100 幸せな日々
やっと接近禁止命令が解かれ、夫婦の寝室に申し訳なさそうなザックが現れた。
「ふふ、何だか久しぶりね」
私が笑いながら冗談っぽくそう言うと、彼は大袈裟にため息をついた。
「はぁ……まいった。ジルとドロシーにこってり怒られたよ」
「ふふふ」
「まさか新婚初日から、リリーと過ごせなくなるなんて」
「頼もしい使用人で安心ね」
「彼等は幼少期から世話になってるから、逆らえない。どっちが主人かわからなくて困るよ」
ザックは眉を下げてフッと笑った。そして、私に優しく口付けをして「今夜は何もしないから……抱きしめて一緒に寝てもいい?」と聞いてきた。
「ええ」
「よかった。愛してる」
「私もよ」
彼はそっと私を抱きしめ「幸せだ」と呟いた。最初はドキドキして眠れないと思ったが、彼の体温や匂いにだんだんと落ち着いて私は安らかに眠りについた。
「――寝れないのは俺だけか」
私がすやすやと寝ている時、実はザックは私を抱きしめたことで目が冴えて全く寝れなかったらしい。
「……おやすみ。俺だけの女神」
私は夢の中で、おでこに何か温かいものが触れた気がした。
♢♢♢
結婚式から半年程経ち、ザックも魔法騎士団で立派に働いていた。中には危険な任務もあるようで不安だが、魔力の強い彼は問題なくこなしている。
私もお義母様に色々と社交界でのことや侯爵家のことを教えてもらい、今では立派に彼の奥様としての役割を担っている。
「ザック、いってらっしゃい」
「リリー!体調が悪いんだろう?起きていてはダメだ」
「大丈夫。きっと疲れが出ただけよ」
「だめだ!寝ていろ!!君に何かあったらと……心配なんだ。本当はリリーにずっとついていたいが」
「いけないわ。大丈夫だから任務に行って」
「……」
「ね?」
「アリス!くれぐれもリリーを頼むぞ。ベッドから出すな」
――はぁ。彼は私のことになると心配性で困る。まるで昔のお父様のようだ。
「旦那様、アリスにお任せくださいませ」
「……頼んだぞ。リリー、お願いだから大人しく休んでてくれ。なるべく早く帰る」
「わかったわ」
「愛してる」
「私も愛してるわ」
ちゅっとキスをして彼は仕事へ向かった。完全に彼が見えなくなるのを確認して、私は使用人達に話しかける。
「さあ、やっと心配性な旦那様は行ったわ!みんな手配をよろしくね」
「かしこまりました」
私の言葉にみんなバタバタと動き出す。
「昨日連絡しておいたので、すぐに来てくださるそうです」
「そう、ありがとう。自室の方がいいわよね」
「そうですね」
「お世話になるんですもの。来られたらお出迎えするわ」
「わかりました」
私はある人に彼には秘密で会った。そして、私の予想は当たっていたことが確定した。あとは……彼が帰ってくるのを待つだけだ。
ザックは朝に自分で言った通り、いつもより早く仕事から帰ってきた。
「戻ったよ」
「おかえりなさいませ」
私が玄関で出迎えるといつもはとても嬉しそうな顔をするのに、今日の彼はあからさまにムッと不機嫌な顔をした。寝ていろと言ったのに、私が起きているからだ。
「リリー!君はどうして俺の言うことが聞けないんだ!!」
珍しく怒っている彼に「気分が良いの」と私は微笑んだ。彼はまだ不機嫌な顔をしている。
「だってね……私達の赤ちゃんができたのよ!」
ザックは子どもができたと知ったら、きっと両手をあげてハイテンションで喜ぶに違いないと思っていたのに彼からは何の言葉もない。
あれ?……なんで何も言ってくれないの?もしかしてまだ子ども欲しくなかったとか!?私は一人で不安になってくる。
「……本当?」
「ええ」
「本当に?俺たちの子どもが?」
「ええ」
「リリー……嬉し……い」
彼は私をそっと抱きしめ、ぐすぐすと泣いている。私もつられて一緒に泣いてしまった。
「体調悪かったのは、つわりだったのか」
「そうみたい。今日先生に診ていただいたの」
「よかった。病気じゃなくて……それも心配だったんだ」
「嬉しいね」
「こんな嬉しいことはないよ。リリー、いつも以上に体を大事にしてくれ」
妊娠した私に彼はさらに愛を注ぐようになった。正直、鬱陶しいくらいの愛情で困ることもあったが、それでも嬉しかった。そして……月日が経ち無事に『オスカー』という名前の元気な男の子が産まれた。
「リリー、よく頑張ったな。ありがとう」
「ええ……可愛いわね」
「ああ、とても可愛いな。俺は絶対に二人を幸せにする」
「違うわ。私達三人で幸せになりましょう」
「そうだな」
ザックと私は大事な息子の誕生を心から喜んだ。そしてそれ以上に、両家の親は初孫の誕生に大喜びだった。
実は今までは女神の第一子は女の子と運命が決まっていたそうだが……私の子どもは男の子だった。完全に私の祝福は消えてしまったことがわかった。
今日私は、初めてブライアンに貰ったブローチを使う。ブローチを手に取り「ブライアン……会いたい」と声をかけた。
その瞬間に本当にフッとブライアンが現れた。呼ばれたことで緊急の場面かと思ったのか、彼は今にも魔法で全てを滅ぼせるようなくらいの魔力を手に溜めていた。その姿に私もザックも焦る。
そうだった……この人めちゃくちゃ強い魔法使いだったわ。
「ブライアン!久しぶり。違うの!!危険な場面じゃないの」
そう言った私の姿をみて、やっと彼は魔力を消した。
「リリー、久しぶりだな。急に呼ぶから驚いたぞ。敵かと思った」
「ごめんなさい」
「君ならいつ呼んでくれてもいいさ。リリー、人妻になって色気が出てきたな……綺麗になった」
ブライアンに頬に触れられながら褒められ、自然と頬が染まる。
「おい!俺の存在無視するなよ」
「なんだ……アイザックいたのか」
「いるに決まってるだろ!」
「てっきり、お前と上手くいってないから俺が呼ばれたのかと期待したのに」
「そんなわけないだろ!」
結婚してすっかり大人になったザックだが、ブライアンの前ではいつもの子どもっぽい彼に戻ってしまうようだ。
「ふにぁ……ふにゃぁ……」
その時息子が泣きだし、ブライアンは驚いて声の方を見た。
「私達の子どもができたの。貴方にも抱いて欲しくて……それで呼んだの」
「そうか。子どもが……おめでとう」
「オスカーという名前なの」
「オスカーだと?まさか男なのか」
「ええ……女神の能力はもう私には完全にないみたい」
彼は嬉しそうに目を細め、そっとオスカーを抱き上げた。息子は少しキョトンとした顔をしたが、ブライアンの長い髪を嬉しそうにギューギューと握って遊んでいる。
「フッ、乱暴なところはお転婆なリリーに似ているらしい」
「なんですって!」
「くっくっく、嘘だよ。オスカー……お前はアイザックに似ずに、可愛いリリーに似るんだぞ」
そう言って息子の頬をつんつんと触っている。
「おい、ふざけんな」
アイザックの怒った顔を見て、ブライアンはゲラゲラと笑っている。良かった、彼は元気そうだ。
「また祝いを持ってくるよ」
「そんなのいいのに」
「いや、一度陛下に報告も兼ねて王宮へ帰ろうと思ってたところなんだ」
「報告?」
「ああ。来月、私は結婚するから」
私とザックは驚きで目を見開く。
「結婚っ!?」
「そんなに驚かれるとは心外だな」
「誰と!どんな人?」
「向こうの国の女。君に負けないイイ女だよ」
そんな爆弾発言をブライアンがさらっと言うので、質問大会になった。彼は十五歳程年下の若い女性と結婚する予定で陛下のお孫さんの留学が終わり次第、こちらに奥様と戻ってくる予定だそうだ。驚きだ。
「おめでとう。貴方が素敵な人と巡り会えてよかったわ」
「ああ、ありがとう。自分のために生きろと言ってくれたリリーのおかげだよ。彼女には君のことを話してあるんだ。会ってみたいと言っていた」
「ええ、戻ってきたら是非紹介して」
ブライアンは嬉しそうに微笑んで、名残惜しいがそろそろ帰ると言った。急に消えたため、きっと向こうで問題になっているからと……。
「リリーが幸せそうで安心した。アイザックに任せて良かった」
「当たり前だろ。お前も……結婚おめでとう」
「ふっ、ありがとな。じゃあまた」
彼はまた移動魔法であっという間に消えた。
「はぁ……驚かせようとしたら、こっちがびっくりしたね」
「ああ。でもあいつも幸せになって良かったな」
「本当にね」
孤独だった彼が誰かと一緒に人生を歩もうと思ったのであれば、とても嬉しい。幸せな気持ちでブライアンへの報告は終わった。
「でも、あいつも俺達の幸せには勝てない!」
「ふふっ、対抗意識」
「当たり前だろ!君を奥さんにできた俺が一番幸せに決まってる」
当たり前のようにそう言ってくれるザックに、じんわりと心が温かくなる。
「ザック、私に幸せをくれてありがとう」
「それはこっちの台詞だよ。一生愛してる」
私達は見つめ合い、優しいキスを交わす。
「君とキスすると力が湧いてくる」
もう私に女神の能力はないはずなのだけれど、彼にだけは永遠に祝福が続いているそうだ。
――そう、その祝福は魔法ではなく私の愛によるものだ。
これで完結になります。最後までお読みいただきありがとうございました。