義が訪れ、理想の国家が誕生する可能性も大いにあります。


 事実、社会主義を成功させた共同体が存在しました。イスラエルのキブツという共同体です。


 キブツはイスラエルに三百近くあり、ロシア帝国の迫害から逃れたユダヤ人によって造られたのが始まりです。


 現在ではキブツは普通の町と何ら変わりのないものになってしまっていますが、数世代に渡り社会主義的な共同体を維持出来ていたことは称賛に値します。


 このキブツを成功例とし、完全な共産主義を目指すことで理想の政体が生まれ、ユートピアが実現するでしょう。


 ……自分で言っていてなんですが、そんなユートピアには住みたくないですね。


 完全な共産主義は政体としては理想かもしれませんが、そこでは個人が否定されて集団であることを求められます。皆さんはそれを理想と言えますか?


 さて。ユートピアという言葉は、ギリシア語で『どこにもない理想郷』を意味します。


 なので誰にとっても理想の政体なんてないのだということでしょう。



 私の知り合いの人がとても良いことを言っていました。


『民主主義も社会・共産主義も、完璧に機能すれば理想的でしょう。しかしそれらを完璧に機能させるためには、我々人間が完璧でなくてはなりません。が、もし我々が完璧になったのならば、そもそも民主主義や社会主義、共産主義は必要なくなります』


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[一言] 〉完全な共産主義は政体としては理想かもしれませんが、そこでは個人が否定されて集団であることを求められます。皆さんはそれを理想と言えますか? これが全てだなと。 集団である事を求めるからこ…
[気になる点] 理想の政治体制か…… 共産主義も社会主義もその思想における理想的な体制を整えるのに、意識においても格差のない完璧な国民、欲望を持たずサボることもない国民が必要という部分で理想論としか思…
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