87 涙【アイザック視点】
リリーはあの後意識を失った。自分の全ての力をブライアンに注いだのだから当然なのかもしれないが、この時の俺は取り乱していた。
「リリーっ!」
俺は倒れた彼女を抱きとめて、リリーの名前を呼び続けたが反応はない。どうしよう……彼女に何かあったら。俺はさっと顔が青ざめる。
デューク様は冷静に彼女の脈を確認し「大丈夫だ。意識を失っているだけだ」と俺の肩をポンと叩いた。その言葉にほっとため息をつく。
「アイザック、お前は先に我が家に帰ってリリーを寝かせてやってくれ。移動分の魔力はまだ残ってるな?」
「はい。魔力はリリーが祝福をくれたのでまだあります」
「私はもう魔力がほぼ尽きている。悪いが向こうに着いたらアルファードを呼んでくれ。ブライアンもステファンの遺体もここには放置できない」
「わかりました」
俺はそっと彼女を横抱きにして移動魔法を唱えて、スティアート家に着いた。
その部屋にはエヴァ様やアーサー、使用人達もみんな心配そうな顔で集まっておりいきなり現れた俺に驚いていた。
「リリーは無事ですか?あの……デュークは!?」
青ざめた顔で、珍しく焦っているエヴァ様が俺に駆け寄ってきた。
「リリーは気を失っているだけです。デューク様もご無事ですが、魔力切れで……先に俺だけ戻ってきました」
「そうですか。アイザック君、助けてくれて本当にありがとう」
エヴァ様はスッと一粒だけ涙をこぼしたが、その後はキリッと伯爵家夫人の顔に戻った。
「アリス、リリーが寝れるように部屋を整えて」
「はい」
「料理長、起きたら何か食べれるように……あの子の好きな物作っておいてくれるかしら?」
「奥様、もちろんです。お嬢様の好きな物ご用意しておきます」
エヴァ様の一言で使用人達はテキパキと動き出す。
「義兄さん、姉様を救ってくれてありがとう。これを返せて本当によかった」
俺は彼に預けていた大事な指輪を受け取る。
「あの、ブライアン様は……?」
「ああ、彼も無事だ。アーサー、悪いがうちの親父を呼んでくれないか?俺はリリーの傍についていたいんだ」
「わかった」
アーサーに親父のことを頼んでいる間に、アリスによって彼女の部屋は完璧に整えられていた。
リリーをそっとベッドに下ろす。あまりに静かなため、少し不安になる。肌は血の気がひいて青白く、目を伏せたまつ毛は長くて……その姿は美しい人形のようだ。
そっと彼女に触れ、体温を確かめる。温かい……ちゃんと生きてる。
「早く目を覚ましてくれ」
俺は彼女の手をギュッと握った。すると親父がノックをして部屋に入ってきた。
「アイザック、よくやったな。無事で良かった」
「親父……」
親父は掠れた声でそう言い、俺達を心配していたことがよくわかった。
「ああ。デューク様が魔力切れなんだ。移動魔法で迎えに行ってあげてくれ。ちなみにブライアンも意識を失ってる。ステファンは死んだが……あいつの遺体もそのままにしておくわけにはいかなないとデューク様が言っていた」
「わかった、すぐ向かう。ステファンのことは隣国との関係もあるから、陛下からご指示があるはずだ。すでに今回の事は俺から説明してある」
「親父、頼む。俺は彼女から離れたくない」
「ああ。後のことは心配するな」
子どもの頃のように俺の頭をわしわしと撫でて、親父は部屋を出て行った。
♢♢♢
丸一日経ったが、彼女はまだ目を覚まさない。デューク様はこちらに戻ってきているが、この事件の後処理の為親父と共に王宮に出掛けた。ブライアンは一度目を覚ましたが、また寝ているそうだ。
彼女の頬の手当てと着替えの時だけ、アリスに任すがそれ以外は俺がずっと寄り添っていた。看病を代わると言われたが断った。
「リリー」
俺は返事をしてくれない彼女に、名前を呼び続けた。
「お願いだから……早く元気になってくれよ。俺がつまらないだろ」
『アイザック何してるのよ?早く元気になりなさい!だって、遊びたいのに私がつまらないじゃない』……これは小さい頃にご飯が食べれず寝込んでいた俺に、彼女が言った言葉だ。
「早く……俺の名前を呼んでくれ」
俺は少しだけ彼女の頭を上げ、新しいチェーンに通し直した指輪のネックレスをつける。そして、彼女の左手にも婚約指輪をはめ直した。
「愛してる」
彼女がいれば俺は何もいらない。小さい頃から俺の世界は彼女中心にまわっているのだから。
――もし、このままリリーが目を覚まさなかったらどうしよう。そんな不安が俺の心を支配してくる。想像しただけで恐怖で体が震える。
いや、そんなことあり得ない。彼女は必ず目を覚ます!俺が信じないでどうするんだ。
そう思っているのに目からは自然と涙が出てくる。昔はあんなに泣き虫だったが、俺は彼女に相応しい男になると心に決めてからはどんなに悔しくって辛くても泣かないと決めていた。
決めていたのに……
「俺は君がいないと弱くて駄目なままだ」
だめだ……涙がボタボタとたくさん溢れ出て止まらない。彼女の頬や手が雨が降ったかのように濡れていく。
「……っく、リリー……リリ……」
俺は声を押し殺して泣いた。
「ザッ……ク……ど……したの?」
その時、彼女の消えてなくなりそうな小さな声が確かに聞こえた。
「リリー……リリー!気が付いたのか?」
俺は彼女の手をギュッと握り、必死に話しかけた。彼女の意識がだんだんとしっかりしてくる。
「あな……たが、泣い……てる声が聞こえたの」
「リリー!良かった……」
「だいじょ……ぶ。ありがとう。ごめんなさい、指輪も……奪われちゃったかと思ってた。戻ってきて良かった」
彼女がネックレスと婚約指輪に大事そうに触れて、ふわっと笑った。その姿を見て俺は心からほっとした。そして、その後自分がぐしゃぐしゃに泣いていることに気がついて急に恥ずかしくなった。俺は袖で乱暴に目を擦り、涙を拭った。
「ごめん。こんな格好悪い姿見せて」
「格好……悪くなんてない。私を心配して泣いてくれたんでしょう?」
「リリー……」
「ザックは格好良いよ。私をいつも守ってくれて、強くて、優しくて大好きよ」
俺はリリーのその言葉が嬉しすぎて、幸せでまた涙が出てくる。
「ずっと……言いたかったの。私を好きになってくれてありがとう」
「それはこっちの台詞だよ。リリー、俺を選んでくれてありがとう」
ゆっくりと起き上がった彼女をぎゅっと抱きしめキスをした。キスをしても、彼女からは何の魔力も感じない。もう女神の祝福は完全になくなったのだ。
でもそんな能力――いらない。彼女がいれば俺はいくらでも強くなれる。それは祝福なんかじゃない。彼女自身の持つ力だ。
「愛してる」
ああ……君に愛を伝えるこれ以上に良い言葉が見つからないのがもどかしい。君は俺の全てで、何よりも愛おしくて大好きな存在だと伝えたいのに。




