71:久世桜
71:久世桜
「僕は、あまりバスケって好きじゃないんだ」
これは留学生のミラが千波から一番最初に言われた事だった。
ミラがフランスから日本へ来る前、中鏡高校の監督から聞いていたのは、東千波という選手は中学最強のチームでレギュラーを張っていたということだけ。
そしておそらくその選手はフランス代表のミラをも驚かせるだろうと。
そう聞いていたのに、バスケでここに来ているはずの子が、バスケが理由でここにいるわけではないことにミラは驚かされた。
一年次の県予選決勝の試合をミラは留学するか決める前にビデオで見せてもらったことがある。
その試合を見る限りでいえば、東千波は彼女が知る中でも五本の指に入る実力だと思った。
試合中でも関係なく千波は対戦校の選手に話しかけていた。
「三浦三姉妹は厄介そうだー」
「勝手にその括りに入れるな。私は三浦桜じゃないから」
「だって僕、桜が桜だってことしか知らないから三浦桜でもいいじゃん。久世とか近所のジジイみたいだよ」
「なんか桜が一年越しにディスられているようだけど。東さんは試合が始まっていることに気付いているの?」
司が心配する先には、元気に駆け抜けていく妹がミラという留学生の前で身長差をものともせずスルスルゴール下に侵入してゴールをしているのが目に入った。
「先制点はくれてやる!」
「いえ、別に私たちはいいのだけど」
桜の元チームメイトの自由奔放さに何をどうすればいいのか司は混乱している。
「コラ、ポンコツ」
「ポンコツいうな! へへん、僕たちの力におそれおのののいているのか」
「多い、多い。“の”が一回多い。それにそっちは失点しかしてないから、実力なんて知るかい。あと司はこいつとあまりしゃべらない方がいい」
「了解よ。話すなら試合の後にしましょう」
普段の司が千波と似ている部分があるため、その集中力を切らさないためにも極力この二人の接触は避けてもらいたい。
こういった試合の入り方をするあたり、千波は昔と変わっていないと思ってしまう。
「それじゃあ、一本返していこうか」
千波がボールを持ちミラのほうを見る。
分かりやすく一番強い部分でくるのかと思い司が警戒するが、あくまで変則的なポイントガードである千波はそれだけじゃ足りない。
「いっくよー、ミラ」
「そんなバカ正直に……!」
千波はサイドスロー気味にボールを放ると、そのボールは勢いよくゴール上のボードに当たって跳ね返ってくる。
それに高さのあるミラが反応して中鏡高校が得点を決めた。
「ミラは止めらんないよ。そんで、そっちのオフェンスは僕が止める」
中鏡高校はあからさまにエース潰しにいく。
試合の流れをつくるドリブルをする三浦妹がボールをもつとアイソレーションを使いコートが右側に妹と千波だけになった。
中鏡高校の得意とする形が、この1on1で徹底的に勝負するパターンだ。
去年はここから相手のボールを奪っての反撃――ターンオーバー率が全国一位だった。
「マイ、無理はするな!」
「行けそうなところまで行ってきます!」
桜から見ても妹の気合は十分だが、千波を抜ききれるとは思えない。
振り切ることくらいはできるだろうが、そこからが千波の本領だ。
高校一年生とは思えないほど冷静に相手と自分の距離を測る妹の自力は、未知数の才能を感じさせた。
千波が受け身になっていることを読み取って切り込むと、一気にトップスピードまで上げられる敏捷性は初見なら脅威だろう。
この対決は妹の勝ち――この場にいる観客はそう思っただろう。
相手のエースガードを振り切って、あとはゴールへ向かっていくだけの妹は小さく声を漏らし、そのボールはいつのまにか奪われていた。
「すごいね。手加減したつもりはないのに抜かれそうになっちゃった」
「え? どうして……」
「でもそこはまだ僕の領域だよ」
妹に完璧に抜かれたと思った彼女は、後ろ目に妹を、妹の背後からボールを掠め取っていた。
相手に気付かせないように完全に視界の外から伸ばされた細くて長い手は、彼女の大きな武器なのだ。
「このまま一気に行きたいけど、ミラのマークは桜がつくのかぁ。なら他を使おうか」
一撃目とは変わって平凡なパスで前線の味方にパスを送ると千波はペタペタとゴール方向へ歩いていく。
桜の知る限り、千波の得点能力はゼロに近いためマークは司についてもらった。
これは千波を止めるという目的でなく、ターンオーバーした際に一気に司のスリーポイントで逆転できるように前の方に彼女を置いておくためだ。
ゴール下にいる未知数の相手は桜が自分で止めればいい。
それだけで心配事はだいぶ解消される。
それは東千波が変則的なポイントガードとして有名なのと同じように、久世桜はどんなポジションでも存在感を出せる汚れ役として有名だからだ。
具体的には、実力が異なる相手でも必ず勝てるようなプレーを桜はすることが出来る。
外からのシュートが外れてリバウンド勝負になる。
ゴール下で待っていたミラモンドは身長もそうだが跳躍力もある。
状況次第ではダンクも決めるくらいだ。
それを相手にしなければならない桜は、出来る限り身体を密着させて相手の自由を奪い、審判に気付かれない程度に身体をぶつけた。
それに苛立ってくれると助かるが、日本までバスケをしに来ている人がこれほど分かりやすい挑発にかかるとは最初から思っていない。
桜の狙いは最初から相手のリズムを崩すことだ。
相手の呼吸を乱し、プレーを邪魔することでリズムを無理やり崩して相手に100%のプレーをさせないことが桜のスタイルといってもいい。
少なくとも中学まではこのスタイルで全国一位の座を誰にも渡さなかった。
リバウンドのタイミングを間違えたミラを桜は空中で迎撃した。
タイミングをずらされても接戦になった勝負は桜がボールを取りボールを前へ送ると司が反応して一気に逆転に成功する。
これでお互いの実力を確認できた。
そして元チームメイト同士が動く。
千波が動き妹のマークに着く。
桜はミラモンドのマークにつき、司はフリーになれる動きを心掛ける。
千波の仕掛けた罠にじわじわとはめられていることに桜や司が気付かないまま、試合は静かに進行していく。
次の投稿は木曜日を予定しています。