番外編.すれ違い、再び2
冬が終わり、春になった。
街道の整備のために、領主代行としての仕事は相変わらず忙しい。だが、そろそろ目処がついてきたところだ。雪が溶けて現場の人々が動き出したので、こちらは少し余裕ができるだろう。
フローラは相変わらずとびきり可愛い。
すっかり暖かくなって、最近はシンプルな装いでいることが多い。王都に住み始めた母上が、新素材だとか海外から取り寄せた、と言ってはフローラに生地を送ってくる。
それで仕立てたドレスを着ているときには「変わった触り心地の生地だね」と真面目な顔して撫で回している。母の衣装狂いに心から感謝している。
そう、春になった。
私が勝手にフローラと婚約の手続きをして、オーノックの王都邸に暮らし始めて、一年が経つ。
二人にとって、最初の記念日と言えると思う。
そんなわけで、記念日の贈り物として領都の中心地に屋敷を用意した。小さな、二人で過ごすのにぴったりな屋敷だ。
こちらに来てから私が忙しいせいで、フローラを街歩きに連れ出すことも出来なかった。本邸は少し高台にあって、周囲は騎士団に貴族街、商家の倉庫が並ぶだけだ。
買い物をして、外食をして、帰って二人で過ごす。フローラと暮らして一年の記念日は、そんな風に祝おうと考えていた。
「その日は正午から孤児院へ訪問する予定があります」
「他の日にずらせない?」
「子どもたちと、また来週って約束していて……」
フローラは一緒に暮らし始めた日、を特別意識してはいなかったようだ。この一年、怒涛の日々だったろうから当然といえば当然だ。
「じゃあ、夕方からでも、出掛けられるかな?」
「……きっと子どもたちと遊んで疲れているので……」
「そっか……わかったよ」
残念だが仕方がない。サプライズは別な日に持ち越しだ。
次の日、仕事が早く終わって屋敷に戻った。春になり、久しぶりに騎乗していたので厩の方から屋敷に戻る。すると、庭の方でフローラの声がした。
ニーナと咲き始めた庭園を見て回っているようだ。声を掛けようとした所でフローラの可愛い声が聞こえた。
「可愛くて可愛くて、お願いされると断れないの」
思わず立ち止まる。ショックだった。
子ども相手に馬鹿げていると自分でも思う。だが、フローラは私のお願いより、孤児院の子どもたちのお願いを優先したのだ。──可愛くて、断れないから。
一緒に住み始めて一年の記念日。ひどく浮かない気持ちだった。
フローラは朝から忙しそうで、厨房で動き回っている。孤児院に持っていくパンでも焼いているのかも知れない。
記念日だからと空けておいた休みはそのままだが、フローラに付いて孤児院へ行く気にもなれなかった。子どもに嫉妬するなんて大人気ないが、フローラのことになると自分でも我慢が本当に効かなくなる。
こういう時は身体を動かそう、と騎士団の鍛錬場に向かうことにした。
「あれ、めっずらしい!ライナス様、今日はお帰りになられないんですか?」
「いや、今鍛錬が終わったところだ」
騎士団の団員には王都で共に切磋琢磨した者も居る。今でこそ主従関係がはっきりしているが当時は少年同士で和気藹々としていた。
「お、じゃあ飲みに行きませんか?久々に。ワイルも帰って来てるんですよ」
「あぁ、そうか。そうだな、行こうか」
もう少し、フローラと私はそれぞれの時間を持てるように努力したほうが良いかもしれない。主に、私が、フローラと離れても時間を潰せるようにならなくては。
鍛錬場の食堂で飲もうと思ったが、「領都視察ですよ!」と押し切られて街中に向かう。
昔はアルフレッド殿下に振り回される息抜きに、こうしてみんなと飲みに行くこともあった。しかし、今はフローラをおいて出歩きたいとすら思わない。
「サプライズってぇのは〜得手不得手があって、相性もあって、」
何故か酔っ払った騎士団分隊長ワイルから、サプライズについての含蓄を聞く羽目になっている。
「とにかく、不器用なやつは、やっちゃ駄目です!」
「え、ライナス様やっちゃったんですか?」
わざとらしく額に手を当てて、驚いた顔を揃ってする。何故か護衛で待機している者たちまでぎょっとした顔だ。そんなに不器用な人間だと思われているのか、とムスッとしてしまう。
「まだやってない。それに私はそんなに不器用じゃないと……思うけど?」
苦笑いされて、サプライズそのものがまずかったかと、フローラはどうしているだろうかと気が気でなくなってきた。
すでに飲み始めて二時間ほど経った。ぞろぞろと騎士団の面々が集まりだして、私は切り上げて帰ることにした。
「ありがとな、参考にするよ」
一頭引きの馬車に揺られる帰り道、ふと私にとっては記念日でも、フローラにとっては媚薬を盛った犯人にさせられた嫌な思い出だ、と気付く。そんな重要なことに今更思い至ってがっくしと肩が落ちる。
私はとんでもなく不器用かも知れない。
◇ ◇ ◇
若葉、萌ゆる春。
王宮では、調度品の入れ替えがあって、暖炉の清掃があって、そんなふうに冬仕舞いで慌ただしくしているうちに春は過ぎる。
オーノック領で暮らしていると、さぁ、春だ!と晴れ晴れした気持ちになるのは、自然がいっぱいだからか、私の心に余裕があるからか……。
思い出すのは去年の春、媚薬を盛った犯人になって、ライナス様に連れられてオーノック侯爵家で暮らすようになった日々のことだ。
お庭でお茶をして、散歩をして、戸惑いとときめきでいっぱいだった日々。
あれからもうすぐ、ちょうど一年が経つ。
記念日、と言うと大げさかもしれないけれど、さり気なくお祝いしたいと思っていた。当初知らなかったとはいえ、婚約から一周年は私達の初めての記念日だから。
ニーナや料理番のみんなに相談して、お料理の準備をすることにした。オーノック領の春が旬な食材を使ったお料理でささやかなお祝いをしよう。
「再来週の土曜日は空いてる?」
微笑みながらライナス様に尋ねられた。その日は日中に孤児院へ行って、夜にはお料理で記念日のお祝いをするつもりだった。
「その日は正午から孤児院へ訪問する予定があります」
「他の日にずらせない?」
「子どもたちと、また来週って約束していて……」
ライナス様がしゅん、とした顔をする。ぐっと心臓を掴まれたように切なくなる。
「じゃあ、夕方からでも、出掛けられるかな?」
夕方こそ出掛けられない。すでに食材の注文も済ませてしまったのだ。でもライナス様から出掛けようと誘って下さるなんて。
「……きっと子どもたちと遊んで疲れているので……」
「そっか……わかった」
どんな予定だったのだろう?と尋ねようと思ったけれど、ライナス様は真顔で部屋を出て行かれてしまった。
せっかくのサプライズ、成功させたい。ライナス様が可愛くて可愛くて仕方ない私は最近お願いされるとまるで断れない。でも、今回ばかりはいつも喜ばせて下さるライナス様を私が喜ばせたい。
記念日当日──。
孤児院で育てているヤギのチーズも購入して、屋敷に戻って準備をしなきゃ、と馬車道を通っているときだった。
街の酒場にライナス様がいらっしゃる。騎士団の方たちとお酒を飲んでいるようだ。ライナス様が何も言わずにお出掛けなさるなんて、初めてのことだった。
ライナス様に家にいて下さい、とお願いしていなかった。お仕事がなければ当たり前にお家にいらっしゃると思い込んでいた。
一気に恥ずかしくなる。私を待っていて下さると、なんの疑問も持たずにそう思っていたのだ。
屋敷に戻っても、料理をする気が起きない。自分で自分にものすごくがっかりした。しかし、食材は無駄には出来ない。
料理長にライナス様はお食事は召し上がって来られるようだ、と話して食材は保存することにした。下処理して、塩をふったりオイルや酢に漬ける。
どうしても切れ端や使ってしまわなければいけない分は出てくる。ミートパイと魚の煮込み、シチューになった。
「奥様、あとは私達が」と言ってくれるけれど、手を動かしていないと恥ずかしくて頭を抱えそうだった。
愛されて当たり前、待っていて下さるのが当たり前──いつの間に、なんて傲慢になったのだろうかと恥ずかしくて、ライナス様に申し訳がなかった。




