7.初恋の結末sideライナス
──初恋の人に媚薬を盛られた。
違和感はあった。月に一度、昼過ぎに行われるミリアーナ殿下とのお茶会が今日に限って晩餐の後だった。王宮内の住み慣れた自室でいつも通りの夜だが、どくどくと心臓が早鐘を打ち、じわりと汗をかく。
──今日のフローラも可愛らしかった。
紅茶を淹れる姿を思い出す。熱々が好きだと話してから、ミリアーナ殿下とは別に湯を用意してくれるようになった。茶器を置く瞬間、ふわりとフローラの香りがした。
ミリアーナ殿下が南方の珍かな砂糖菓子の包みを開けている。ちらりとフローラを盗み見ると目が合った。何事もないように目を逸らすけれど、こういうときフローラは右手を左手で握り込む癖がある。
──少しは意識して貰えているんだろうか?私は、思い出すだけで血が滾るほど、君を思っている……
おかしい。いくら今日のフローラを思い出して記憶を反芻しているとはいえ、すっかり馴れた日課にこんなに興奮するだろうか?
ちっとも眠れそうにないと、鍛練用の剣を取り出して素振りで汗を流す。しばらくそうしていると、外から殿下の呼ぶ声がした。
お茶会では給仕をするフローラに会える。彼女がミリアーナ殿下の専属侍女になってから八年、お茶会が始まって五年が経った。
「ライナスはお兄様の側近だけれど、私のもの」と言って憚らないミリアーナ殿下は社交界で私に声をかける令嬢を片っ端から追いやってきた。お陰でミリアーナ殿下と同じ世代からアルフレッド殿下の妃候補がごっそりといなくなってしまった程だ。アルフレッド殿下の命もあってなるべく女性とは関わらないようにしてきた。お陰で女嫌いと囁かれるようになった。
王宮勤めの人間にとって、社交界は恋の舞台ではなく仕事場だ。だからそんな囁きを気にすることもなかった。──フローラに出会うまでは。
ひとつ年下の彼女は実家で継母に虐められ、王宮に逃げてきた、と一時期話題になっていた少女だった。どんな気弱そうな子だろうか、と思えば、儚げで優しそうな見た目に反して、とにかく根性のある子だった。
「殿下とライナス殿は兄弟のようですね」子どもの頃から言われ続けた言葉だったが、自分ではそうは思わなかった。結局のところ殿下に振り回されてばかりだったし、進言すべきことも躊躇って言えなかった。それをわかって、殿下の方から「お前と僕は対等だと思っている。だから思ったことは何でも伝えろ」と何度も言われた。
フローラは私とは正反対だった。
ミリアーナ殿下の性格をよく理解して、破天荒な殿下があと一歩を踏み外さないようにうまく誘導していた。言うべきことは言って、尽くすべきところは尽くしていた。ミリアーナ殿下の癇癪に触れた他の侍女たちもうまく立ち回って守っていた。
いつも冷静で正義感もある。そんな彼女が、媚薬を盛るなんて──。
◇ ◇ ◇
「ミリアーナのやつがフローラ君を唆したみたいなんだよねぇ」
「媚薬を用意し、計画したのはミリアーナ殿下、ということですか」
──ずっと好きだった人に媚薬を盛られた。二十五年の人生で最大の衝撃だった。そもそも、一方的に私が思いを寄せているだけだと思っていた。
「ミリアーナはフローラを姉のように信頼している一方で、ものすごいライバル心を持ってたからな。大方、ライナスがフローラ君を熱い視線で見つめてるのに気付いたんだろう。女嫌いのお前がいくら好意を持っていても媚薬盛られたりなんかしたら幻滅だろ?一か八かでダメになってしまえと考えたんだろうな。──おい、にやつくな気持ち悪い」
「フローラが媚薬を盛るほど私を思っていてくれたなんて……」
「それだよそれ!そもそも十年も見てるだけで幸せ、会話できるだけで幸せ、なんてアホか!」
ミリアーナ殿下の前ではなるべくフローラには視線を向けず、自分の思いがバレないようにしていた。だから余計に、王宮の庭園でこっそりと声を掛けた時にフローラが綻んだ笑顔を向けてくれるのが嬉しく、眩しかった。
──あの笑顔が私だけのものになる。
「ミリアーナ殿下が隣国に嫁いだ暁には正式に結婚を申し込もうと考えていました!」
「なら万事解決だろう。お前は十年もこそこそ覗き見て、こそこそ父親経由で婚姻を打診するくらいフローラ君が好き。フローラ君はうっかり唆されて媚薬を盛るくらいお前が好き」
「媚薬を……盛るくらいって、かなり好かれてますよね?」
「聞くな!知るか!事が事だけにフローラ君は依願退職扱いでしばらくアルゼィラン伯爵のところに居る。媚薬が何たるかもわかっていたか怪しい。この手の事にはミリアーナよりずっと初で世間知らずそうだからな」
「殿下、私はこれから結婚準備です。早くフローラを迎えに行かなくては」
「いつの間に呼び捨てに……おい、事はゆっくり進めろ!媚薬の流通元もこっちで調べ上げて締め上げるんだからな!」
「もちろんです。そんな変な薬、王宮に持ち込んでいる奴等が悪いのです。目星はおおよそついています。しかし、今日は何をおいても、フローラを迎えに行かなくては」
「いや、そう……上手くいって欲しくて僕もあれこれ……。とにかく!無体な真似はするなよ。お前のところの執事と侍女長の意見をよく聞け。ちゃんと話し合って関係を深めるんだぞ!」
「ご安心下さい!では行って参ります!」
「──お前じゃなくてフローラ君が心配だよ……」
いつも殿下に振り回されるのは私の方だ。たまには殿下に振り回されてもらおう。そう決めて、王宮を飛び出した。