番外編.アップルパイ
「アップルパイが食べたい」
私の膝に頭を乗せて寝そべりながら、唐突にライナス様が仰った。
「アップルパイ、ですか?」
領地の本邸に引っ越してひと月が経った。お義母様は昨日、本格的に寒くなる前にと王都へ出発なさった。この一ヶ月手取り足取りつきっきりで邸内の采配から領地での社交、慣習まで多くのことを教えて頂いた。少し寂しいけれど、これからいよいよ女主人として頑張らなくてはならない。
「フローラの手作りだよ?」
ライナス様が起き上がって、私の肩に頭を擦り寄せておねだりしている。「やっとお邪魔虫がいなくなった!」と朝からこの調子なのである。
お義母様とライナス様の関係はからかう姉と逆らう弟と言う感じで見ていて微笑ましかった。「良くも悪くも友だちのよう」とライナス様は仰っていたけれど、とっても素敵な関係だと思った。
「懐かしいですね」
──あれは今から四年前。
突如、ミリアーナ殿下が「フローラの作ったアップルパイを食べてみたい」と言い出したのだ。王宮に侍女が料理できるスペースなどない。
次の日、お茶の保管室でせっせと生地を作り、外の炊事場でりんごを煮て、厨房の窯焼き場で焼いてもらう……と王宮内を駆け回って半日がかりでアップルパイを作った。
『すごくいい匂いがしますね』
焼き上がる頃にはへとへとで、通りがかったライナス様が運ぶのを手伝って下さった。籠に掛けた布の下から香ばしい甘い匂いがしていた。
『ミリアーナ殿下のご所望で、アップルパイです』
『うわぁ、いいな!』
ライナス様が少年のような無邪気さで仰って、印象に強く残っていた。
「よく覚えています。アップルパイお好きなんですね」
「……いや、そういうわけじゃないんだけど」
「違うのですか?」
「……あの日もフローラをずっと見てたんだよ。真剣に生地を捏ねて、あちこち走り回って作っていたでしょう?アップルパイというか、フローラが一生懸命作ったものを食べられるのが羨ましくて」
あの日私はちょっと不機嫌だった。ただでさえ忙しい時期なのに日が昇る前から材料を準備して、深夜まで他の仕事をこなす羽目になったのだ。小石の一つくらい蹴飛ばしたかもしれない。ライナス様に見られてないと良いのだけれど。そんなことを考えていたら、表情が固まっていたようだ。
「あ、引いてるでしょう?でも職場に好きな子がいたら誰でもこんな感じだと思う!」
「いえ、うれしくって」
あの日、ライナス様とお話できて、笑顔も見れたから良いか、と自分に言い聞かせて深夜の書物仕事を乗り切ったのだ。
「本当?じゃあ作ってね、約束だよ」
そう言って私の膝の上にごろんとまた寝転がった。ライナス様が可愛らしくて身悶える。
◇ ◇ ◇
約束から、一週間。材料が揃ったので今日のおやつをアップルパイにすることにした。りんごは朝、焼き場に火が入ってすぐにことこと煮はじめている。母のレシピは煮詰めたりんごと、バターでソテーしたりんごを二種類乗せる。
「奥様、手際が良くていらっしゃる」
「ふふ、ありがとう」
お義母様が邸の皆と気さくに接する方で、お陰で私も過ごしやすい。ライナス様は昼食会で外出されているので、お戻りになる前に仕上げることにする。
お昼、お茶会の招待状を書いている時間に思いがけぬ人が邸へ帰っていらした。
「ただいまみんな。ただいまフローラ!」
慌てて階段を降りると気付いたお義父様が片手を挙げた。乗馬用の軽装で、従僕をひとり連れているだけだ。
「お帰りなさいませ。何かあったのですか?」
事前に連絡がなかったので驚いた。
「ロザンナと手前の街で合流して数日過ごしてね。旅行を楽しみながらのんびり王都へ向かうって言うから。せっかくだから私はこっちまで顔を出そうと思って」
「まあ、そうだったんですか」
領地から王都までは馬車で一週間、早馬で三日だ。なかなかの強行軍でいらしたのだろう。お義母様からはきっと後日、滞在地での楽しいお話がお手紙で届くだろうと今から楽しみになる。
「お疲れ様でございます。お湯にしますか?お食事は?」
「とりあえずお湯をもらおうかな。なにか甘いものはないかな?」
料理長と顔を見合わせる。アップルパイを作っておいてちょうど良かったと思って目配せしたが、渋い顔をされてしまった。
お義父様が湯浴みしている間に、パイを焼いておく。談話室で暖炉にあたりながら、早めのお茶の時間となった。
「美味しいな〜。馬で駆けて来たから甘いものが欲しかったんだ。アップルパイは新しいレシピか?」
「今朝から奥様がお作りになったんです」
控えていた料理長にお義父様が尋ねて、すかさず料理長が口を出した。
「すごい!おいしいよフローラ……というか、え、大丈夫?これ、私が食べてしまって」
「まだ下準備した材料があるので、ライナス様にはまた後ほど焼き立てを準備します」
「よし、お父様が手伝おう!」
お疲れの様子を微塵も見せない。宰相閣下のバイタリティはすごい、と感心してしまう。
料理長からエプロンを借りて、厨房でお手伝い頂くことになってしまった。生地を伸ばして、成形して、焼くだけなのだけれど。
「なるほど、りんごを二種類準備するんだね。手間がかかってるな」
「下のフィリングを砂糖で良く煮詰めると、パイがサクサクのままなんですよ」
「確かに土台の生地までサクサクだったな、上のソテーしたりんごの食感も美味しかった」
お義父様はすごく楽しそうだ。宰相閣下がこんなに気さくな方だとは、結婚前、予想もしていなかった。
「助かりました。生地を伸ばすのも力仕事なので」
「いやいや、食べちゃったのは私だからね。ライナスに怒られたく……」
「父上、おかえりなさい。そこで何してるんです……?」
腕を組んで微笑みながら、ライナス様が厨房の入り口に立っていた。料理長が苦笑いでこっちを見ている。
◇ ◇ ◇
「羨ましい……私だってフローラと一緒に料理したかった!力強さをアピールしたかった!」
改めて午後のお茶にすることになった。お義父様は軽食を召し上がっている。ライナス様の前には、焼き立てのアップルパイ。
「うわぁ、フローラの作ったラザニアも美味しい!」
パイの為だけに大きな釜に火を入れるのもなんなので、いくつかお料理も焼き上げた。
「なにが悲しくて新妻と父親が一緒に作ったアップルパイを食べなきゃいけないんだ……」
「いいじゃないか、家族は仲が良いほうが」
ライナス様もたくさん食べるけれど、お義父様もたくさん食べる。
「だいたいなんです!お邪魔虫の母さんがやっといなくなったと思ったら、何しに来たんですか?」
そういえばお邪魔虫が口癖になっていた。時々子どもっぽいワードが飛び出すライナス様がかわいい。
「お前がフローラを困らせていないか心配してきたんだよ」
「ありがとう父上。でも大丈夫だから帰って」
「ひどい!」
文句を言い合う二人を見て、家族なんだなあと実感する。宰相様の砕けた姿も、ライナス様の可愛らしい様子も、家族にならなければ知らなかっただろう。誰にでも、家族にしか見せない姿があるのだろうな、と思うと、今こうしてここに居られることが特別で、奇跡みたいだと感じる。
「ライナス様、ご希望はありますか?今度一緒に作りましょう」
「フローラ……アップルパイはとってもうれしいし、想像してたよりずっと美味しいよ」
いじけながら大きなひとくちを頬張っている。サクサク美味しそうに召し上がるので、私のほうが笑顔になってしまう。
「心配なさそうだな。フローラ、いろいろよろしく頼むね」
「はい。お義父様、心配して頂いてありがとうございます。うれしいです」
「うわぁ娘かわいい。ロザンナが宿にいる間ずっと自慢してたんだ。フローラ、このまま一緒に王都に帰ろうか?」
「冗談でも止めて!」
ライナス様が昼食会帰りなのにラザニアを奪おうとしてお義父様がそれを死守している。
家族って良いなぁ、と母の味のアップルパイを食べながら、今日ものどかな午後を過ごしている。