36.ハッピーエンド
季節が秋になる頃。ミリアーナ殿下は無事隣国に嫁がれ、最後にお見送りの挨拶をした。必ず手紙を書く約束をして。
シルクは演奏旅行に出ている。時々、絵手紙が届いてライナス様と楽しく読んでいる。旅する日々を満喫しているそうだ。
私とライナス様も来週にはオーノック侯爵家の領地に向かう。アルフレッド殿下は年が明けるまで延期しろと仰っていたようだけれど、ライナス様はちょっと呆れながら断ったそうだ。
冬こそゆっくり屋敷に籠もってふたりで過ごすのだ、と今から気合が入っていて可愛らしい。
私は領地での生活に緊張しているけれど、内向きの仕事はライナス様に手伝って頂いたり、邪魔されたりしながら、少しずつ学んでいるところだ。
引っ越しと婚姻を知らせるお手紙を準備し終わって、一息ついた所でふと思い出す。
「夜会でマーガレット様が紹介されていたご令嬢たちは……宜しかったのでしょうか?」
婚姻に関わることは自分たちでやろう、とライナス様の執務室で作業していたところだった。
「え、なに?」
手元の書簡へ視線を落としたまま、耳をくっつけてきたライナス様が戯けた口調で聞き返している。
私も遠慮が少しずつ無くなってきたけれど、ライナス様に至ってはちょっと意地悪になってきている。そんな姿も好きだけれど。
「ミリアーナ殿下のご成婚祝で、マーガレット様にご令嬢方を紹介されていたじゃないですか……。実は既に婚約していたなんて、オーノック家の評判を落とすことになりませんか?」
「フローラはあの令嬢たちが私の相手だと思ったの?」
色々勘違いしていたけれど、それは間違いないと思っていたので驚いてライナス様の方を見る。ライナス様はにこにこ笑顔で書類をめくっている。
「……違うのですか?」
「それで、どんな風に思った?」
なぜか嬉しそうだ。──どんな風にって。
夜会を思い出して、少しだけ涙目になってしまう。
「──ライナス様の、隣に立てる方がひどく羨ましくて、悲しかったです……」
彼女たちが持っているもの、これから手にするであろうものがたまらなく羨ましかった。そういう考えは捨て切ったと、決別したと思っていたのに。
自分の弱さが情けなくて悲しかった。
「ご、ごめんフローラ……」
書類をばさばさと置いて慌てて私の頬を包み込む。戯けた表情が一瞬で必死な顔になっている。
「ジルアスのお嫁さん候補たちだよ!私の方が顔を知られていて、同じ独身だから、秋波を送ってくるような令嬢を見極めたいって叔母上に頼まれたんだ!」
ライナス様が焦って子どもっぽい口調で言った。
あの日あの夜会で見た女性たちは私より皆若くて、何より両親に磨かれた正しい貴族のお嬢様たちだった。この涙は、私がコンプレックスで流している涙だ。
「すみません、やだ、泣いたりして」
手の甲で涙を拭う。
ライナス様の婚約者になって、幸せでいっぱいなはずなのに、少女時代のコンプレックスに囚われている自分が恥ずかしい。
ライナス様がつらそうな顔をしながらハンカチで涙をそっと抑えてくれる。
「やきもち焼いてもらえたのかと思って嬉しくて……ひどいことを訊いた」
「違うんです。ただ、私はライナス様にふさわしくないと思って……」
驚いた顔で、ライナス様が立ち上がった。
「ふさわしくないだなんて!」
今まで見たことがないくらい目を見開いている。手を引かれたので私も立つ。勢いに負けてどこへ、と尋ねる隙もなく連れられたのは扉の横の大きな姿見の前。
「ほら、私達よく似合っていると思わない?」
後ろから抱きしめられながら鏡に映るライナス様と自分を見る。
──よく似合ってる……?
ライナス様は今日も麗しい。どこを切り取っても精悍な雰囲気がある。健康的な肌に顔の筋肉まで引き締まっていることがわかる。人柄や努力が凛々しい容姿に滲み出ている。
一方の私は、青白い肌に赤くなった頬と目尻。印象の薄いブラウンの髪。やけに濃い緑の瞳。頬は子どものようにふにゃりと締まりなく、でも首や肩は骨ばっている。
『あなたって、なんだかちぐはぐな容姿ね。気味悪い』
かつて継母に言われた言葉が蘇る。似合わないと処分されていく衣装。祖父母から贈られたドレスを継母から隠すようになった頃だ。
気味が悪いから愛されないのだと、鏡を見るのが嫌いになった。
ライナス様が後ろから私を抱き込んで頬を撫でながら囁くように言う。
「フローラの自然な髪色は大地のようで、透き通るような肌は水面のようだ」
「そんなこと……」
鏡の中の私を見つめながらライナス様がつむじにキスを落としている。
「フローラは絵画のようだ。色彩豊かで、深い緑が主役だろう。真っ黒で額縁のような私の、腕の中に収まって、ほらぴったりだろう──ごめんフローラ、私の表現力は落第点だな……」
笑わせようとして下さっているのかもしれない。でも──ライナス様がそう仰るなら。
自分を卑下する気持ちが払拭される。ライナス様に言われるとどんなことでも、そうかもしれない。と納得してしまう。
「私は、フローラの隣に居るときが一番良い顔をしていると、アルフレッド殿下にも父上にもボルロにも、王宮勤めの同僚にも言われた。とにかく、ふさわしくないなんてこと、絶対に無い」
ライナス様が側に居れば、自分の嫌いなところも、どうにかこうにか向き合って生きていける気がする。勇気が湧く。
「柔らかそうな頬も、細い首筋も、噛みつきたいくらい魅力的だよ。フローラはきれいだ。私にはもったいないくらい」
ライナス様がそう仰って下さるなら、とは思うけれど、今うなずくのは恥ずかしかった。
「ライナス様、黒い額縁というのは古代ガーシュール王朝の宮殿装飾に見られた特徴で──」
「待ってフローラ、今のは良い雰囲気になる流れじゃなかった?」
ライナス様は最近私の芸術知識を珍しがってあれこれ尋ねられるので、ふざけてみた。ライナス様がくすくす笑ってくれて、ざわめいていた心が落ち着く。
「その話、長くなる?」
「とーっても」
笑ってそう答えたら、ソファへと連れ戻される。手を引かれライナス様の膝の上に乗る。
「じゃあ、触れ合いながら聞こうかな?」
腰をしっかりと掴まれ、完全に身動きが出来ない。
「……本当に噛みつきたくなる項だな」
ライナス様は本当にかぷりと甘噛みしてしまった。
「んっ……」
「フローラは美術史にも詳しいんだね、続きは?」
少しだけ強く首元を項を噛まれる。くすぐったさにライナス様の肩に強くしがみつく。
「ごめん!痛かった?」
最近意地悪なライナス様に私もやり返すんだ!と意気込んで、噛みつき返す。犬歯が人より少し尖っている自覚があるので痛くないように、だが。
「っね、フローラ……」
噛んでいると言うよりくすぐっているようなものだろうけれど、噛まれるとびっくりするんです!と抗議するつもりで噛み続ける。
「可愛すぎて死にそう」
顎を持ち上げられてキスされる。歯列を舐めるライナス様の息が荒くて野生的な行為のように感じる。
諦めなきゃいけないと思った初恋の人が、理性でも本能でも私を求めてくれている気がして、心が沸き立つ。
「ごめん!意地悪しすぎた!」
ライナス様に謝られて、涙を流していることに気付いた。
「ううん、うれしくて」
ライナス様に抱きつく。この愛しい人を一生抱き続け、生きていける事がうれしくて仕方ない。
「ライナス様とずっと一緒、うれしい」
「私もうれしい。ずっと一緒だフローラ」
強く抱きしめ返される。
「ライナス様、好きです。大好き」
最後までお読み頂きありがとうございました。
評価・ブックマーク大変励みになりました。