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8.恋人気分sideライナス


 舞い上がっていた。その一言につきる。


 フローラが昨日のうちに実家の執事に先触れを出すよう頼んでいたとわかって、急いでカールソン子爵家へ向かった。


 春の暖かな日差しを受けながら、美しい人が佇んでいる。


 王宮でもしばしば眺めていた──王宮の庭園は王太子殿下の執務室から見渡せて、私は視力が飛びきり良い──フローラの陽に浴びるときらきらと輝くような淡いブラウンの髪。芯の強そうな深緑の瞳に、上品に整った顔は真っ白な肌と相まって恐ろしいほど清廉な印象だ。


──フローラが、目の前の彼女が、私を欲しがって媚薬を盛った。


 いざ目の前にすると、その事実の衝撃が押し寄せて、表情はピクリとも動かせなかった。

 それでも、すれ違わずに済んだことにほっとして、いつもと変わらない調子でフローラ、と呼べば戸惑った表情で見つめてくる。

 

 ──媚薬を盛られて喜んでいるような男は気持ち悪がられるだろうか。


 これまで、王太子殿下に仕える者、王女殿下に仕える者として節度ある交流を保ってきた。ミリアーナ殿下に私の気持ちが知られてフローラに何かあっては、という思慮もあった。私に縁談や交際を申し込もうとした令嬢たちは悉く排除されてきたからだ。

 いくらフローラがミリアーナ殿下のお気に入りであっても何が起きるかわからない。


 いや、全部言い訳だ。殿下の側近として年若いうちから貴族社会の酸いも甘いも見てきたために仕事以外で人間関係を築くのに消極的だった。女嫌い、という噂もむしろありがたいと思うほどだった。


 『騎士勝りの次期侯爵様は両殿下の寵愛を受けていらっしゃる』と社交界の女性たちは囁く。

 

 けれど実際の私は、騎士でもないのに他の側近達ほど得意な分野が無いために鍛練を辞められず、王太子殿下が誰よりも気楽に接してくださるからそれに甘えているだけ。自分の所為で名前も知らないどこかの令嬢が王女殿下に傷つけられるのが怖いだけ。だからミリアーナ殿下を窘める事も出来ない。

 

 そのうち出来た女嫌いという噂に託つけて逃げ回る、そんな、臆病で情けない自分。


 ただ、フローラに嫌われたくない。


 フローラからしてみれば、私など好意を持たれていると確信したとたんに迫ってくるような女々しい奴、だろう。どんな風に伝えれば、フローラは私を受け入れてくれるだろうか。

 

 これまで彼女に対してはっきりと好意を伝える言葉も、行動も示してこなかった。

 

 ミリアーナ殿下が隣国に嫁いだら……とアルゼィラン伯爵には父を通じてフローラとの婚姻を打診していたが、お仕えする王女殿下の大事な時期だから、と保留とされた。アルゼィラン伯爵は当人同士で何も話が進んでいないことに気付いていらしたのだろう。


 しかし、王宮勤めの優秀な女官を妻にと望むものは多い。貴族社会の中心である王宮を庭のように知り尽くし、人脈を築いている彼女たちは爵位に関係なく引く手数多だ。特に王宮の情勢に疎い地方貴族は喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 悠長にしている暇はない。とにかくフローラが困惑しているうちに話をまとめてしまおう。誠意はこれから示していけば良い。


「ライナス様、あの、この度は、申し訳ありませんでした」


 そう言って誠実に頭を下げるフローラにこれからアルゼィラン伯爵と交渉して、そのまま侯爵家に連れ帰り、とにもかくにも婚姻を結ぼう、一刻も早く自分の妻にしてしまおう、などと考えている不埒な私は何と声をかけるべきか戸惑う。


 私たちの間に媚薬なんて必要ない。既に成人して久しい大人同士。アルゼィラン伯爵からも必ず婚姻の許しを得てみせる。ちゃんとした手順で、ちゃんと夫婦になっていけば良いのだから。


「何て言うのかな……そう……その、ちゃんとしよう。君も私も立派な大人だ。だから、ちゃんとしよう」


 情けない口調になってしまった。フローラの涙に胸がずきりと痛む。日差しにきらきらと美しく輝く涙を拭う。


 ぼんやりとしたフローラが可愛くって心配しながらも馬車にのせる。寄り添って座るとフローラは戸惑った様子だ。他でもない私が困らせてしまっている。彼女の頭を撫でる手を止められない。

 王宮からそのまま来たのでいつもの四頭引きの馬車だ。あまり片寄って座ると御者に文句を言われそうだと思いながらも、フローラの方へさらに詰める。こんなに近付いて嫌がられないだろうか?

 

 ──大丈夫。だってフローラは媚薬を盛るほど私が好きなんだから。


 そう自分を勇気付けながらフローラに尋ねる。


「アルゼィラン伯爵に許可を頂いて、フローラは我が家、オーノック侯爵邸で働いてみてはどうかな?」


 花嫁修行だと告げれば良かったか。だが、媚薬を盛られた翌々日に『嫁に来い』は男気を通り越して気持ち悪いだろう。


「ライナス様がそう仰るなら……」


 フローラが甘えるように恥ずかしそうに言った。あまりの可愛さに思考が停止する。真っ白な頬に朱が差して、無意識にすりすりと撫でてしまう。


 私はフローラが好き。フローラは私が好き。これって両思いだ。


 王女殿下の婚姻祝いの夜会でフローラをエスコートしよう。ミリアーナ殿下や今まで避けてきた社交界の人々の前にフローラと共に堂々立つ。自分の弱さを克服して、そしてきちんと真正面からフローラに婚姻の話をしよう。

 

 それまでは少しだけ、浮かれたままのこの気分でフローラをこの腕のなかに閉じ込めておきたい──。


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