番外編.すれ違い、再び1
「ライナス、十年も片思いしてたお前が、振られた!と思い込んでからの新婚生活だろ?忙しくしてないと暴走すると思うぞ?」
オーノック領に引っ越す前、王太子殿下がそんなことを言った。そしてさも思いやるふりをして街道整備の仕事を押し付けてきたのだ。
国の予算で領地の街道が活発になるのはこのタイミングでなければありがたいくらいだ。だが、フローラとのんびり甘い新婚生活を、と意気込んだ私にとっては甚だ迷惑だ。
「暴走しても、フローラは優しく受け止めてくれますから」
これでもかと眉根を寄せたアルフレッド殿下の表情に思わず笑ってしまう。
アルフレッド殿下は自分の婚約者がかつてミリアーナ殿下と対等に渡り合っていた公爵令嬢に決まり、すでに尻に敷かれている。フローラと穏やかで幸せな日々を送っている私が羨ましいのだろう。
そんなわけで、私は領地でも予想外に忙しくしていた。
「おかえりなさい!」
「ただいまフローラ」
しかし、邸に帰れば愛おしい人が待っている。両手を広げれば少しだけ躊躇って、飛び込んで来てくれる。
季節はすっかり冬。暖かそうな綿の重ねのドレスはふんわりとしていて可愛らしい。厚手のたっぷりとした襟が、細くて白いフローラの首元をさらに美しく見せている。
夜にホットワインを飲みながら二人で毛布にくるまるのも良い。新婚生活が冬に始まったのはくっつく口実があって最高だと思う。もちろん、どの季節でもなにかしら理由をつけてくっついていたとは思うけれど。
「今日はセスティア伯爵のお宅でお茶会だったって?」
「えぇ、楽しかったです。ヴィオラを褒められすぎて恐縮しました」
「芸術好きで王都にいた頃はアルゼィラン伯爵とも交流があったからね。フローラが来てくれてうれしいんだろう」
親戚筋の長老役をしているセスティア伯爵の御母堂は気難しさで有名だが、フローラのことはすっかり気に入ったようだ。社交的な方だったが最近はお年ですっかり気落ちしていたところ、フローラのお陰で気力が戻ったと何度もお礼の手紙を貰った。
フローラのヴィオラの腕はさすが宮中楽団首席と一緒に子どもの頃からレッスンを受けていただけあって、恐縮するのが不思議なぐらい見事だった。
領地のご婦人方はすっかりフローラに夢中で、私が忙しいのもあってあちこち招待されては出掛けて行っている。
フローラが快適な生活を領地で始められたのは良いことだ。良いことだけれど──。
「明日本当に来るの?」
「約束しました!」
不満げな顔をするフローラもかわいい。かわいいが、明日の約束はできれば反故にしたい。
今日の昼間は街道整備に向けて春から騎士団の団員数を増やすため、オーノック侯爵家騎士団の会議をしていた。
「明日、ライナス様の奥様がこっちに見に来るらしいぜって痛っ!」
「ご観覧に参られる、だろ。気をつけろよお前」
若い騎士たちの鍛錬場での噂話は、会議室から丸聞こえである。
街道が通り、通行税や宿場税などを徴収する領地は、騎士団の設置が義務付けられている。オーノック家にも当然騎士団がある。王国の騎士団と違って、平民から貴族まで身分に関係なく入団が可能だ。
「すんげー美人らしいぜ」
「俺、警護で見たことあるよ。白百合のような美人だった……」
「しかもお優しいときた。俺、にっこりありがとうって声を掛けて頂いたことがある」
「若奥様のためなら死ねる……」
年に一度の剣術大会が祭りとして開催される王宮の騎士団と異なり、オーノック領騎士団は年がら年中、月に一度以上のペースで実戦形式の大会が行われる。
フローラが私も出場すると聞いて、見に行きたいと言い出してしまったのだ。
大会がこんなに多いのは実力主義で、血の気が多いからだ。
挙げ句に若い騎士たちは様式美とはいえ、仕える侯爵家の若奥様への忠誠云々を話題に上げては色めき立っている。
要するにフローラをこんな場所に連れて行きたくはない。
止めたかった。止めたかったけれど──
「まだ早いと申し上げたのに、ライナス様がどうしてもって言うから……だから、ライナス様も見せて下さい」
フローラに手を握られながら潤んだ瞳で言われたら、それはもちろん「良いよ」と言うしかない。
結婚してすぐの頃、まだ練習中と言うのを無理やりヴィオラを聴かせて貰った。それはそれは素晴らしい演奏だった。
私だって剣を振るう姿を見せるのはやぶさかではない。
だが、あんな男だらけの場所にフローラを連れて行くのは──
「楽しみです。すっごくかっこいいんだろうなぁ」
笑顔で期待に目をキラキラさせるフローラが可愛い。
フローラはきっとわかってやっている。だが私は逆らえない。フローラが可愛すぎるからだ。
◇ ◇ ◇
「フローラ様、ライナス様は実力は勿論ですけれど、剣を振るう時の凛々しさが素晴らしいのですよ」
オーノック侯爵領で暮らし始めて二ヶ月。オーノック家の人々が皆優しいからか、私の順応力が案外高かったのか、日々の生活はとても安らかで楽しい。
そんなある日、お茶会で騎士団の実戦大会のお話を聞いた。毎月のように開催される大会には、ライナス様も出場されることがあるらしい。
私の知らないライナス様のお話を聞くのはとても楽しいけれど、ずっと知らないままなのは……ちょっと嫉妬してしまう。
「月に一度は大会がありますから、フローラ様もぜひ一度足をお運びになってはいかがでしょうか?」
「そうなのですね。観覧できるかお伺いしてみます」
そんなわけで、ライナス様に実戦大会を見学させて頂けるか尋ねてみた。あまり乗り気でいらっしゃらなくて強引にお願いしてしまったけれど、ライナス様の戦う姿を一度は見たい。
実戦大会当日、観覧席にわざわざ天幕と間仕切りを用意して頂いて見学することになった。オーノック領は晴天の日が多いという。今日も肌寒いけれど、日差しが暖かい。
「フローラはここから見ていて。動いちゃ駄目だよ。ニーナと絶対に離れないで」
「はい、わかりました」
高台の本邸から領都の中心街へ向かう道すがら騎士団の建物を見ることが出来る。でも、中には入ったのは初めてで、すごくわくわくする。
階級に関係なく早朝から鍛錬場の外で予選をしていたそうだ。お昼の今はすでに疲労した状態で草と土まみれになって、怪我をしている団員もいる。安易に見学したいだなんて言って、ご迷惑で無かったか今更心配になる。
本戦が始まり、戦いの前に私の天幕の前まで騎士の皆さんがやって来て、跪いて騎士の忠誠の誓いを立てて下さる。予定にないことだったそうで、進行役の方があたふたとしていたけれど、次期領主であるライナス様の人徳が故と思うと感慨深い。
ミリアーナ殿下にご一緒して王宮の騎士団を見学したこともあったけれど、オーノック騎士団の実戦大会は気迫が違った。
「フローラ様がいらしているので、張り切っていらっしゃいますね」
ニーナが隣でお茶を淹れながら言う。何度か観戦したことがあるそうで「今日は一段と気合が入っている」というけれど、ライナス様はいつもどおりに見える。
戦うライナス様の姿は本当に凛々しかった。疲れた様子もなく、難無く勝ち上がっていく。きっとライナス様より私の方が何もしていないのにハラハラしてしまっている。
「最終戦はライナス様と騎士団長の一騎打ちとなりました。今回は若手はのぼせ上がってあまり勝ち上がりませんでしたね」
騎士団の指南役エイダン様が横で解説をして下さる。
「俊敏さではライナス様のほうが上回りますが、団長はまだライナス様の剣筋を見切れるでしょうな」
撃ち合いが激しく、一撃一撃、私が手に汗握ってしまう。親子ほど年の差が有るだろうけれど、さすがに団長は強い。最終戦が一番長く打ち合ってた。
団長はずっしりと構えてライナス様の剣を受けているが、隙きを突かれたのか、体勢を立て直すような場面が何度もあった。
打ち合いの末、ライナス様の剣が、騎士団長に弾かれた。勝敗が決まった。ライナス様は悔しそうだれど、団長は苦笑しながら歩み寄っていく。
ライナス様の少年時代、ガイヤック団長に扱かれたり励まされたことがあったんだろうな、と想像して胸がときめく。ライナス様の事をもっと知りたいと、どんどん私は貪欲になっていた。
団長が観覧席に歩み出して天幕の前で一度立ち止まり、私に頭を下げた。
「アジル・ガイヤック、フローラ様に永遠の忠誠を」
口上は簡単なものだったけれど、剣を捧げられ迫力の佇まいにたじろいでしまう。ガイヤック団長が私の前に跪いて手の甲に忠誠の口づけをする。
ライナス様がその横に駆け寄って、ため息をつきながら、甲冑をバサバサと脱ぎ落としていく。
「まったく……どいつもこいつも」
ライナス様が眉を顰めて呟きながら、ガイヤック団長を目線一つで下がらせた。甲冑の下のシャツが汗ばんでいて、一層逞しい。
抱きしめられた、と思ったら、そのまま横抱きに持ち上げられてしまった。
「ライナス様……人前です」
「負けちゃったけど、頑張ったんだ。ご褒美、良いでしょ?」
囃し立てる若い騎士たちの声が聞こえて、団長とエイダン様の「わっはっは」という豪快な笑い声と、貴婦人方の「あら、まあ!」という楽しそうな歓声が聞こえる。
ライナス様を見つめて周囲に目を向けないようにするけれど、皆の様子が声だけでもわかって顔から火が出そうだ。
首を傾げて覗き込むようにするライナス様が麗しい。瞳にかかった黒髪が汗で濡れている。顔が近づいて頬にキスをされた。期待に目を輝かせていらっしゃる。
「ご褒美、下さい!」
笑顔で頬を寄せるライナス様が可愛い。こんなの、恥ずかしさよりライナス様の嬉しそうな顔が頭をよぎってしまって、キスせざるを得なくなる。腕に力を込めてギュッと目をつぶって、頬に口づける。
きっとライナス様はわかってやっている。だけど私は逆らえない。ライナス様が可愛すぎるからだ。