37.ザイオンsideフローラの弟
乳母のマリーと金庫番のジョゼフは夫婦。
庭師のローといつも服を直してくれるティナは兄妹。
お歌のハインツ先生は司教様のいとこだって。
それは家族で、特別だから、みんなちょっと違う顔。楽しそうで、大切にするんだ。
僕の家族は父上と、お母様。でもあんまり特別って感じはしない。
父上は怖い顔で僕の頭を撫でる。お母様は笑顔で僕を抓る。きっと僕は大切じゃない。
「今日のおやつはパイ?」
「そうです。ザイオン様のお好きな桃のパイですよ」
もちろん、厨房のみんなも家族ではないから特別な顔はしない。でも、ちょっと大切にしてくれてる。
「楽しみだなぁ」
午後のおやつに作られているお菓子は毎朝いい匂いがして、お母様やお客様も食べる。僕も食べる。
「ザイオン様のはこちらですよ」
早くに厨房に行けば、どれを食べるか選べる。寝過ごしたら食べられない。今日はちゃんとおやつの時間に間に合った。
「あ、カスタードがいっぱい」
厨房のビリー──乳母のマリーのはとこ──が大きな桃のパイに大好きなカスタードをたくさんのせてくれる。
「桃のカスタードです」
「僕のだけいっぱい……良いの?」
──ボウルの中のカスタードがほとんどなくなっちゃった!
「今日はお姉さまが作られたので、特別ですよ」
お姉さまは離れに住んでいて、ときどき厨房でお料理をする。
「お姉さまは、僕が特別……?」
「もちろんです。ザイオン様のお姉さまですから」
ビリーが笑顔で言った。嘘つきじゃない大人の顔だったと思う。
カスタードを僕だけにたくさんくれるお姉ちゃんは、僕の家族なんだって。
それって、特別で大切ってことだ。
キラキラしたパン色の髪に、とっても優しい声で、僕と同じ、草色の瞳の女の人が、僕のお姉ちゃん。
あちこちで寝たふりしていると、ときどきお姉ちゃんを見られる。ときどき毛布を掛けてくれたりする。そういうとき、どきどきしながら僕は薄目を開けるんだ。お姉ちゃんはいつも優しいお顔だから。
今日は舞踏会の前だから、みんな忙しいらしい。ご本を読んでも良いけれど、家族の出てくるお話は今はちょっと嫌いだ。
廊下を歩いていたら、お母様の声がすると思って、扉を開ける。目が合ったら、驚かれて、すぐに釣り上がった。
「あっち行ってなさい。マリーはどこいったの!!」
お母様の声はぜんぜん優しくない。服を引っ張られる。髪もちくちくすごく痛い。
追い出されて、廊下から窓の外を見たら、お姉ちゃんがいた。
お姉ちゃんは、家族で、特別で、大切だから、遊んでくれるかも。今日はすっごくそんな気がした。
走って、庭まで駆け下りた。
「お姉ちゃん遊ぼう!」
びっくりした顔でお姉ちゃんが振り返った。
「ごめんね、遊べないの」
悲しそうに笑ったお姉ちゃんは、僕とおんなじ、ほうれん草のソテー色の目。
「なにしてるの!?」
お母様がすっごく怒っている。走ってやってきて、お姉ちゃんの髪の毛を引っ張った。
お姉ちゃんの声が聞こえない。聞こえるのはお母様の叫び声だけ。
お母様がお姉ちゃんを殴ったり引っ張ったりしている。
こわい、こわい、こわいーー
◇ ◇ ◇
自分の家族が歪だと気付いたのは、いつの頃だったろう。
家を出たいと思えば、それはそんなに難しいことじゃない。悪い大人はいくらでもいるし、自分と同じような境遇のやつもごまんといる。その道に引きずり込む仲間を探している奴らも。
「支度、出来たか?もう少しで運び込みだ」
「はい!」
それでも、そんな安直な道を選ばなかったのは、半分血の繋がった姉が王宮で真面目に働いていると知っているからだ。
いっそ、両親に迷惑をかけてやろうと思ったこともあった。でも、姉が頑張っているのに、自分がそんな情けない真似をするのは、ちょっと違うなと思った。
俺はこないだ十四歳になった。いま、お姉ちゃん、は二十四歳になったはずだ。結婚した、という話はとんと聞こえてこない。
母親がつけた顔の傷が、深かったりしたんだろうか。
「おーい、ザイオン、今日はなんかお姉さん来てるぞ」
「……お姉さん?」
心当たりがなかった。フラフラ家出している時にある程度世間は学んだが、訪ねて来るような女性はいないはずだ。
ガチャリと開けた扉の向こうで佇む人に、息が止まりそうだった。パン色の髪に、ほうれん草のソテー色の瞳。優しい声と、優しい笑顔。
「ザイオン!良かった。あなたがここに居るって聞いて。あ、わからないわよね、姉のフローラよ」
一息で言ったその人は十年ぶりの僕のお姉ちゃんだ。
「……姉上」
心臓まで止まるかと思った。
「元気そうで良かった」
「姉上もお元気そうで何よりです」
俺は、お姉ちゃんを何度も見ていたけれど、お姉ちゃんからしてみれば、すっかりでかくなった俺は見覚えのない人間だろう。それでもすぐに気付いてくれて、自分でも恥ずかしくなるくらいうれしかった。
「姉上は、いま幸せですか?」
こんな質問、失礼かと思ったが、どうしても聞きたかった。
「えぇ、春には結婚式を挙げるの」
「そっか……良かった」
何度も姉と視線を通わせているライナス様は婚約者だという。
顔に傷が残ってないのを見てほっとする。自分の胸に残っていたのは「あの時僕が声を掛けていなければ」という罪悪感だったのか。
お姉ちゃんはすごく幸せそうだった。
まだ婚約者、らしいけれど、ふたりはすっごく家族に見えた。特別で、大切だと強く伝わって来る。
「君が人気歌手になったら、便乗してパトロンにならせてもらおうかな」
ライナス様はそう仰って下さった。この一年で後ろ盾の有る無しの重みを実感していた。今日訪ねて来てくれたのだって、影響力は小さくない。貴族社会を飛び出したつもりで、その力がむしろ大きく働く場所に身を置いている自覚はあった。
姉上に迷惑は掛けたくない。でも、正直ありがたい。
「まあ、パトロン云々はもっと先の話として……歳の離れた兄姉にお小遣いをねだるのは弟妹の特権だからな、気軽に甘えなさい」
ライナス様が俺の肩を叩いて言った。弟妹の、特権。お姉ちゃんが俺とオーノック様を交互に見ながらうれしそうに笑っている。
俺は、弟。
甘えて良いのは、家族で、特別で──大切だから……?
息が、止まった。涙が出そうだった。
あぁ、そんなの恥ずかしすぎる。大人のふりして、一人前だって顔して、生きていた。
でも、子どもの自分に囚われたままだったって気付く。うれしくって涙が出そうになるなんて。
「かっこいい?フローラ、見直した?」
「んもう……」
そんな俺をよそに、ライナス様と姉上がイチャイチャしている。ちらりとライナス様と目が合って、笑顔で小さくうなずかれた。たぶん、泣きそうなのがバレていた。
「ははっ姉上が幸せそうで良かった」
口を抑えるふりをして、涙を拭った。良かった、本当に、良かった。
姉上、と十四歳の弟らしく何度も呼べば、嬉しそうに涙目でハグしてくれる。
多分姉上は、何年後でも、どんな見た目に俺が変わっても、深緑のおそろいの瞳を見て「ザイオン!」って呼んでくれる。
「ちゃんと食べてる?」って聞いて、「困ってない?」とか聞いてくれるんだろうな。
俺が家族で、特別で、大切だから。
俺もお姉ちゃんが、家族で、特別で、大切だ。
幸せでいて欲しい。誰よりも。
「おいザイオン!午前中にこっちも運ぶぞ!午後から練習だろう?」
「そうです!今行きます!」
俺がお姉ちゃんの年になるまで、まだ十年もある。
人生は長い。
身を竦めるように、自分で自分を抱きしめてひとりで生きて行くのだって、間違いじゃないだろう。
でも、大切な人を特別だと感じて家族になりたいと思った時、手を拡げられるような、そんな生き方をしていたいと思った。
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