番外編.すれ違い、再び3
領都の酒場から屋敷に戻ると、帰宅しているはずのフローラが玄関にいなかった。正門から戻ると必ず待っていてくれるのに、珍しい、何かあったんじゃないかと心配になる。
「ライナス様、フローラ様はお夕食もまだ召し上がっておられません。お部屋でお休みになられています」
普段から鉄仮面な侍女ニーナが険しい顔でそう言った。何故だか責められているような気配が屋敷の皆から伝わってくる。
休むにはまだ早い時間、具合が悪いのならニーナが報告するはずだ。尚更心配になって、フローラの元へ駆け足で向かう。
「フローラ……?」
部屋に入るとフローラはソファで眠っていた。子どもたちの相手でよほど疲れてしまったんだろう。
慣れない土地で、慣れない生活。嫉妬なんかしてる場合じゃなかった、もっと気遣うべきだったのに、とその可愛い寝顔を見てどきりとする。
「フローラ、起きて。まだ食事もしてないと聞いたよ?」
出来るだけ小声で声を掛けた。起きなかったら熱だけ測って様子を見ようと思っていた。
「っん、ごめんなさい、ライナス様」
私の声に応えて身じろぐフローラがひどく妖艶で美しい。まるで妖精のようで、妻の存在を確かめたくて額を撫でる。
熱はない、身体も起こせるようだ。体調不良でないならとりあえず良かったが──
「なんで謝るの?お疲れ様、ご飯食べられる?」
「ごめんなさい……」
寝ぼけながら謝るフローラに肝が冷える。フローラは何でも包み隠さずに話してくれる。けれどフローラ自身でも気付かないうちに苦しんでいることもあるだろう。フローラは少し我慢強すぎるのだ。
『小さな気遣いの無さが積み重なると、妻に愛想を尽かされる』と騎士団の年嵩の者たちも話していた。フローラに嫌われたら、その先に待っているのは絶望だけだ。
抱き竦めて背中をとんとんと優しく叩く。
「どうしたの?なにか嫌なこと思い出してた?」
フローラは苦労の多い人生だった、とアルゼィラン伯爵は仰っていた。フローラの過去に飛んで行って力になりたいくらいだ。せめて、これからの人生は全て私が支えたい。
「帰ったら、ライナス様居なくって」
「ごめん、遅くなっちゃったね」
フローラはぶんぶん頭を振る。子どものような仕草が可愛らしくて背中を撫でる手が止まらない。
「待ってて、当たり前って思ってたの。恥ずかしいんです……」
そう言って顔を覆った。真っ赤だ。
──これは要するになんだ。甘えてくれているということか……!
「かわいいフローラ。それは家で待っていなかった私が悪いんだから、謝らないで」
傍にいるのが当たり前。帰りを待っていて当たり前。──素晴らしい!
「ち、違うんです。なんで待っててくれないの、って思いそうで」
なんで待っててくれないの、なんてフローラに言われたら、フローラが扉を開けるのを毎度毎度待ち伏せして出迎えてしまいそうだ。
「思って良いんだよ。でも珍しいな……今日は何かあった?」
そう聞くと、フローラが目を伏せて固まった。
「い、一年経ったから、お祝いしたくて……お料理を作っていたの……」
「え?」
次は私が固まった。フローラが目を伏せたままで良かった。こんな呆けた顔見せられない、というくらい酷い顔を多分していただろう。
「あ、あの一応、今日で、オーノック侯爵家にお世話になりまして、一年になりまして……」
「うそ、え、料理?」
まさかフローラも覚えていてくれたなんて。その上、お祝いしようと料理まで作ってくれていたなんて……!
「お料理は、ライナス様が騎士団の皆さまと召し上がっているところを通りすがって、あの、片付けてしまったんですけれど……」
愚かなことをした。昼間の自分を殴りつけたい。サプライズなんて考えるべきじゃなかった。フローラの、愛情いっぱいの手料理を食べ損ねるなんて。
「でも、あのミートパイなどを焼いたので、もしお腹が空いていらっしゃるなら……」
フローラに毛布を一枚掛けて横抱きにする。執事にフローラが準備した料理を積んで、馬車を出すように指示をした。
「えっと、ライナス様?どちらへ?」
私の腕の中できょろきょろするフローラが可愛い。せっかくの記念日だ。ふたりきりで、特別な場所で過ごそう。
◇ ◇ ◇
勝手に記念日だと盛り上がって、ライナス様がいらっしゃらなくて、寝こけてしまった。ここまでくると、ほとんど大失態と呼べると思う。
そしてなぜか今、馬車に揺られている。オーノック領の領都中心部はこの時間もまだ煌々と灯りがついていた。
「すごく美味しそう。楽しみだな」
夕方に作った料理も、籠に詰められ、一緒に馬車に揺られている。確かに、美味しそうな匂いがしている。「ぐうぅ」と私のお腹が鳴った。恥ずかしさに呼吸を止める。
「ごめんね。待っていてくれたのに、お腹空いたよね?」
ライナス様が優しく私のお腹を撫でている。更にみっともなく鳴りそうなので止めて欲しい。
「真っ赤な顔して睨んでも可愛いだけだよ。あ、ほらもう着いた」
ライナス様のエスコートで降りたのは、領都の中心通りから一本だけ入ったところにあるお屋敷だった。
「シルク殿の王都の屋敷、というか生活?羨ましがってたでしょ?ここなら買い物も外食も気軽に行けるから」
「わあ……素敵……」
オーノック領の領都はとても栄えていて、ライナス様が用意して下さったお屋敷も王都でもなかなか無いくらい洗練された建物だった。
階段を登って、玄関が開かれる。ライナス様が明かりを灯して下さる。内装も素敵だ。
「婚約一年記念の、私からのプレゼントだ」
「えっと……プレゼントですか?」
ライナス様も、同じ気持ちでお祝いしようと考えて下さったのだ。嬉しくて、心があったかくなる。
「晩餐は如何なさいますか?」
「いや、護衛以外は皆帰ってくれて大丈夫だよ」
ライナス様と二人で、荷物を解く。急いで用意してくれたのだろう、トランクに必要な物が揃っていた。食卓に料理を並べていく。ミートパイ、シチューに籠いっぱいの果物とバケット。
「明日の朝食は市場で買おう」
「市場で……楽しみです」
想像するだけでわくわくする。食卓に座って、いつもより少しだけ遅い夕食を囲む。ライナス様との距離が、いつもより少しだけ近い。こんな、贅沢をしてしまって良いのだろうか。
「喜んでもらえて良かった。私たちの一年に乾杯」
「……乾杯」
一年前には想像もしなかった。オーノック領都でライナス様とこうしてふたりきりで過ごすなんて。
「すごく美味しい!全部フローラが準備したの?」
「食材を取り寄せて頂いて、あの、サプライズしようと思ったのが間違いでした……本当はもっと色々作ろうと思っていたんですけど」
無茶せず最初から話しておけば、こんなばたばたとみんなにもライナス様にも迷惑を掛けることなんて無かったのに。
「そうだな、私達ふたりともサプライズに向いてないのかも知れない。──私も不安だったんだ、フローラにとっては、犯人役を押し付けられた嫌な思い出だったのかも知れないと思って……」
ライナス様が俯いて悲しそうに仰った。
ライナス様は私にこれ以上ないくらい幸せな日々を与えて下さっている。媚薬を盛った犯人役になった事だけでなく、これまでの人生で辛く、悲しかったこと全部が塗り替えられるくらいの暖かい日々。
何より──
「た、大切な思い出です!……だって、初めて……キスをした日です……」
顔が熱くなる。どうしたことだろう。さっきまで肌寒いくらいだったのに。
「フローラ……!そうだね、大切な思い出だね。毎年祝おう。来年はもっと盛大に!」
俯けていた顔を上げて、キラキラした笑顔でライナス様が仰った。
あんなに逞しく、凛々しい方なのに、私の前ではいつも少年のような笑顔を見せて下さる。やっぱり、この笑顔は独り占めしたい。
「えっと……来年もここで、ふたりきりで過ごしたいです」
「……フローラかわいい……どうしてそんなにかわいいの?」
新しい屋敷で過ごしている間、「記念日だよ」と盛大にキスの雨が降り続けた。
来年もこんな風に過ごしたい、と積み重ねるこれからの日々に思いを馳せた。